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氷中花  作者: 綴奏
88/165

誰がために 其ノ三

 

 ◆


「あのパスタ屋さんには入ったことがなかったけれど、とても美味しかったわ」

「ん――ああ、美味しかったよな」

 映画館を出てから、どうも赤月の反応はいまいちだ。確かに、碧井涼氷が映画館を出て行く際も、母親らしき人と不自然な距離を保ったままだったのは気になる。しかし、デートをしているというのに、これでは台無しである。

 心ここにあらずの男子と一緒にいるのは辛いものだろう。誘った側ならば特にそう感じてもおかしくはない。深い溜め息をついた美咲は、ヒールの音を響かせながら言った。

「少し、歩かない?」

「おう――そうだな」

 美咲の後を追うようにしてついて行く吸血鬼は、せっかくの夜景を見るどころか俯き気味だ。なんだか彼女を怒らせた情けない彼氏にしか見えない。高層ビルの明かり。アミューズメントパークの光。足元や木々に幻想的な輝きを与えるライト。雰囲気を出すために最低限の照明しかない広場に行き着くと、辺りはカップルで一杯だった。美咲も無意識に足を進めていたらしく、それに気づくと、ヒールの音も小さくなっていく。

 この頃になってやっと、赤月時雨の注意は美咲に向けられていた。――いや、正確に言うならば、彼女の鞄の中に、だ。普通なら気づけないだろうが、彼の耳はそのバイブレーションの音を捉えていた。

「美咲さん――電話出なくていいのか?」

 前を歩く茶髪の少女からの返事はない。それどころか、聞こえない振りをしながら離れていこうとしている。

「――なあ、遊園地で見たんだけど、あの人って」

 青い光が迸った時にはもう、恋人たちを祝福する明かりたちは姿を消していた。

 そう、赤月時雨の、その言葉が、この世界のスイッチを切ったのだ。突然、光源を失った恋人たちは不安げな声で囁き合う。そして、手探りでお互いを確認している。そんななか、吸血鬼の眼には、はっきりと映っていた。

 ――まるで銃口を突きつけるように、彼の首に二本の指を向ける、避雷針美咲。冷静なはずの彼女が目を見開き、苦しげに浅い息遣いをしている。

「何を――言っているのかしら」

 その声は、信じられない程に震えていた。伊原ヒロと戦わざるを得なくなった、あの時よりも、強い恐怖に飲み込まれている。彼女の目を見ただけで、赤月時雨には、それがわかった。

「俺は……」

 赤月が美咲の手に触れた瞬間、色を失っていた彼女の目から、青い火花が散った。それと同時に、彼女の指先から青い弾丸が暴発している。しかし、吸血鬼は瞬時に彼女の手を下げたため、首に電塊を食らわずに済んだ。その代わり、彼の左腕は強い衝撃を受けたように、大きく後ろに弾かれた。

 ――半袖から覗く吸血鬼の左腕には、丸い火傷痕が残っている。

「知らない……私は何も知らない。私は――――誰も知らないわ」

 もはや避雷針美咲の目は、現実を見てなどいなかった。目の前に赤月時雨がいることすら、忘れているように思える。

 ――このままでは、まずい。スマホのライトで辺りを照らし出したカップルたちが、青い火花を散らし始めた少女のことに気づき始めている。そしてついに、吸血鬼は覚悟を決め、美咲を抱き締めた。身体の自由を一瞬奪われる程度には感電してしまったが、それでも赤月は彼女の耳元で囁く。

「大丈夫だ、誰にも言ってない」

 静電気に誘われるように膨らみ始めていた長い髪。それらが落ち着きを取り戻していく。その様子を確認すると、赤月は彼女を抱き上げて走り始めた。いわゆる「お姫様だっこ」というやつだ。

「赤月……君」

 驚いた表情を浮かべてはいるものの、少しだけ正気に戻ったらしい。自分が恥ずかしい格好で運ばれていることに気づくと、可愛らしい動きで抵抗し始めた。しかし、それは逆効果で、彼女を抱える吸血鬼の腕に、より一層力が込められる。

「いいから……じっとしてろ」

 少し怒っているようでいて、どこか優しさを感じる、彼の言葉。

 そして、以前は、あまり美咲に向けることのなかった、雑な言葉。

 遠いはずだった赤月時雨の腕の中にいる、避雷針美咲。

 厳しい表情で走り抜ける吸血鬼。

 それを見上げている彼女は、一体何を思っているのだろう――


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