第19話「異世界商店」
「–––––眠い……」
穏やかな朝日が街を色付け始める、まだ日も出始め間もない時間にフラフラと歩く青い長髪の少年の姿があった。
一つ結びで止めた髪をゆらゆらと揺らしながら、街ゆく人々の横目を気怠そうに通り過ぎて行く。
そんな少年–––––リュウの隣を嬉しそうに歩く少女が、ニヤッと笑みを浮かべて上機嫌に声をかける。
「ご主人様ぁ〜? 今日は初めて二人きりでお出かけなんですからぁ、もっと喜んでもいいのですよぉ〜?」
「あのなぁ、ミシェル。言っとくけど、これはデートじゃないからな?」
ミシェルと呼ばれたクリーム色の髪をふわふわと揺らす少女は、きっぱりとデートでは無いと言いきられ不満そうに頬を膨らませた。
「珍しくパンドラちゃんがいないんですからぁ、もうちょっと夢を見させてくれても良いじゃないですかぁっ!」
「別にパンドラと二人でもデートじゃない、勘違いするなっ」
ふいっとそっぽを向くリュウに対し、やれやれと言った感じで首を振る。
「この国で少しでも情報を集めようって言ったのはお前だろ?–––––パンドラは面倒くさがって来なかったけど」
「あははぁ……パンドラちゃんはぁ、エリノアちゃんと戦いたいって言って聞かなかったんですよぉ〜」
ミシェルとパンドラにとっては何百年ぶりかの外界だから、毎日が楽しいのは分かるのだが……。
パンドラの手綱を握るのは難しいと、リュウもミシェルもやれやれと肩をすくめた。
「–––––あっ!アレですよ、ご主人様ぁ!せっかくの長旅なのでぇ、あそこでお買い物しておきましょうっ♪」
「……見るからに高級店だな」
リュウとミシェルの前に、見るからに貴族御用達といった感じの大きな商店が目に入った。
《ワタル商会》と言う名前が書かれた大きな看板を掲げた商店は、朝焼けに照らされてその存在感を増している。
「–––––この名前……」
この世界には似つかわしくないその名前を見て、リュウに少しばかりの緊張感が走った。
そんなリュウの様子には気づいてないミシェルが意気揚々と小走りで店の扉に駆け寄り、リュウの方を振り返りながら扉を開けた。
ガランガランっと扉に付いたベルが音を立て、その音に気づいた店主がこちらを見る。
「ご主人様ぁ、入りましょうよぉ〜っ!」
ミシェルはリュウの腕を掴み、店内へと踏み込んだ–––––。
「–––––これはまた小さいお客様がいらっしゃいましたね♪ ようこそ、ワタル商会 グランヴェール支店へ」
「あ、どうも。おはようございますっ」
眼鏡をかけた穏やかそうな店主が、店に入ってきた二人を歓迎してくれた。
茶髪の優しそうな青年という意外と普通の見た目に驚きながらも、リュウは店内を見渡す。
「何か気になることや商品があれば、いつでもこのベルを鳴らしてね」
そう言って店主は店の奥へと入って行き、リュウとミシェルだけが残った。
「とりあえずお店の中を見て回るのですよぉ〜♪」
「あ、あぁ……そうだな」
どこか歯切れの悪い返事をするリュウに首を傾げ、ミシェルはニコニコと店内を回り始めた–––––。
–––––
「–––––凄ぇなっ! これキャンプグッズじゃねぇか!? こっちはカレーのルーかっ?! マジでなんでもあるなっ!!」
前世にあった物とは多少形は異なるが、異世界に存在していることに驚きを隠せない。
その高額な値段にも驚くが、異世界の便利なアイテムが手に入るのであれば目を瞑れるという物だっ!
