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氷中花  作者: 綴奏
89/165

誰がために 其ノ四

 

 ◆

 

「とりあえず、上がってくれよ」

 赤月時雨の言葉が暖色の明かりを玄関に点す。初めて赤月家に足を踏み入れる避雷針美咲。彼女はどこか知らない世界にでも迷い込んだような表情をしている。

「妹さんに悪いわ……」

「チビトリオはお泊まり会をやってるから、いないんだ」

 赤月の言うチビトリオとは、夜宵、三日月、忍の三人のことだ。さすがにボロアパートで三人は泊まれないので、比較的キレイな蛇アパートに集まっているのだとか。ちなみに夜宵と三日月に比べると、忍はだいぶ大きいのでチビではない。恐らく彼にとっては涼氷より小さければ、その人物はチビに該当するのだろう。実に理不尽極まりない判断基準だ。

 なにはともあれ、美咲を自分の部屋に案内した吸血鬼は、飲み物を取りにキッチンへと向かっている。妹もいないとなれば美少女と二人きりだというのに、赤月時雨は普段と変わりない。緊張気味の美咲とは大違いだ。

 グラスに氷を入れ、夜宵が満タンにしておいた麦茶を注ぎ、お盆に手を掛ける。しかし数秒考えた後、梨をひとつ掴んでカットし始めた。時期的に、もう終わりに近いが、彼なりのもてなしの気持ちなのだろう。夜宵のように洗練された形状にはならなかったものの、滅多に包丁を握らない彼にしては上出来だった。そして、やたらのんびりと手を動かしていたのにも、理由がある。

 ――そう、電話ができなくとも、せめてメールなどを送る程度の時間を作るつもりだったのだ。


「悪いな、久し振りに果物なんて切ったから時間かかっちまった」

 夜宵の部屋に入る時でさえノックしない赤月が、実に丁寧に、それをしてから自分の部屋へと足を踏み入れた。普段の彼を知らない美咲だからこそ、変には思わないだろうが、彼の妹がそれを見ようものなら気持ち悪がっただろう。

「そんなに気を遣ってくれなくていいのに」

 テーブルの前に正座している美咲は大分調子を取り戻しているらしい。困ったような顔をしながらも微笑んでいる。

 ――お盆を置いてグラスに手を伸ばしながら、吸血鬼は言う。

「ラクにしていいって。ここに座ろうぜ、この部屋は座布団がないからさ」

 手招きをしながら、赤月はテーブルのすぐ横にあるベッドに腰を下ろした。少しだけ恥ずかしそうにした美咲ではあったが、素直に彼の横に並ぶように座り直す。

 しばらくの間、この部屋には誰もいないかのような沈黙が流れていた。スマホが持ち主を呼ぶ声も聞こえてはこない。

「――あのさ」

 静寂を破った吸血鬼を黙らせるように、彼の口元には美咲の手が伸びた。

「え……っと、美咲さん?」

 彼女の手にはフォークに刺さった梨がある。どうやら食べさせてくれるようだが、涼氷と違っていきなり口に突っ込むわけでもなければ、からかっている様子もない。どちらかというと、恥ずかしさと何か別の感情が混ざった雰囲気を漂わせ、小さく震えていた。

 美咲は顔を真っ赤にして、小さな口を開けたまま、吸血鬼の横顔を見つめている。一度は戸惑った赤月ではあったが、眼の前に出されたのなら食べる――ただそれを行ったに過ぎない。しかし、フォークを手元に戻さない美咲を見て、彼は咀嚼を止めた。

 締まりのない顔で震えている美咲は――ある意味怖かったのだ。おまけに小刻みに震えるフォークを握っている彼女の手には、力がかなり込もっている。梨を飲み込む音が響くなか、吸血鬼はそっと彼女の手に触れた。

 もちろん、自分に向けられたままの鋭利な食器を下ろすためだ。

 しかし、この行動が思わぬ方向に、状況を一転させることとなる。


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