第50話『リディリス大迷宮』
「–––––っん」
ジメジメとした薄暗い空間。
湿った天井から滴り落ちてくる水滴が鼻先に落ち、朦朧とした意識が薄っすらとだが鮮明になっていく。
重たい瞼をゆっくりと持ち上げ、紅い瞳を動かす。
後頭部からは暖かく柔らかい感触が伝わり、それがなんなのかすぐに理解する。
「–––––やめてくれ、ミシェル……さすがに恥ずかしい」
太陽のような暖かい微笑みを浮かべながら覗き込んでくる彼女に、リュウは少し顔を赤く染めながら体を起こす。
「あれぇ〜?私のお膝の上はぁ、お気に召さなかったのですかぁ〜?」
「言ったろ、恥ずかしいんだ。その–––––顔が近いから」
その満更でも無いという態度に、ミシェルは満足気に笑みを浮かべる。
「てか、ここはどこだ?師匠はともかく、カンナとガッチェスさんは?パンドラもいないし……」
ミシェルの魔法によって作られた小さな光の玉が薄っすらと辺りを照らしているが、周りは岩壁ばかりで何も見えない。
その奥から顔を覗かせる闇を見ていると、なんだか意識ごと飲み込まれそうになる。
「私ならここにいるわよ、ずいぶんとお楽しみだったじゃない?」
不機嫌そうな顔で闇の中から姿を現したパンドラに睨まれ、リュウはただ苦笑いを浮かべる。
「まぁいいわ、色々と聞きたいこともあるでしょうし」
パンドラは黒く長い髪を掻き上げ、リュウのすぐ横の岩壁に背を預ける。
「ちょっと待ってくれ、気絶する前のことを先に思い出す」
たしかジュリウスたちに試されて、無理矢理に魔力を使って魔法を斬ったはず–––––。
「……俺、どのくらい気を失ってたんだ?」
「そんなことが気になるの?……そうね、だいたい3時間ほどかしらね」
パンドラの答えを聞いたあと、リュウはあたりに広がる闇に目を向けて質問を続ける。
「なら、ここはどこだ?みんなは、いったいどこに行ったんだ?」
そう問いかけながらミシェルの方をふと見ると、バツの悪そうな顔で苦笑いを浮かべている。
「ここは【リディリス大迷宮】よ。少し洞窟の外を見て回ったけど、どうやらその第一階層ってところね」
その言葉を聞いて目を見開き動揺を露わにするリュウに、続けてミシェルが答える。
「ここにいるのは私たち三人だけなのですよぉ〜。他の皆さんはぁ、今まで通り馬車で向かっているところかとぉ〜」
信じられない、そう言いたげなリュウの表情にミシェルは思わず目を逸らす。
「言いたいことは分かるけど、私たちもこれが最善ってことで納得してるわ。戦闘経験を積むなら、ここほど良い場所は無いわよ」
だからって、いきなり過ぎるだろッ–––––そう言いかけた言葉をグッと飲み込む。
何を叫ぼうが全て起きてしまったこと、現実だ。
今この場にいることが事実であり、変えられない現実なのだ。
辺りをもう一度見回しながら一息つくと、リュウは頭をガシガシと掻きながら立ち上がる。
「–––––で、俺はここで何をしたら良いんだ?」
「あら、珍しく聞き分けが良いのね?」
その態度をパンドラはくすくすと茶化し、リュウの前に手を突き出す。
その手には魔閃剣 グリモアが握られている。
「この大迷宮の最奥に“竜王”がいるらしいわよ?先代に言われてたこと、ちゃんと覚えてる?」
パンドラのセリフに合わせて、横にいたミシェルがミラから預かったであろうメモのような紙切れを箱の中から取り出し、リュウに見せる。
「当たり前だろ、そう簡単に忘れるもんか。バハムートの時と同じく、竜王をぶっ飛ばして力を認めさせる」
「そっ!そんでもって、その力を“継承”して強くなる。ほら、簡単でしょ?」
人差し指を立てながら良い笑顔でそう言い切るパンドラに、思わずリュウも笑みを溢す。
「たしかにお前らの言う通りだ、何も悪いことばかりじゃないな。“竜王”の力があれば、ロキにも通用するかもしれねぇしっ!!」
竜王に勝てるかどうかという悩みを吹き飛ばすかのように高笑いを上げながら、リュウは魔閃剣グリモアを背中に装備した。
「とりあえず、さっさと外に出ましょ?こんなジメジメしたところにずっと居たんじゃ、きのこが生えてきそうだものっ!」
パンドラはそう言って、ミシェルとリュウを外へと先導する。
薄暗い洞窟をしばらく歩くと、風の音が強くなり明かりが差し込んで来た。
