誰がために 其ノ八
しかし、吸血鬼はユリアの言葉を無視して、自ら電塊の鞭を両手で掴んでいる。青い電気が彼を一気に飲み込んだのは言うまでもないだろう。にもかかわらず、苦しそうな声を上げながら抵抗し、ついには、その鞭を引き千切っている。
赤月時雨の奇行に驚いているのは、妹やユリアだけでなく、美咲もまた同じだった。さらには、身体から青い光を迸らせ近づいてくる彼を見て、美咲は思わず後退っている。
「……約束しただろ」
痙攣している身体を必死に動かし、美咲の元へ足を引きずっている。
そんな彼の眼には、涙が浮かんでいた。
「いや、もういや……来ないで」
「美咲やめてっ!」
ベッドの上で壁の隅に追いやられた少女の目は、もはや吸血鬼など見えてはいないだろう。それは、彼女の目を涙が覆っていたからではない。むしろ、乾き切った美咲の目には、涙すら浮かび上がってはいなかった。きっと、彼女の目に見えている人物は――
「私に――私に触れないでえええぇぇぇ!」
吸血鬼の眼に浮かんでいた涙を一瞬で蒸発させ、悲しき閃光が走り抜ける。
それでも、歯を食い縛ったまま白眼を剥いた赤月は、痙攣する腕を伸ばす。
「忘れたなんて言わせねえ……!」
『あなたは、その勇敢さと強靭な肉体を大きな武器としている。それ故に、自分の身体を傷付けることに慣れてしまっているようにも見える。……だから。だから、一人ですべてを抱え込もうとしないと、約束してくれるかしら?』
『一つ条件があるけど、いいかな?』
『条件?』
『美咲さんも、同じ約束をして欲しい』
『わかったわ、約束よ』
『じゃあ、俺も約束する』
自分の胸を押し返す、か細い美咲の両腕。
それを自分の首に回すようにして、吸血鬼は最後の力を振り絞る。
「……約束――――したじゃねえか」
無理矢理抱き締められた避雷針美咲は、嘘のように大人しくなり、力なく赤月時雨にその身を委ねた。どうやら、気を失ってしまったらしい。そして、体中から白い煙を上げる吸血鬼は、彼女を自分のベッドに、そっと寝かせる。
「お兄ちゃん……どうして」
まだ痙攣している兄は、ぎこちない表情で妹に答える。
「ユリアの前では言いづらいけど、美咲さんの血をかなり取り込んでたんだよ」
それだけで全ての状況が飲み込めたのか、避雷針家の長女は吸血鬼の胸に頭を預けた。
「ありがとう、しーくん」
この言葉には、妹を止めてくれたことに対する感謝の気持ちが溢れている。
――そう、今だけでなく、赤月は夜にも美咲を止めていたのだ。
「夜に気絶されかけた時、あの男の元に行くんじゃないかと思ったんだ。自暴自棄になっていたから、咄嗟に止めようとした」
避雷針美咲のくちづけは、赤月時雨との決別の意味が込められていたのだろう。そして、青い悲しみを流し込まれ気を失いかけたものの、なんとか彼女の首筋に牙を突き立てたのである。
「女心には鈍感なくせに、なんでそういうのはわかるんだか。――それにしても、相当な量を吸ったみたいね」
美咲の首を確認した夜宵は、いつも通りの兄を見て、すっかり普段の彼女に戻っている。兄が落ち着けば、自分も調子を取り戻すことができる。そういうところに関しては、彼と同じく単純な面もあるようだ。
「少しでも吸血量を減らしてたらヤバかったかもな。借り物の力じゃ、本人の電塊を打ち消すのも十分にできなかったし」
サードバレットから迸る青い閃光地獄から解放された吸血鬼兄妹は、ホッとした表情を浮かべていた。が、その一方で、ユリアは深い溜め息をついた。
「私は、姉失格ね」
枕元に腰かけた避雷針家の長女の髪は、どこか疲れたように乱れている。
「そんなことねえだろ。ユリアがいなかったらどうなっていたかわからない。それにお前の方こそだいじょ――」
首を振るようにして、避雷針ユリアは吸血鬼の言葉を遮る。
「しーくんが美咲を止めてなかったら、あの男に何をされていたかわからないでしょ。そもそも、ここまで追い詰められてたことをやっちゃんから聞かされて、初めて知ったなんて……」
兄の腕の火傷痕、つまりは昨夜、電塊で打ち抜かれた箇所を確認しながら、小さな吸血鬼が問う。
「形がどうであってもユリアが美咲さんのことを大切に思ってるのは痛いほど伝わったわ。……しっかりしなさいよ」
避雷針家での出来事を目の前で見た夜宵の視線は、赤く腫れ上がったユリアの手の甲に注がれている。精神的に不安定だった美咲を抑え込んだ兄吸血鬼。彼に加え、冷静かつ適切な方法で美咲の救済を図った妹吸血鬼。性格が正反対に見えるようでいて、その根底にあるものは似通っているのかもしれない。
「――しーくんは、どこまで知ってるの?」