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氷中花  作者: 綴奏
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青眼の蜘蛛 其ノ五

「ちくしょう!」

 考えるよりも先に身体が動き出していた。

 左手の甲を鋭い爪で切り裂き、その傷口に二本の指を当てて振り切る。すると、血液が指先を追うように流れ出し、それが刀の形状に凝固していく。

 しかし、その戦闘スタイルを初めて目にしても、動揺をみせる糸車椿ではなかった。

 美咲に気を取られている彼を追う椿は容赦なく短刀を振りかざす。真っ赤な刀でそれを受け止めた赤月は、自分の腕の肉を噛み切って大きく頭を振った。  

 その口を追うように流れでる血液は、真っ直ぐ地面へと向かっていく。既に繰り出されていた椿の蹴りは、突如地面に深く突き刺さった血柱に阻まれる。

「邪魔すんじゃ……ねえっ!」

 刀を思いきり弾き返した赤月は美咲の元へと走り出したものの、何かに背を引かれると、思い切り蹴りを食らって吹き飛ばされてしまう。

 けれど、地面を滅茶苦茶に転がっていく赤月時雨はホッとした表情をしていた。

 蹴られる直前に見た光景の中で、既に救出された美咲がはっきりと確認できたのだ。一人で立ち上がっているところからして、大きな怪我もないだろう。

「他人の心配か?」

 赤月が身体を起こすと、先ほど彼が生成した血柱を振りかざす糸車椿の姿があった。が、それはガラスのような音を立てながら、細かく砕け散っていく。 

 この時、赤月の瞳が一瞬赤くなったことに糸車椿は気づいたようだった。しかし、最後の抵抗も虚しく、首に短刀を当てられた彼には、もはや打つ手はない。

 どんな状況でも彼の視線一つ見逃さない二刀流の美しき蜘蛛。

 ――次元が違い過ぎる。

「質問の答えを聞こうか」

「俺は……」

 苦しそうに口から血を滴らせる赤月は歯を食い縛りながら椿を睨み付けた。この理不尽な戦いと執拗な質問、そして、美咲を助けにいく邪魔をしたこと。その全てが心の中で渦巻き、彼は完全に頭に血が上っていた。

「俺は…………絶対、ESPになんてならねーよっ!」

 赤月の心の叫びがグラウンドに響き渡り、別のエリアでざわついていた生徒たちも静まり返った。ESP5二名の前で、多くの生徒が見学しているグラウンドで、彼は社会的に見て異常な発言をしている。それも大声で、だ。

 そんななか、心臓を握られているような気分の赤月時雨と、いつでも彼の命を奪える糸車椿との間に、緊張感のある沈黙が流れる。

「……そうか」

 そういって微笑んだ椿は、彼の首に当てていた短刀を下げて立ち上がる。

 そして、すぐ近くの本部席を睨み付けた。

「同じく、私もESPの入隊を拒否する」

 本部席に脚と腕を組んで座っていた副大佐は、相変わらずニヤニヤしながら、赤月たちを見つめている。いや、正確に言うならば、糸車椿を、だ。

 どうやら、椿もESP入隊を断り続けていたらしい。

「……ふーん、そっかそっか。困ったもんだねー」

 が、その一方で、一番空気を読まなければいけない立場の人間が空気を濁す。

「よく言ったね。僕は君たちの勇気に感動したよ」

 美咲を助け出したと思われるフィフスバレットの男は優しげな声でそう言った。あろうことかESP5の人間がそんなことを言うものだから、赤月はもちろん、椿でさえ呆気に取られている。その言葉が気に障ったのか、副大佐はフィフスバレットの金髪を引っ張りながら去って行く。

 緊張感で凍りついていた空気が一瞬で砕け散ったせいで、今まで感じたこともないような、微妙な空気が漂っている。その空気を払うかのように、最初に動き出したのは糸車椿だった。

「――先程はすまなかった」

 椿が手を差し出してきたが、警戒している赤月はその手を避けるようにして立ち上がった。彼女は少し残念そうな顔をすると、その手を引っ込める。

「君は、簡単には口にしないだろう」

 赤月は口元の血を乱暴に拭いながら、椿の言葉に一応は耳を傾けている。彼女のおかげで自分の気持ちをはっきりと再認識できたのも、また事実なのだ。

「君の考えがおかしいなどと思わない。私も同じ考えを持っているからな。強い人間はESPに入隊するのが常識とされるが、社会が勝手に作り出した幻想に縛られるだけが生き方ではないだろう。ただ……君の覚悟を知りたかったというだけで、ここまでの狼藉は許されることではない。もう二度とこんな真似はしないと、ここに誓おう」

 再び差し出してきた椿の手を見つめた赤月は、彼女の本心を疑いながらも、その手を取った。

「……椿さん、俺は何の意味もなく力を行使する異能者を軽蔑します。だけど、あなたの今の言葉を信じたいという気持ちもある」

 上級異能者に臆することなく、赤月は伝えたい気持ちをはっきりと口にする。

「この手を取ったのは、俺に本物の刃を向けたことの帳消しと、その約束を守って欲しいという意思表示だと思ってください」

「それは嬉しいな、約束は守ろう。時雨君、もっと本気を出してくれても構わなかったのだが、君は優しいのだな。それと、君の噂を知らなければ、あそこまでのことは当然しなかった。それだけは忘れないで欲しい」

 あれが本気であったと思われていない。この少女も弱い人間の立場を理解できない人間なのだろうか。赤月は心の中で自分に問い掛ける。

「……椿さんが思っているような実力はありませんし、あれも本気でした」

「そうか、噂というものは尾ひれがついてしまうものだしな。君がそうだと言うなら、それを信じよう。周りのどの言葉よりも、君の言葉の方が信頼できそうだ。勘違いをしてすまなった。……それじゃ」

 ――きっと、この少女であれば、いつかわかってくれる。力が無いことがどれほど惨めで、辛いことなのかを。しかし本当のところは、そう思っているようでいて、そう思いたいだけなのかもしれない。そんなことを考えながら、赤月は真剣な眼差しで糸車椿の背を見つめていた。


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