第45話「神の断罪」
闇に覆われた空の下。
赤と黒の光が尾を引き、衝突し、迫合い、互いの命を削らんと攻防を繰り広げている。
光が交わるたびに大地は悲鳴を、空は爆音を轟かせ、その余波だけで小さな命は容易く吹き飛ばされてしまう死の世界で、策を練り確実に勝利を手にしようと足掻く者達がいた。
「ミシェル、魔障壁を俺たちに展開できるか?」
その中の1人の少年が、傍にいる少女へと問いかける。
少女は少年に頼まれたことが嬉しいのか、フンスと鼻息を荒げて気合十分に答えるが、次第に言いにくそうに声が小さくしぼんでいった。
「もちろんなのですよぉ〜! あ、でもぉ、今の私が使えるのは聖級防御魔法までですのでぇ〜、ジュリウスさんの魔法ほどではないのですよぉ……」
主の成長に比例して強くなる少女–––––ミシェルたち眷属は、今はまだ成長途中である主のリュウでは、その本当の力を引き出すことができない。
決してリュウのせいでも、ましてや眷属であるミシェルのせいでもないのだが、それでも不甲斐なく感じてしまっているのだろうミシェルの心境を察し、
「な〜に落ち込んでんだよ、らしくねぇな。力及ばずなのは俺も一緒だからよ。大事なのは、『今、何ができるのか』だろ?」
カラカラと笑いながら、落ち込むミシェルの背中をペチペチと叩いた。
「それなら、ジュリウスさんに頼めばいいんだよ。そんなに落ち込んでる奴は、こうしちゃる! うりゃうりゃうりゃうりゃうりゃーー!!」
「ふぇ、あ、ご主人様ぁ!? くすぐったいのですよぉ〜!」
本当は頭を撫でてあげたかったのだが、背が届かなかったのを誤魔化すためのくすぐり攻撃なのは誰もツッコンではいけない。ダメったらダメなのだ。
「あ、あの、さ……。お願いが、あるんだけど……」
ちょこん、と服の袖を摘まれているのに気が付いて振り向くと、頬を真っ赤に染めながらも、何かを言おうと一生懸命に口をもごもごしているパンドラがいた。
身長差的に上目遣いではないのが残念だ、むしろ思いっきり見下ろす形なのだが。
「なんだよ巨人兵、お前の顔で火の七日間でも起こったのか?」
「いきなり何言ってんの!? あんた、時々意味不明なこと言い出すわよね……」
俺だってあと4,5年もすれば、今に見てろよ……。そんなことを考えながら、視線を横へと逸らす。
そろそろ限界で肩を震わせるジュリウスのことは見えてない、ガッチェスが同情するように肩をポンポンしてあげているのも気付いてない。ガッチェスさんマジ優しい。
「で? 頼みってなんだよ」
「あぅ、だから、その……。–––––頑張るから、次の街で一日……わ、私に付き合いなさいよ……」
腰まである黒髪を手で弄りながら、耳まで真っ赤に染めている。
表情は前髪に隠れてわからないが、その恥じらう姿が元の美少女という容姿と合わさり、思わず心を奪われそうになる。
「いきなり何を言い出してんだ、お前は。状況わかってんのか……?」
だが、そこはリュウ。
パンドラの言葉の意味も、その心情にも全く気付かずに、「このシリアスブレイカーめ」と呆れた眼差しを送っている。
「抜け駆けはズルいのですよぉ〜!? だったら私はぁ、ご主人様からの愛情たっぷりなぁ、頭なでなでを所望するのですよぉ〜!」
「あ、先輩まで!! じゃ、じゃあ私は、ぎゅーってして欲しいのです、にゃ……」
パンドラに続き、ミシェルとカンナもご褒美をおねだりしだした。
それを見たガッチェスは、「俺も貰った方が良いのか?」と意味不明な事を考え出し、ジュリウスが若干距離を取り出す。
「申し訳ないのですが、そろそろ限界が……」
「あぁ……!! ジュリウスさんが割とガチな顔で肩を震わせてるッ! よしお前ら、さっさと始めっぞ!!」
–––––
「クアハハハハッ! 喰らうがいい、『炎牙』からの『炎爪』ッ!!」
強靭な牙が『蓮炎』を纏い、大地をも噛み砕き、灰燼と化し、等しく無に帰す牙狼の王牙。
全てを切り裂く鋭利な爪は紅蓮に染まり、爆炎と業火にて影すら残さぬ一撃を放つ。
リオの一撃目の『炎牙』を避けたロキは、その隙を狙うかのように放たれた紅蓮の炎を纏った爪に襲われ–––––たように思えたが、それすらも難なく回避した。
「あれ? 思ったよりも大したことないね。それじゃあ、お返しだよ♪ 」
攻撃を避けられたことで体勢を崩してしまったリオの懐に、ロキの凶悪な蹴りが深々と突き刺さった。
「––––––ック!! クアハハ、なかなか面白いではないかッ!! だが、甘いわッ!!」
