2.
「こうして、おまえのまかないで飯作って年取っていくのかと考えるとなあ、悲しいぜ」
「俺はとってもありがたいんですけどね」
それは心の底から思っていることである。この店がなくなったとき、自分の毎日果てしなく食べなくてはならない夕飯の調達方法を考えるとぞっとするのだから。ちなみにまだ龍司に結婚の予定は入っていない。
和輝は龍司にとってあまり話題にしていたくないものだったが、牧にとってそのあとの居酒屋の今後など、まさに触れていたくない話だったので、そうそうと、話が変わった。
「だけど、もうしばらくは続きそうだ。いいバイトが入ったから」
「グラマラス美人ですか?」
「スレンダー美人だ」
「好みじゃないじゃないですか」
「いや、好みだよ。これがちょっと凄くてね」
はあ、と応じた。どうせ、素直さの欠如したろくでもない話になってゆくのだろうと想像はついたが面白そうでもあった。
「時給百円で雇用が成立した」
「・・・弱みを握ったのですね」
「人聞きが悪いなあ」
今時、百円では小学生でも納得しまい。と考えて、ふと嫌な予感だった。
「そのバイトは今はどうしているんですか?」
「つかいにに出しているんだ。そろそろ帰ってくるだと思うが、初めてのおつかいはやっぱり、兄ちゃんとして心配か?」
またしても浮かんだ牧のにたにた笑いに、龍司が頭を抱えたとき、裏口の戸が開いて、ただいま戻りましたと、若々しい声が届いた。
「はい、おかえり〜。おまえもそろそろ晩飯にするといい、こっちに来いよ」
はいと返事のあと、龍司の姿を見つけて「あ」と喜びを含んだ驚きだった。
龍司には顔を向ける必要はなかったので、カウンターに頭を抱えたきり座っていると、開いていた横の席に和輝が座った。
「だって、龍司さんが暇なら牧さんとこに行くといいって言ったから」
「聞いてびっくり、うちは託児所か、便利屋なのかって思ったね」
昨日の朝、出かけだったか。そんなようなことを言った覚えがある。
自分のマンションの部屋に、ぽつんと座って帰りを待っているという状況を想像したくなかったので確かに言った。あまり深く考えずにだった。
和輝はその言葉に従ってやって来たわけだと言う。
ペット番組で、よくあるではないか。モニターカメラで飼い主不在の間のペットの様子を明らかにするもの。玄関にひたすら座り込んで待っていたり、でなければ寂しがって鳴きながら部屋の中で暴れまわったりする。そのどちらも龍司は回避すべく的確な指示を与えたつもりだったが、手落ちがあったようだ。
牧である。
そういう経緯だったが、準備中にかかわらず店内に入ってきた和輝を迎えた牧は、料理の下ごしらえ中だった。
和輝から事情を聞いた牧は一瞬考えて、居たいならいいぞ、とあっさりと承諾した。しかし「ただし」と続いたのだ。
どうせなら働け。給料はやる。
ボーとしていても意味はないだろうと、とても真っ当な意見に思えたが、百円だった。
一時間働いて百円という賃金を聞いたときには、いくら田舎育ちの和輝といえども耳を疑っていた。
でも屋根付き、暖房機器付き。
昼夜の飯付きのバイトと牧の巧みな甘言の下、和輝本人もそれなりには考えた末、納得したのだと言った。
「パシリと言うんだ、それを。馬鹿者が!」
即答で和輝の判断に難色を付けた龍司だったが、当の和輝はいたって明るく笑っていた。
「でもこういうのってなんだか・・・楽しい感じがしたから」
龍司が、馬鹿すぎると憤る横で、和輝はくすぐったそうに笑っているのだ。その横顔を見ていると、小柄なこともあるだろう、とても幼く見える。
だけど、そこまでのことは思わなかった。
「こうして夜になって待っているって、仕事を終えたお母さんが保育園に迎えて来てくれるってのに似てますよね、お母さんじゃなくて人は替わったけど昔みたいで嬉しい気分!」
杯の手を止めて絶句した龍司に変わって牧が和輝に返答した。
「へえ。龍司は兄でもあり、お母ちゃんな感じにもなるわけだぁ、そりゃあ、よかったよかった。じゃあうちの定休日以外、毎日来てバイトしていれば毎日お迎え気分が味わえることになる、あっちこっちいいことづくめってもんだなあ」
陽気に言う牧に、和輝は照れながらも最後にはこっくり頷いたが、龍司は急に酒の酔いが回ってしまったようだ。
頭痛がしはじめたのだから。
毎日和輝が、時給百円で牧の思い通りにここで、ここで務めることになると会社帰りの牧と、ハメをはずした会話を楽しむ一服の時間が意味をなさないものに変わるではないか。
マンションに戻っても和輝が居ては休まらないので、これから毎日居酒屋経由かと思っていた矢先のことで、もくろみは早くも崩れ去るところだ。
そう思ったら、急に腹が立ってきた。
自分は牧のこの店に姑息に逃げ込もうとしていたのに、それさえも出来なくなってしまったのだ。沸々と腹の底が煮えだしたのは酔いが回った所為だけではなかっただろうて。
なぜならそれは、至極尤もな不満なはずだ!