–––––興奮しっぱなしのリュウに対し、ミシェルは首を傾げ続けていた。
それもそのはず、彼女にとって初めて見る物であるが故に使い方がわからない。
リュウと同じ興奮を得られないことに不満なのだ。
「よっしゃッ!ミシェル、予算が許す限り買いまくるぞっ!!」
だが、目をキラキラとさせてはしゃぐリュウを見て、そんな気持ちはすぐに消えた。
「もう、ご主人様ったらぁ♪ はしゃぎすぎなのですよぉ〜♪」
その様子を聞き、奥にいた店主が再び顔を出した。
「おや、必要なものはあったかい?」
「はい!コレとコレ、あとアレと–––––」
店内にある色々なものを指差しながら言うリュウに、店主は少し驚きつつも精算してくれる。
「–––––よし、どうもありがとうね! 商品はどうするんだい?もしかして、アイテムボックスを持ってるのかい?」
「それならお任せあれなのですよぉ〜!それぇ〜っ!」
購入した商品を奇跡の箱に次々と放り込んで行くミシェルを、店主は興味深そうに見る。
「へぇ〜っ!アイテムボックスや収納袋とはまた違うようだね!凄いじゃないかっ!」
へへんっと得意気なミシェルの頭を優しく撫でながら、店主は疑問に感じていたことを口にする。
「君たちみたいな子どもだけで来るお客さんは珍しいね、誰かにお使いを頼まれたわけじゃないみたいだしなぁ……」
「俺はまぁ子どもですけど、ミシェルは–––––むぐっ」
それに対してリュウが何かを言いかけるのを、ミシェルが勢いよく口を抑えて静止した。
『乙女の年齢を軽々しく口にするのはダメだぞ〜?』
呆れた声でリュートにそう言われてミシェルを見ると、しーっと人差し指を口に当て冷たい笑みを浮かべていた。
乙女の秘密は墓場まで–––––だ。
「あ、そうだーっ! ワタル商会のワタルって人の名前なんですかねーっ?!いやぁ、珍しい名前だなぁっ!!」
わざとらしく慌てて言うリュウに店主は目をパチクリとさせ、クスッと笑いながらも答えてくれた。
「あぁ、そうだよ? ワタル商会は随分と昔にワタル様が作ったものさ。今はお孫さんが商会のまとめ役なんだ」
「この商品とかも全部ワタルさんが作ったんですか?」
「あぁ〜、どうだったかなぁ? 奥方様が有名な発明家だから、こういうのは奥方様の発明したものだったはずだよ。二人とも僕が生まれるよりも前に、この世界に召喚された異世界人なんだよ」
その言葉にリュウは様相が当たったと納得し、ミシェルは訝しげに眉をひそめる。
「異世界っておとぎ話みたいに聞こえるだろうけど、実際に他にもたくさんの偉人がいるんだよ。–––––たしかに世の中はどんどん便利になっていってるけど、本当にこのままで良いんだろうかって時々考えるんだ……」
その予想外の反応に、リュウは驚いた。
異世界の技術をどんどんこの世界に組み込んで行くことで、技術力が上がって行くのは良いことだと思っていた。
だが、すぐにその予想外な理由に気付く–––––。
「僕が子供の頃はね、この国に貧民区なんて呼ばれる場所は無かったんだ。けど、急激な技術力の進歩によって職を失う人が増えてね……。貴族と平民の差もどんどん激しくなっていってる、難しい世の中になったもんだよ」
–––––皆が皆、この急激に変化していく世界について行けていないのだった。
「おっと!なんだか暗い話をして悪かったねっ。君たちも貧民区には近づかない方が良い、気をつけるんだよ?」
店主は優しくリュウとミシェルを見送り、二人はお礼を言って店を後にする。
この世界への疑問を拭えないまま–––––。
–––––
「ふーん、別に私たちが気にする必要ないんじゃない?」
ファーレンガルド公爵家に戻ってきたリュウとミシェルの話を聞いたパンドラは、心底興味ないと言った感じだった。
「あんたが気にする必要ないわよ、何かできるわけでも無いんだしっ」
「むぅっ!そんな言い方ないじゃないですかぁ〜!」
「あんたねぇ……他の国どころか世界中がそうなってるかもしれないのよ?私たちには地位も名誉も、権力も無いの。今すぐ同行できるってわけじゃ無いのよ」
パンドラとミシェルに言い合いの隣で、エリノアも不甲斐ないと言った顔で座っている。
「貧民区の問題は、お父様や国王様も長年頭を悩ませている……。この国では奴隷制度がないから、自分で仕事を見つけなければならないのも問題の一つだろう」
「–––––異世界人、ねぇ……」
湖に投げられた小石で波紋が広がるように、この世界にとっての異物である異世界人が及ぼしてきた影響は計り知れない。
考えているよりも深刻な状況に、この世界は向かっていっているのではないだろうか。
リュウは少しばかり、この世界にそんな不信感を覚える。
『それだけじゃないよ〜?異世界人の物理的な力もかなり危険だからっ!これからの旅で、必ず僕らの脅威になるよ?』
脳内に響くリュートの声に、リュウも静かに肯定する。
「–––––まぁたしかに、今気にしてもどうこうできる問題じゃないってのはパンドラと同意見だな。俺たちだっていつまでもこの国にいるわけにもいかないし、そういうのは専門家に任せる方が良いだろ」
–––––だが、とリュウは言葉を続ける。
「俺たちにできることがあれば、可能な限りのことはやろう。エリノアが好きな国なんだろ?だったら、俺らも協力は惜しまないぞ」
その言葉にパンドラとミシェルはクスッと微笑み、エリノアは気恥ずかしそうに顔を伏せる。
「ありがとう、気持ちだけで十分だっ! –––––まったく、とても年下とは思えないな」
その言葉にリュウはただただ、苦笑いを浮かべるしか無かった。
「–––––そうだ、パンドラ。エリノアと戦ってみてどうだった?」
「ぐっ……負けたわよ……っ!」
リュウからの急な質問に、パンドラはバツの悪そうな顔でボソッと呟いた。
「逆にあんた、よく勝てたわね?正直言って、今の私じゃ何回やっても勝てる気がしないわ……っ!」
「パンドラちゃんが素直に認めるなんてぇ〜、珍しいのですよぉ〜?」
エリノアのベッドに顔をうずめながら唸るパンドラをニヤニヤと嘲笑うミシェル。
その様子をやれやれと言った感じで肩をすくめるリュウたちを見て、エリノアは心底羨ましいと感じた。
大好きだった兄が家を出てから、エリノアはずっと孤独感に苛まれていた。
対等に渡り合える実力者も、ましてや話し相手もいない。
ようやく現れた好敵手であるリュウとも、もうしばしの間の関係だと思うと少し寂しい気持ちもある。
–––––このままで良いのだろうか?
