第41話「不穏な影」
–––––リュートたちと別れてから3日。
あの後ガッチェスたちとも無事に合流でき、次の街を目指していた。
魔法王国 イルガンテ。
【リディリス大迷宮】への入り口があるのは、この大陸で最も発展した国と言われている魔法大国だ。
「イルガンテは日々、魔法や魔術の研究を重ねている。日常生活で使うものから命を奪うものまで……な」
馬車の荷台の中で揺られながら、ガッチェスはそう語る。
俺はガッチェスの膝の上に乗り、全体重を預け彼の懐に埋もれる。
どんなに馬車が揺れても微動だにしないガッチェスの懐は、とてつもなく快適で居心地が良いのだ。
「噂では、神級の魔術を編みだそうとしているとか……。神級レベルとなると、自然の法則すら操ることも可能になる代物ですが」
「そんなものに手を出そうなどとは、ほんっとーに愚かじゃな!」
ジュリウスが付け加えた情報を聞き、師匠は呆れたようにそう言った。
「今更なんですけど、闇の龍神が世界を滅ぼそうとしてるんですよね? それなのに、この世界の人たちは呑気過ぎやしませんか?」
グランヴェールでもそうだったが、みんな普通に生活していて特に慌てた様子も無い。
「闇の龍神自体が御伽噺でしか語られてないくらいだし、わざわざ混乱を招くようなことを公にするわけないでしょ……バカね」
「500年も時が経てば、人々の記憶からは消えてゆくものです。無理もありますまい……」
「そもそもぉ、各国のお偉いさん達ですら知っているのかが怪しいところなのですよぉ〜♪」
要するに、『世界滅びんのぉ? なにそれちょ〜ウケるんですけど(爆笑)』状態か。
「やっべ、なんか急に世界救うの嫌になってきた」
「ご、ご主人ッ!? お気を確かにッ!!」
冗談だって、本気にすんなよ。
「む、むぅ……」
「そんなことを言うな、リュウ。お前にとっても、大事な使命なんだろ。機嫌を直せ」
ガッチェスに頭をぐりぐりと撫でられながら、顔をずいっと近づけてきたカンナの頭をモフる。
カンナの髪? というか毛か?
すっげぇふわふわなんだけど、なにこれずっと撫でてたい。
「なによッ! 私とカンナに対しての態度の差が激しくないッ!? 私の頭なんて撫でたことないくせにっ!!」
「はぁぁぁ?? なんで俺がお前の頭を撫でるんだっ!べーっ!」
「どういう意味よッ! わかったわ、耳と尻尾が良いのねッ!? ミシェル、魔法で獣人の姿にしてちょうだい!!」
「パ、パンドラちゃん、落ち着いて欲しいのですよぉ〜」
騒がしい奴だなぁ……。
「なんだ、パンドラも撫でて欲しいのか?」
「いやぁ、ちょっと違うと思うのですよぉ〜……」
パンドラを撫でようとしたガッチェスの手はペシっと軽く払い除けられ、「違うのか?」と少しバツの悪そうな顔を浮かべる。
「ところでリュウ、俺が鍛えた武器はどうだ? 扱いに困ってないか?」
「んー、やっぱり少し重いですね……。身体強化の魔法無しじゃ振り回すので精一杯です」
俺のこの体のサイズじゃ、せっかくの刀も太刀になってしまう。
「無理に腰に携えるよりも、今度からは背中に背負おうかと考えてますよ……」
俺がそう言うと、ガッチェスは真剣な表情で思考を始めた。
「そうか、背中にか……。なら、鞘のこの部分を改良して、背中からでも抜刀しやすいようにしてみよう。そうすれば腕の負担も減り、抜刀時に刀身が引っかかる事も無くなるだろう」
鞘の背の部分を指差し、スラスラと改良案を挙げていく。
そんなガッチェスを前に、俺はただ首を縦に振るしかない。