–––––やっとの思いで洞窟を抜けると、そこに広がっていた光景に思わず開いた口が塞がらなくなってしまった。
「こ、これが–––––リディリス大迷宮ッ!!」
「うわぁっ!壮大なのですよぉ〜っ!!」
天まで伸びる巨木が立ち並び、どこか緑色を帯びただだっ広い空間が眼前に広がる。
大迷宮と言うだけあり、もはやこの空間の終わりすら見えないほどだ。
首が痛くなるほど見上げた天井には大穴が空いており、そこから巨大な怪鳥の群れが出入りしているのが見える。
「ねっ!凄いでしょっ?!これぞ冒険って感じでワクワクが止まらないわよねっ?!」
「お、落ち着けパンドラッ!痛いっ!痛いからっ!!」
肩を掴まれたリュウは、体格差によりガクガクと身体ごと揺らされている。
「あらぁ〜?二人ともぉ、あそこに道が見えるのですよぉ〜?」
ミシェルが手に持っていた杖で指し示す方角を見ると、木々の隙間から人工的に作られたであろう街道のような物が見える。
「うわっ、あんまりこういうとこで人工物を見るとテンション下がるな」
「仕方ないわよ。大陸を渡る方法として使われてるくらいだし、そりゃ整備もされてるに決まってるじゃないの?」
パンドラの言葉に確かにと納得し、とりあえず街道らしき場所まで向かうことにした–––––。
––––––––––
「なんだ、思ったより人がいるんだな……」
リュウは街道の側で腰を下ろし、街道行き交う馬車や牛車、はたまた冒険者一行を眺めながら溜め息を吐く。
想像していた大迷宮とは違い、魔物の姿もあまり見かけない。
そんな理想とは遠くかけ離れたファンタジーに、思わず頭を抱えて嘆いていた。
「たくっ、さっきも言ったでしょ?ここは最上層なんだし、下の方もこうとは限らないわよっ!」
「そうですよぉ〜っ!元気を出してください、ご主人様ぁ〜っ!」
二人の慰めを受け、それもそうかと気を取り直す。
「ここまで普通に人がいるなら、どっかに街か宿営地があるんじゃ無いか?とにかくそこに行って、まずは装備を整えようぜ?」
リュウはそう言うと、通りすがりの商人らしき人に声をかける。
「あいつって、ほんと逞しいって言うか図太いって言うか……どこに行っても生きていけそうよね」
「それがご主人様の良いところでもあるのですよぉ〜♪」
臆することなく商人に道を訪ねているリュウを見て、二人はそれぞれ違った笑みを浮かべている。
「–––––やっぱり、この先に宿営地があるってよ!大陸同士を繋ぐ道に点在してるらしいし、ガッチェスさんが言ってたほど複雑じゃ無さそうだけどな?」
戻ってきたリュウが、宿営地がある方角へと二人を先導する。
「“天ノ夜月”は違うんじゃない?この最上層で全部の大陸と繋がってる訳でも無さそうだし」
そう言ってパンドラが、行き交う人々の種族に目を向ける。
そのほとんどが人類種であり、獣人種や森人種の姿は見かけない。
「宿営地に地図が売ってたら良いんだけどなぁ。装備を整えるついでに、情報収集もしとこうぜ?」
リュウの提案に二人も賛成し、とりあえずの方針は決まった。
行き交う人々からは『なぜこんな所に子供が?』と奇異な目で見られていたが、三人がそれを気にすることはない–––––。
––––––––––
小一時間ほど歩くと、本当に大きめの宿営地らしき場所に辿り着いた。
大きな塀で囲まれた大門をくぐり抜けると、宿営地の中は大勢の商人と冒険者で賑わっている。
「す、凄いな。大陸同士を繋ぐ場所ってのは、こんなに賑わうんだな……」
呆気に取られていると、後ろからミシェルが声をかけてくる。
「あれって確かぁ、冒険者ギルドの紋章なのですよぉ〜っ!そう言えばぁ、さっきの門の上にもあったような気がぁ〜?」
「ってことは、ここら辺の宿営地は冒険者ギルドの管理下ってことじゃ無い?だとしたら、冒険者ギルドもあるかもっ!」
居ても立っても居られないパンドラはすぐさま走り出し、その背中を追いかけるように慌ててリュウたちも走り出す。
冒険者たちの間を駆け抜け、ようやくギルドの看板が見えて来た。
想像よりもはるかに大きな建物の中へと入ると、すぐに人だかりが目に入る。
「大迷宮の冒険者ギルドって、こんなに賑わってるのねっ!あそこにいる人たちが見てるのって、依頼掲示板じゃない?」
