10.
背後の玄関から少年の甲高い澄んだ声。
「龍司さんっ、帰っているの?・・・泥棒だと・・・僕、困るんだけど・・・」
振り向くと去っていったはずの者が戸口に立っていた。
「お帰りなさい、早いんですね。僕の方が遅くなっちゃっいましたね」
笑顔で部屋に入ってきた和輝は寒さに鼻を真っ赤にしている。
そして大きなボストンバックを持って、背中にはリュックも背負って狭い廊下をぶつかりぶつかりよたよたと歩いてくる。
着ている物がサイズの合わないものでも、制服でなくなっていることに龍司は気がついた。
「おまえ、どこに行っていた?」
「じいちゃん家に戻って、掃除してきちんと戸締まりして、着替えとかいる物持ってきたんです」
それにと和輝は言う。
「生活費。じいちゃんとばあちゃんが僕のために貯めていてくれたお金です。これ、少ないですが龍司さんに渡しておきます」
龍司にボストンバックから取り出して通帳とハンコだった。
「受けとってください。じゃないと、僕はここに居られないから・・・」
話は振り出しに戻っているような、いや、進歩している。自分の荷物を持ち込んできたのだから。
「・・・おまえ、これからもここに住むつもりなのか?」
「え。・・・駄目、ですか?」
和輝は大きめの目をさらに大きく見開いて龍司を見上げた。
大きな荷物を背負って戻ってきて以来、昨日とは別人のように明るく、はきはきとしていた声が、急に陰って不安そうな表情に変わってしまっていた。
が、龍司の方はもうどーんと構えた大人の余裕の、さらに諦めモードに突入していた。
自分の性格に向けての諦めだった。
ああ、もういいとーーー。
「わかった、通帳は預かっておこう。無断で引き落とすことはしない。引き落とすときにはおまえにやってもらう。・・・これでおまえは正当に同居人というわけか」
「うあっ、ほんとにっ、やったあっーーー」
認められた喜び。もう少しきつく怒られたり、これほどすんなりいくとは思っていなかったのに。道すがら和輝は、恐くても食い下がって絶対引かないと強い覚悟を固めてきたというのにあっさりと、許されたのだ!
嬉しくて思わず龍司に飛び付いてしまった和輝は、すぐにはっとして、ばりばり剥がされるかと緊張したのだがそうはなさそうだったから、反対にぎゅうっと力を込めて龍司の首にしがみついていた。
「おい・・・」
「だってさ、すっごい嬉しいんだもん。ありがと、龍司さんっ!」
懐かれて飛び付かれ、頬ずりされんばかりに感激される龍司は、苦笑だった。
部屋の扉がノックされた。
このマンションに引っ越してきて五年ほどだったが珍しい現象で、キーボードの手を止めて龍司をくるりと椅子を回転させた。
机の反対、背中側にある扉に、なんだ、と声をかけた。
すると、入ってもいいですかと尋ねられた。
「コーヒー入れたんです。飲みたくなったので、こっち戻ってくるとき、新製品の面白そうなお菓子を見つけて買ってきてるんです」
いいですか、と繰り返されて、ああと返事をした。
返事をしたあと、龍司が扉が開く前に椅子の角度を戻していた。
「コーヒーとお菓子、です」
「ああ、ありがとう、その辺に置いておいてくれ」
「はあ。・・・じゃあ、この辺に・・・」
その辺と、振り向きもせずに指示した龍司に、この辺と和輝は返事をして、扉が閉まる音がした。
今度の拾いものは、教えなくても芸を持っていて、ティータイムサービスをしてくれるらしい。
軽い感慨に浸りながら、パソコンのキィをしばらく打っていたが龍司のところまで和輝に置かれたコーヒーの香りが漂ってきて、冷める前にと思った。
扉付近の三段収納箱の上にでも置かれているのだろうコーヒーカップを取りに行こうとした龍司は、ぎょっとしていた。
「お、まえ・・・いたのか」
「うん」
収納棚の横、扉の前にはコーヒーカップだけでなく和輝が座り込んでいた。
届けて出て行ったものとばかり思っていた龍司に、はいと手渡すべくコーヒーが差し出された。
心臓に衝撃だった。
一人のはずの部屋で、振り向いたら無言に蹲っている人影がーーー。それはホラードラマだ。
「何やっているんだ、向こうで好きなテレビでも見ていればいいだろう?」
「なにもやっていなかったもん。一人でいても暇だし」
「そこにコーヒーを持って座っていても暇だろ」
「ううん、こっちの方が楽しい」
はい、お菓子と渡された猫の顔をかたどったチョコレート菓子は甘そうだったが、どこかに置くと溶けて汚れそうだったので口に中に入れた。
「龍司さんは気にしないで仕事やってて頂ければ。僕、静かにしてますので邪魔しません」
「車の情報を見ていただけだ。仕事じゃあない」
龍司はコーヒーを一口、口にした。
「おまえもネット、やるか?」
「あ、僕は別に・・・」
「俺はテレビを見るから、遠慮せずやってろ」
狭い部屋の中で、後ろからただ座って見られていると思うと息が詰まるのは龍司だけではないはずだ。
飲みかけのコーヒーを手に持ったまま龍司は部屋を移動しようとしたのだが、上手く行かなかった。
「あ、じゃあ僕もテレビ」
一緒になって和輝が付いて出てきてしまっていた。
ソファーに座った龍司は、普段の行動で中央に座ったので和輝はソファーの横に、畳んだ布団を背もたれにして座り込んで、龍司がスイッチを入れたテレビに一緒になって顔を向けた。
しばらくニュースを見ていたが、大人しかったが和輝がそこにいるため龍司は集中できず、悪い予感を感じていた。
予感は的中だった。ニュース番組を見終えて風呂に入ったあとに思い知ることになる。物事、悪い予感ほど現実化するものだと。
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