モヤモヤとした心を抱えたまま、この三人と別れてしまっても……。
「どうした?浮かない顔だなぁ。そんな顔してると、負けたパンドラが可哀想だろ?」
「ちょっとっ!一言余計なのよっ!!」
「エリノアちゃん、悩みがあるならいくらでも聞くのですよぉ〜?」
「あっいやっ!なんでもない、気にしないでくれっ!」
そう言いながらも、エリノアは心の中で密かに願う。
–––––どうかもう少しだけ、このままでいさせて欲しい……と。
–––––
「おねえちゃん、お腹すいたよ……」
–––––薄暗いテントの中で、小さな体で身を寄せ合う子供たち。
その中の一人が、か細い声で呻くように呟いた。
もはや誰が呟いたのかすらも判別できないほど、子供たちは心身共に弱りきっている。
–––––何故こんな目に遭わなければならないのか?
他の子供たちよりもひと回り大きな少女は、世界の理不尽さに拳を握りしめる。
もはや涙すら流れぬほどに少女の体も弱ってきていた。
「–––––待っててね、お姉ちゃんが絶対になんとかするからっ」
少女は力無く立ち上がり、ボロボロのテントを背に歩き出す。
「–––––はやく……なんとかして集めなきゃっ」
朝日に照らされた少女の頭部にある猫耳が、彼女が獣人種であることを証明する。
ボロボロのフードを被り、少女は貧民区から大通りへと向かう。
かつての平和な暮らしを切望し、故郷へと帰るために。
飢えや恐怖に苦しみ続ける仲間のために。
「待っててね、みんな……絶対に助け出すからっ」
フラフラとおぼつかない足取りで大通りへと辿り着いた彼女に、皮肉にも穏やかな朝日に照らされた街が目に入る。
街行く人々が彼女に向ける厳しい眼差しに萎縮しながらも、目的のためにも再び歩き始める–––––。
「誰も助けてくれない……私がなんとかしなきゃっ」
極東の地へと帰るために、彼女は今日もギルドへと足を運ぶ。
–––––
「これ、で……10匹っ!!」
グランヴェールのはずれにある森で、少女はクエストをこなしていた。
ここ最近は魔物の動きが大きく変わり、数が激減していた。
そのため日銭を稼ぐのですら困難になり、貧民区で暮らす人々の仕事もだんだんと減ってきている。
「こんなこと繰り返しても意味ない……もう時間がないのにっ!!」
魔物の返り血を浴びながら素材を解体する少女の目には、大粒の涙が流れ落ちていた。
–––––少女の脳裏に、あの日の出来事が蘇る。
閉鎖的な獣人種の大陸【天ノ夜月】のとある村で、神を祀るために行われる祭典の日–––––事件は起きた。
どこからともなく現れた盗賊たちにより村は壊滅。
盗賊たちの異常なまでの強さに獣人種はなす術もなく、国から祭事のために出向いていた巫女である少女たちも囚われ、奴隷商人へと売り払われてしまった–––––。
奴隷商は逃げるように天ノ夜月から遠く離れたこのグランヴェールに流れ着き、何かを企んでいるようだった。
少女は囚われた仲間たちを解放する条件として、莫大な金額を稼がされていた。
もし条件を満たせなければ少女もろとも娼館や貴族たちに売り払われてしまう、そうなれば本当に手遅れになってしまう。
少女は今日も決死の思いで働き続ける。
だんだんと絶望に染まっていく心を押し殺しながら–––––。