ガシッ! とロキの足を力強く掴み、そこへ渾身の肘鉄を撃ち込む。
それに反撃してロキが頭突きを、リオが回し蹴りを、魔弾を、拳を、と両者の攻撃が衝突するたびに空間が軋み上げ、大気が悲鳴をあげる。
しかし、リオの攻撃にも顔色ひとつ変えないロキと、ロキの攻撃が効いてしまっているリオとでは、もはや敗北は必然。
だが、リオはそんなことでは遅れをとらない。
例え相手が神であろうと魔王であろうとも、リオのやることは変わらない。
【我が主に勝利を捧げる】
敬愛なる主君のために、我が主君こそが絶対なる存在だと証明するために、リオは勝利を渇望する。
決して癒えることのなかったあの飢餓感から救い出してくれた彼女のために、己の命を使うと誓った、あの日から。
「我輩は、牙狼王 リオウルフであるッ! 喰らうがいい『煉獄の牙』!!」
地獄の底にまで轟く咆哮一つ。
天地を焦がす程の真紅の魔力が渦巻き、天に突き出したリオの拳へと集まっていく。
次第にそれは渦から一点の光へと変わり、収縮し、リオの拳と一体化した。
「緋龍の『蓮炎』と我輩の『魔狼の鉄槌』の究極合体奥義、その身でしかと受け止めよッ!!」
雄叫びとともに放たれたリオの最強の一撃が、今まさに神を討ち滅ぼさんと狡知の神髄へと襲いかかった。
それは空間をも捻じ曲げ、まさしく魔狼の王の牙と呼ぶに相応しい、全てを滅するものだった。
「へぇ、それが今の君の本気かい? –––––惜しい。君の力が完全であったなら、もう少し楽しめたんだろうね……」
しかし、相対するは万物を超越する神である。
それ故に–––––。
「弱者は弱者らしく、強者の前にひれ伏すものなんだよ」
ロキはスゥっと、流れるような自然な動作で片手をリオに向け突き出したあと、世界を凍てつかせる程に冷たい眼差しで呟いた–––––。
––––––『狡猾なる死神の鎌』
「ぬぐぅッ……!!?」
ロキが腕を横薙ぎに振ると同時、ガラスが砕け散るように凄まじい音を立て、世界が分かれた。
否、そう錯覚してしまう程に鋭く、ロキの一撃が空間を断裂したのだ。
「あははっ!! アレを受けてもまだ生きてるなんて、大したものだよ? 僕は殺すつもりだったんだけどなぁ〜♪」
とっさの判断で『煉獄の牙』を上空へ向けて放ち、その反動を利用して急下降を試みたのは、どうやら正解だったようだ。
「ふんっ……貴様なら縦ではなく横に来ると思ったのでな。砲撃や魔弾系の技であれば、そのままねじ伏せてやったものを……忌々しいではないか!」
しかし、リオもまた完全に無傷で回避できたわけではなく、その衝撃波と魔力の片鱗に触れただけでも体はボロボロ。
さらに、先程の文字通り全身全霊の攻撃により残る魔力も僅かばかりしか無く、すでに戦える状態ではなかった。
–––––それ故に、ロキは不思議でならなかった。
いくら精霊王級とはいえ、神にとっては取るに足らない相手に過ぎない。
ましてや、ロキにとっては盤上の駒と変わらぬ価値しか持たない精霊だ。
なのに、だ。
「く、ククッ、クアハハハハハッ!!!」
何故、未だこの精霊は不敵な笑みを浮かべていられるのだろうかと–––––。
「何がそこまで可笑しいのかな? それとも、ただ単に君の頭がおかしくなってしまっただけなのかな♪」
「クックック、いやなに、先程の貴様の言葉を思い出してつい、な!」
リオは腹の底から込み上げてくる笑いを堪えるのに必死と言わんばかりの態度で、今もなおクスクスと笑っている。
「確か、我輩の敬愛する主君を【駒】と呼んでくれたな? ならば貴様はさしずめ、クイーンの前に立ち塞がる愚者のポーンのようだな、と思ってな」
リオの馬鹿にするような視線と物言いに、僅かばかりロキの眉がピクリと動いた。
「へぇ〜、言ってくれるじゃないか……。神を愚弄したこと、後悔しながら死ぬといいさ」
ロキの顔から憎たらしい笑みは既に消え、感情を宿さぬ瞳をリオに向け、死神の鎌を愚者の首にかけるかの如く、ゆっくりと腕を突き出した–––––その時だった。
「良いのか? 我輩にばかり構っていては、愚王を討ち取られるやも知れぬぞ?」
「なっ–––––!?」
突如飛来してきた氷塊を魔弾で迎撃したかと思えば、同時にいつの間にか背後に音も気配も無く忍び寄っていた少女に斬り付けられ、擦り傷ではあるが、初めてロキが血を流した。
「ふんっ! さっきの仕返しよ、私たちを甘く見たことを後悔しなさい!」
なぜ地上から数十メートルも離れたこの上空にパンドラが現れたのか?