「–––––リュウ、人を斬ったのか」
オルシオンの刀身を見たガッチェスから、そう不意に問いかけられた。
「……剣を見れば分かる、魔物や獣とは違う脂が染み付いてるからな」
「–––––何よ、気に入らないの?」
俺が何かを言うよりも早く、パンドラが立ち上がりガッチェスに噛み付くようにそう言った。
「当たり前だ……自分の打った剣で人が死ぬのは、あまり良い気はしない」
ガッチェスの鋭い眼光がパンドラを見やる。
馬車を引く馬の蹄の音と荷車の音だけが、この重たい空気に響き渡る。
「リュウ、必要だったのか?」
パンドラと睨み合ったまま、ガッチェスはそう俺に問いかける。
「–––––あぁ、必要だ。俺はこれからも斬るぞ、ガッチェス」
「そうか……わかった」
即答。
「え、わかったんですか?もうちょっと叱ってくれても良いんですよ?」
俺の答えになんの不服も言わず黙ったガッチェスに、俺の方が驚いてしまった。
「お前にはお前の考えがあるのだろう。俺の価値観をお前に押し付けたくは無い」
そう言って目を瞑るガッチェス。
「ふんっ」
パンドラもそっぽを向きながらドカッと座り込んだ。
2人の顔をオロオロと見つめるカンナと、パンドラに寄り添うように座るミシェル。
全く興味がなさそうに大きなあくびをする師匠と、黙々と書物を読み耽るジュリウス。
何やら異様な空気が漂い、先ほどの発言を少し後悔する。
だが、あれが本心だ。
ああ言う悪党はこの世界に必要無い、だから排除する。
–––––自分でも傲慢だと反吐が出る、俺も奴らと同じだ。
「なぁ、リュウ」
再びガッチェスが口を開き、ゆっくりを俺の頭を撫でる。
「お前の父親–––––ルシフェルとは、長い付き合いでな」
思い出を静かに語るように喋るガッチェスの顔を見上げると、彼は少し微笑みを浮かべていた。
「それこそ、あいつがクヌ村に定住する前からだ。何度も依頼で世話になったし、何度も奴の剣を鍛え直した」
「俺は人付き合いが苦手だが、奴とは不思議と打ち解けられた。奴の考え方が好ましかったのもある」
「どんな相手にも情を向けるやつでな、決して人に剣を抜かない男だった。時には、魔物にだって剣を収めたこともあったな」
「お前がどれだけ人を殺めようとも、俺は何も言わん。だが、奴はあまり良い顔をしてくれないだろうな……」
ポンポンっと俺の頭を撫でると、またバツの悪そうな顔を浮かべる。
「まぁ、何が言いたいかだが……親元を離れたお前に、父親のことを教えてやれるのは俺ぐらいだろうからな。奴のことも、少しは気にかけてやってくれ」
そう言って不器用に笑うガッチェス。
彼が何を言いたいのかは、大体理解できる。
だからこそ、彼に対して罪悪感を覚えている。
「……考えときます」
俺は再びガッチェスの懐に埋もれ、瞼を閉じた–––––。
–––––
「……匂うのぅ」
日も沈み始める頃、不意に師匠がそう呟いた。
「え、何がです? まさか俺ですか!?」
やっぱり水浴びくらいじゃ匂うかな!?
あぁ、早く宿で風呂に入りたい……。
「違うのじゃ愚か者! 普段から強化魔法で周囲に警戒せぬかッ!!」
す、すいませんでしたッ!!
うへぇ、叱られるとは思わなかった……。
「–––––あれ? おかしいな……」
魔法が発動しない……?
「なに!? どうしたの!?」
「あ、いや! なんでもないッ! ––––我に眠りし獣の力よ、今ここに目覚めよ『身体強化』!!」
よし、なんとか詠唱短縮なら発動できた。
けど、なぜ無詠唱で発動しなかった……?
