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子猫以上、弟未満。  作者:
第二章
17/32

5.

 小学生のチビだった。

 手も足も細くて、ランドセルに押し潰されそうなほどなのだ。

 三年前までは自分も小学生だったが、その三年は龍司にとって大きなものですっかり小学生との交流などなくなっていたから、余所の世界の生き物のように頼りなくて扱いにも困ってしまった。

 そういうチビが、龍司にとってクソチビに変わっていったのだ。

「クソチビーーー」

「えっ」

「覚えているか?俺がそう呼んだことを」

「そ、んな呼ばれ方・・・」

「していたはずだ。思い出した。一番しっくりくるものかもしれん」

 憮然として、みかんの皮を剥きはじめた龍司をビクビクしながら窺っていると、龍司が和輝に向かって掴んだものを無造作に投げていた。

 みかんだった。山になっていた籠の中から一つを。

 前置きなしに、突然で。受け損ねたら顔に直撃で、間に合った自分の反射神経を褒めることが龍司へのお礼よりも、先になってしまった。

 牧なら平然としているのだろうなあと思ったが、みかんは和輝にとってとてもスリルだった。

 それと同じことで何気ないことがすべてスリルで、ビクビクで、龍司の一挙手一投足が全部気になっていた。本当は覚えていた。

「クソチビ」と、龍司が和輝を呼ぶようになったのはあの出来事のあとだった気がする。

 龍司が、女の子とキスしていたのを見てしまったあの日から。

 キス。

 今時、和輝より若い女の子がドラマの中で演技としてすることだし、唇を合わせるぐらいの軽いものなど挨拶だとも言うことも聞いたことがあるけど和輝にとっては違う。まだそんな風には捌けて考えることが出来なかった。

 今でもそうなのに、十二年前ではもっと潔癖で、嫌な場面に出くわしてしまったと顔を背けずにはいられなかった。

 不潔、汚いとすら感じて、龍司に腹が立ったぐらいだった。

 相手は和輝が知らない女の子、龍司の同級生かなにかのセーラー服の女の人で二人は学校帰りだった。

 和輝はその日もいつものように玄関で、垣根の向こうに背の高い龍司の頭の天辺が現れるのを待っていた。

 通りに出て待っていると、見つかると何をしているんだと聞かれ、怒られるので待っている場所は通りから少し入った玄関で、垣根越しに覗いて待つようになっていた。そうすれば、見つからないうちに庭先の茂みに飛び込んで隠れることができるから良いアイデアだと思っていた。

 黒い制服が垣根の隙間に見え隠れして近づいてきた。

 黒い頭が覗いていて、このあたりの地域ではその体格なのは龍司しかいないとはもう和輝も知っていた。

 喜んで姿を覗く。迎えに飛びだしたりするのは禁物なので、こちらの姿は向こうから見えないようにしながら龍司が垣根の切れ目に姿を見せ、通りを逸れて玄関に入ってくるのを待っていた。

 時間にして数秒のことのはずなのに、その日に限って数秒がなかなか現れない。

 どうしたのだろうと気になって、和輝はそっと通りに顔を出していた。

 女の子と一緒に龍司が帰ってきたことには気が付かなかったのだ。

 三つ編みの女の子の身長は垣根にすっぽり隠れるものだったし、龍司がこれまで誰かと家の前まで帰って来ることはなかったのだから。

 でもその日、その女の子がいて、覗いた先には向かい合っている二人の姿があった。

 背の低い女の子は龍司の前で背伸びをして、顔を龍司に寄せているという光景で、和輝は驚いてすぐに引っ込んだ。

 見てはいけないものを見てしまったという罪悪感と、背伸びした不安定な身体を龍司の肩に両手を伸ばして掴まっているセーラー服。そのセーラー服に掴まることを許している龍司は、和輝が知っている龍司とは別人のような気がしていた。

「・・・なんで、クソチビだったのかな・・・。僕、そんな悪いことをした覚えないけれど・・・」

 込み上げる思い出の中で、普通な声でそんなことを口にするのが和輝の精一杯だった。

「都合よく忘れているか?」

 龍司の声は特別酷く怒っている様子はない。いつも程度の範疇だと信じることにする。

「え、何のこと・・・」

 和輝の鼓動はどきどきと緊張に高鳴っている。

 昔のことだから。それに龍司はずっと大人であるし、きっと忘れているか、覚えていてももう風化しているような出来事だ。だから、そんなことを今更に咎められることなどないはずだ、と必死になって願っている和輝がいては、出来事は昔のこととは終わってはいないという証拠にもなってしまうだろう。

「忘れているなら別にいい。取り立ててほじくり出すことでもない」

 ぎゅっとソファーが鳴って、龍司が立ち上がっていた。

「風呂に行ってくる」

 和輝が座っている横を長い足が大股で歩んで去ってゆく。

「あ、・・・はい、いってらっしゃい」

 和輝はほっと緊張を解いていた。

 どうにか最悪のパターンとして想像していた激高の末、放り出される、は回避出来そうだった。それに怒られずにもすんだと思うと、身体の力が抜ける気分だった。

 しかしそこに、思い出したように龍司の声が投げかけられた。

「俺が風呂に行っている間、一人で居られるか?」

 それは一人で居るのが嫌だとやってきた和輝を気遣うとても優しい優しい言葉なのか?

「トイレ以外は鍵を掛けないからな。堪えられなくなったら来てもいいぞ、アヒルさんは湯船に浮かばせられんが。そうそう、おまえ、髪は自分で洗えるか?」

口の端を吊り上げて明らかに意地悪い笑いを浮かべて和輝を振り返っている龍司に、からかわれていることが判明だった。

「・・・洗えます、髪ぐらいは。・・・もしよかったら、龍司さんの髪の毛、置いて貰っているお礼に洗いますよ」

 多少ふくれっ面になって申し出た和輝に龍司はさっくりと「遠慮する」と断った。でもそのあとに、ああ、と言った。

「六十年後の介護のときは是非とも頼むとしよう。そのときまでにもっと身体鍛えておかないと、おまえ、寝たきりになった俺を運べんぞ」

「なっ!百八十センチある寝たきりおじいちゃんなんて、それ間違っているよっ!」

 フッと、和輝の反応に満足したように笑った龍司の後ろ姿が、今度こそバスルームに消えて見えなくなると和輝は力尽きたようにぺちゃーと絨毯の上に寝そべってしまった。




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