「パンドラちゃん、ぐっじょぶなのですよぉ〜! そこの憎たらしい神様にはぁ〜、痛い目にあってもらうのですよぉ〜?」
あらゆる攻撃をも耐えてみせたロキの防御を、なぜ突破できたのか?
「神は絶対的な力を持っていたとしても、不死身ではないということですな」
–––––さぁ、終局の一手だ。
「クアハハハハハッ!! なかなかに見所があるではないか! 我輩の主の主君なのだから、そうでなければな!!」
「ちょっと! 笑ってないで早く助けなさいよッ!! 『ミシェルの魔法に剣ぶっ刺してぶっ飛んで来い』だなんて、なかなか無茶なことさせるわね、あいつ……」
我ながらよく出来たものだと自分で自分を褒めるパンドラに、絶望的なまでの殺気–––––否、死そのものと錯覚するまでの狂気に歪んだロキの憎悪が襲いかかった。
「血……? この、僕が? 使い捨ての道具風情に、傷を……!? –––––許さない。許さない、許さない許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないッッ!!」
あまりにも恐ろしく、絶対的な死を連想させるそれに、誰もが思わず小さく喘いだ。–––––ただ1人と一匹を除いて。
「ばーかばーーか! 悔しかったらここまで降りて来いよ神様! それともなんだ?『 今降りたらボコボコにされちゃうから、お空に避難しておこう(ビクビク)……!! 』的なぁ–––––っぶねぇ!!?」
「小僧、作戦自体は悪くなかったが、何故パンドラ様なのだ? ん? 貴様が行けば良かったではないか? 我輩の主君を危険な目に合わせたのだ、覚悟はできておろうな?」
他人のことをシリアスキラーだとかブレイカーだとか言っておきながら、自分が一番シリアスさんを殺してきたことに自覚のない少年が、心の底から怒りが湧いてくるような幼稚な煽りをし、主君を大砲の弾の如く吹き飛ばし、砲撃代わりに使われたことに怒りを爆発させる狼が喰らいついている。
しかし、もはやその茶番すら視界に入っていないように、ロキの目は狂気を宿し、ギラギラと輝いている。
「リュウ殿! もはやロキには遊びなどと言う甘い考えはないと思ってくだされ! 貴殿のその余裕が、今は命取りですぞ!」
ジュリウスに一喝されるが、リュウの心境も穏やかではなかった。
–––––余裕? ふざけんな、そんなもん最初からねぇよッ!
こっちは暗闇の中を綱渡りしてるようなもんだぞ!!?
彼とて、目の前にある絶対的な死から少しでも気を逸らそうと虚勢を張り続けているに過ぎないのだ。
「–––––もう、終わりにしよう。お遊びはここまでだ」
ポツリと小さく呟かれたその言葉は、されどこの場にいる全員の耳に、いや、脳裏にまで響き渡るほど鮮明に聞こえた。
直後、再び大地は絶望に震え、大気は泣き喚き、一柱の神がその絶対なる力の片鱗を見せた。
「おいおい、マジかよ……!! ちょっとアレは予想外ッ!!」
天空に広がる無数の紋章、闇よりもなお暗い漆黒の魔法陣。
後に、吟遊詩人らはこう語る。
【–––––世界を闇が包み込む時、漆黒の凶星と共に神の断罪が下った】
大変長らくお待たせいたしました!
仕事の合間を縫って、やっとこさ完成しました……!!
ごめんよリオ、もっと君を活躍させてあげたかったんだが、あまりチート過ぎるのも……ね?