–––––いや、今はそれどころじゃないな。
俺は思考を断ち切るように首を振り、スンスンと鼻を鳴らした。
「これは……鉄と煙? ––––違う、血だッ!!」
急いで辺りを見回すと、森の奥から煙が上がっているのが見えた。
「急ぎましょうご主人! まだ間に合うかもしれませんッ!!」
「あぁ、わかった! カンナならすぐにあそこまで行けるだろ? 先に行ってくれ!!」
「リオ、あんたも一緒に行って!!」
「承知、行くぞ小娘」
カンナとリオが凄まじい勢いで駆け出し、俺たちもそれに続いて馬を走らせた。
–––––
「なんだよ、これ。なんで……こんな」
血と煙と、何かが焼ける匂い。
それがする方へと向かった先にあったのは、無残にも焼け焦げた–––––かろうじて集落のようなものとわかる瓦礫の山。
そして、
「酷い……」
真っ黒に焼け焦げた、ここに住んでいたであろう村人たちの死体だった。
「一体なにが、魔物か?」
いや、魔物に襲われたのであれば喰われた死体があるはずだが、見当たらない。
「悪い、少し気分が……」
今まで人を斬ってきた奴が今更って感じだが、死体には慣れない……。
それに、この匂い。
あぁ、ダメだ……少し馬車で休もう。
「ちょっと、しっかりしなさいよ!」
この野郎、気分悪いのに頭叩いてくるなよ。
「すまないが、少し休ませてくれ……。パンドラ、先に来たカンナとリオを探して来てくれないか? あいつらなら無事だとは思うが、もしかしたら何か見てるかもしれない」
俺がそう言うと、パンドラは心配そうに俺の顔を覗き込んだ後、村の奥へと進んで行った。
ミシェルはいつの間にかいなくなっている。
一人で行動するのは危険だと、後で言い聞かせなくては……。
「……何か言いたそうですね、師匠」
隣で座っている師匠は、訝しげな顔で俺を見ている。
「妾が言うことではないのじゃ、お主自身で気づくほかあるまい」
「はぁ、そうですか……」
何を怒っているんだろうか?
そんなことを考えているうちに、パンドラとミシェルが先に来ていたカンナとリオを連れて戻って来た。
「ご主人ッ!大丈夫ですか……?」
カンナはすぐに気遣ってくれて、優しいなぁ……。
誰かさんとは違って。
「……なによ」
なんでもねぇっす。
「–––––それで、カンナ。ここに着いた時、村はどんな感じだった? 出来るだけ詳しく教えてくれ」
「は、はい! 私とリオさんが来た時には、すでに村はこの有様で……。あ、ですが! 村の奥にある森の方へと進む人影を見ました! すぐにリオさんと追ったのですが、見失ってしまい……」
カンナとリオが見失う?
「アレはただの人間では無い。この我輩から匂いも気配も瞬時に消すとはな。なにやら異様な雰囲気であったが」
カンナとリオによると、真っ黒いローブを纏いフードを深く被った人影が、村の奥にある森へと姿を消したようだ。
「わかった、ありがとう。ひとまず、先に村の様子を見て回って、生き残ってる人がいないかを調べてみよう」
村人の墓も作ってあげたい。
このままにするのは、やはり気が引けて仕方ないからな……。
–––––
「この体じゃ、穴を掘るだけでも一苦労だな……」
村人の墓を作るために穴を掘り始めたが、なかなか作業が進まない。
村人全員分となると、先が見えない。
「大丈夫か? 代わろう」
そんな時、ガッチェスが声をかけてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「なに、気にするな。俺も村人をこのままにしておくのは反対だからな」
ガッチェスはそう言いながら、どんどん穴を掘っていく。
「だが、魔法で穴を開けたほうが早いんじゃないか?」
いや、まぁそうなんだが……。
「それはなんだか、少し違う気がして……。魔法で簡単に手早く作ってしまったら、気持ちを込められないじゃ無いですか」
「ふむ、気持ちか……一理あるな。–––––お前の父親も、同じことを言うかもな」
そう呟くと、ガッチェスはまた作業を再開した。
ガッチェスはこの村人たちに、どんな想いを抱いているのだろうか。
感情をあまり顔に出すような人ではないが、今は少し険しく感じる。
