誰がために 其ノ五
コツン――と、フォークが床に落ちる音が吸血鬼の耳に届いた時には、茶髪の美少女が抱きついてきていた。ブラウスの下で窮屈そうにしていた大きな胸が押し付けられているものの、そんなものを気にしている場合ではない。あの避雷針美咲が――彼女らしからぬ行動を取っているのだから。
「好きなの!」
――数秒の沈黙。
それなのに、何分間もそれが続いたかのような感覚に襲われる。
「……赤月君のことが好き」
「……え」
「私と一緒に…………寝て?」
上目遣いをして唇を重ねようとしてくる美咲。それを見て顔を赤く染めた赤月は、逃げるように彼女の肩を掴んだ。
「なんか変だって……どうしちゃったんだよ」
「――私のこと、嫌い?」
勇気を出したキスを拒まれたせいか、美咲の目には涙が浮かび始めていた。それを見た赤月は思わず眼を逸らす。そして、彼の頭の中に過ったものは――
「碧井さん?」
「……」
――バチッ、という音と共に部屋の電気が消え去る。
ハッとしたように美咲に視線を戻した吸血鬼は、自分の眼を疑った。悲しみが姿形を成したはずの涙。それが、今や強い感情の光を帯びていたのだ。
「二人でいる時くらい……私のことを見て」
大粒の涙が赤月の腕に落ちていく。青い光を帯びた雫が走り抜けたと思った時には、彼はベッドに仰向けになっていた。避雷針美咲が覆い被さるように、彼の上で涙をぽろぽろと零している。
「もう嫌なの……私を、私をあなたのものにして」
「美咲さん……」
涙が連なり、彼女の綺麗な顔を滑るようにして流れている。そして、その悲しみの雫は、ひとりの少女の首を伝っていく。美咲の頬に触れた吸血鬼の手。その指先が濡れた道を追っていくと、彼女の首を撫でるようにして止まった。
「俺には話してくれないか?」
「――――何を?」
気が動転しているのか、可愛らしく瞬きをしながら彼女は問う。
「これを付けたのは、彼氏……なんだろ?」