人混みの間を必死に掻い潜り、やっとの思いで貼り出されている内容に目を通す。
「え〜っと?俺らが受けれそうなのは、【第二階層での採取:地脈の結晶20個】に【第三階層での討伐:レッサードラゴンの群れ】。他にもいくつかあるが、とりあえず地図を手に入れてからの探索じゃないか?」
「そうですよぉ〜!この大迷宮のことをよく知らないのにぃ、いきなりクエストは無理ですよぉ〜!」
リュウとミシェルの意見はもっともだと、パンドラは渋々といった感じで諦める。
「そ、そう落ち込むなよ……また来ようぜっ?」
「うん……また来る……」
落ち込むパンドラの頭を撫でるミシェルと共に、とりあえず地図を買おうと人混みから離れる。
それっぽい場所がないかと周囲を見回し、まずはギルドの受付へと向かった。
「あのっ!リディリス大迷宮の地図ってどこで買えますかっ!」
受付カウンターの反対側にいる男に、そう声をかける。
声をかけられたパイナップルのような髪型の男は面倒臭そうにゆっくりとこちらを振り返ると、パンドラとミシェル、そしてギリギリ受付カウンターから顔を出しているリュウを見る。
「あぁん?なんだって?なぁんでわざわざ、お前らみたいなのに教えなきゃなんねぇんだよ」
シッシッと手で追い払われるが、それを見たパンドラの顔がみるみる険しくなる。
「ちょっと!若い子を虐めるのはやめてっ!」
すぐにその横にいた他の女性職員がパイナップル男を退かして代わると、いくつかの紙束を取り出し–––––。
「ごめんなさいね、あれでも根は良い人なの。えっと、地図よね?第一階層の地図なら銀貨2枚よっ!」
そう言って地図を広げて見せてくれた。
「–––––なぁミシェル、そう言えば金って持って来てるのか?」
今更過ぎる質問ではあるが、何を持って来ているのかの確認をしていなかったことを思い出した。
「えっとぉ、たしかぁ–––––銀貨7枚なのですよぉ……」
その言葉にリュウは頭を抱え、パンドラはしまったと言う表情で固まっている。
「よ、用意したのはパンドラちゃんなのですよぉっ!」
「仕方ないじゃないっ!まさか大迷宮にこんな所があるなんて思わなかったんだものっ!」
「やめろって二人とも。過ぎたことはしょうがないだろ?とりあえず、この階層の分だけでも買おう」
ぎゃーっぎゃーっと取っ組み合いをしそうになる二人を宥め、とりあえず第一階層の地図を購入する旨を伝える。
「よぉ〜ガキんちょ!冒険者でも無いお前みたいなのに、俺らが教えられるのはミルクの飲み方だけだぁ!分かったらケガしねぇうちに地上に帰るんだなッ!」
銀貨を手渡すと、まだ隣に居座っていたパイナップル男が突っかかってくる。
「良い加減にしてよ、ギルドマスターっ!怖がってるじゃないっ!」
「–––––はぁっ?!ギルドマスターって、こいつが?嘘でしょっ!」
意外な人物がギルドマスターと呼ばれたことに驚き、喧嘩中だったパンドラたちも思わず振り返る。
「言っとくけど、私たちだって冒険者よっ!ほらっ!」
そう言ってパンドラは、ミシェルとリュウの分の冒険者カードも机に叩きつける。
パイナップル男はそれを手に取ってまじまじと見た後、はっと鼻で笑って突き返した。
「黒髪、お前は馬鹿だなぁ!揃いも揃って【Fランク】じゃ話にならね〜っよ!」
「–––––リュウッ!こいつぶっ飛ばしても良いッ?!」
「待て待てっ!ここで暴れるのはマズいって!!」
殴りかかろうと拳を振りかざすパンドラを必死で止め、二人を遠ざける。
「良いかぁ?お前らみたいな右も左も分からねぇ新米冒険者が、ここじゃ毎日のように死んでるんだぜぇ?」
「どぉ〜してもってんなら、大人の言うことは聞いた方が良いぜぇ〜?俺みたいなお節介さんが、お前らを助けてくれるだろぉ〜ぜっ!ひゃっーっはっはっ!」
パイナップルマス……ではなく、パイナップル頭のギルドマスターはそう言うと、カウンターから出ていき人混みの中へと消えていった。
「気分を悪くしたなら、ごめんなさいね。彼、不器用なの……。はいこれ、第一階層の地図よ」
「こちらこそ、騒がしくしてごめんなさい。では、俺たちはこれで–––––っ!」
パンドラの首根っこを掴み、リュウとミシェルは逃げるように冒険者ギルドをあとにしたのだった–––––。