「私も手伝いましょう、人手は少しでも多い方が良いでしょう?」
「ジュリウスさん、ありがとうございます」
「あ、ご主人! 私も手伝いますよッ!」
獣人のカンナに師匠の眷族のジュリウスさん、それと鍛冶で鍛え上げられた筋肉を持つガッチェス。
うん、さっきよりもずっと早い。
あとは近くで手向けられる花があれば良いんだが……この有り様じゃな。
「よし、そろそろ村人たちをここへ運んで来てください。私とカンナさんが墓穴を作っていくので、ガッチェス殿とリュウ殿は埋葬をお願いします」
「わかりました、お願いします。カンナ、大丈夫か?」
「も、もちろんです! このくらい、へっちゃらです!」
カンナも村人の変わり果てた姿を見て、結構精神的にきているみたいだな。
「顔色が悪いぞ、あまり無理すんなよ?」
「だ、大丈夫……です」
カンナのことが心配だったが、ガッチェスに呼ばれたので俺はその場を離れた。
「あ、ご主人様なのですよぉ」
「あら、リュウとガッチェスじゃない。どうしたの?」
日が暮れる前に離れている所から取り掛かろうと思った時、パンドラとミシェルがいた。
どうやら2人で村の様子を見て回っていたらしい。
「どうだ? 何かわかったか?」
「それがさっぱりなのよね。家は無残な瓦礫の山に変えられてはいるけれど、中を荒らされた様子はないし、何かを探していたってわけでも無さそうね」
「やっぱりぃ、魔物の仕業なのでしょうかぁ〜?」
収穫無し、か。
「なぁ、家の中には村人はいたのか?」
「いいえ、誰もいないけれど? みんな外にいたみたいね。なんでそんなこと気にするのよ?」
やっぱり、何かがおかしいな……。
家の中に村人がいない理由として考えられるのは、何かから逃げようとしていた?
だとすると、やっぱ魔物か?
なら、カンナとリオが見た人影は……?
「そういや、あの人影についてわかったことはないか? 村の奥の森に進んで行ったみたいだが、向こうには何かあるのか?」
「あぁ、それなら今リオに調べさせてるわ。そう言えば、なかなか帰ってこないわね」
リオなら大丈夫だとは思うが、万が一ということもあるか。
「あ、帰ってきたみたいよ!」
「なんだ、やっぱ無事だったか。––––ん?」
村の奥から颯爽と駆けてくるリオの姿が見えた。
–––––その背中に乗っている少年の姿も。
–––––
「ねぇ、良い加減なにがあったのか話してくれない? ずっと黙ったままじゃ、何もわからないんだけど?」
リオが連れてきた少年は、どうやらこの村の生き残りのようだ。
森の奥で呆然と立ち尽くしていたのを見つけ、何をしているのかなどを尋ねたが、ずっと黙り込んでいて喋ろうとしなかったのでひとまず連れてきたそうだ。
「おい、パンドラ! この子は村で起こったことを見てるかもしれないんだぞ!? もう少し考えてものを言えよッ!!」
「まぁまぁ、2人とも落ち着いて欲しいのですよぉ〜!」
こいつはもうちょっと他人の気持ちを尊重できないのかッ!?
家族や顔見知りの人たちが、目の前で死んでるんだぞ!?
そりゃ塞ぎ込んでしまうのも仕方ないだろ!
「リュウ、パンドラ。今ここで言い争っても仕方がないだろう。先ずは村人たちを埋葬するのが一番だ。その子にも、気持ちを整理する時間が必要だしな」
「……それもそうね。私が悪かったわ、ごめんなさいね」
パンドラは少年の頭をそっと撫で、頭を下げた。
俺もちょっと、感情的になりすぎたな……。
「けどぉ、どうやって運びましょうかぁ?」
「そうだなぁ、この状態だと触ったら崩れてしまうかもしれないし……。かと言って、風の魔法で運ぶのも難しいしな」
そうだ、氷の魔法で殻を作った後で風の魔法で運ぶか。
そうすれば、傷つける心配もないな。
あまり死んだ人の身体に魔法を使うのは、よくないだろうけどな……。
「ごめんなさい。貴方の体に魔法を使うことを、どうか許してください」
氷の魔法で殻を作ろうと近づいた–––––その時だった。
「リュウッ!!」
突如、村人の身体が赤い光を放ち出したと思えば、凄まじい爆音と光が辺りを包み込んだ。
それはあまりにも突然で、一瞬の出来事だった。
俺はただ、目の前が光に包まれるのを見ていることしかできなかった–––––。




