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氷中花  作者: 綴奏
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誰がために 其ノ一

 

 夏休みも残り数日となった今、日本中の学生たちは、どう過ごすのだろう。ずっと後回しにしてきた宿題の山に取りかかるのか、そのまま見て見ぬ振りをするのか。いや、既に任務を終えた真面目な生徒の方が多いはずだ。そうであると願いたい。

 では、あの黒髪の吸血鬼は、どちらにあたるのだろうか。なんとなく、その答えはわかりきっている気もしなくはない。――しかし、そんなことがどうでもよくなるような光景が、赤月家にはあった。なんと彼は、スマートフォンの画面を見つめながら震えているのだ。ドタドタと足音を立てて階段を駆け下りたかと思いきや、キッチンに立っていた妹吸血鬼の腰にしがみつく。

「夜宵! 美咲さんから映画に誘われた!」

 胡瓜を千切りにしていた妹は手を止めると、足に纏わり付く埃を見るように言った。

「……だから何よ?」

「涼氷になんて言ったらいいんだ?」

 自分より二十センチ近く背の高い高校二年生の兄が、腰に抱きついている。この事実が気持ち悪くなってきたのか、夜宵は離れろと言うように腰を揺すり始めた。

「お兄ちゃんって、碧井先輩と付き合ってないわよね?」

「俺に彼女なんてできるわけないだろ」

「なら碧井先輩に言う必要ないじゃない。どうしてそう思ったのよ?」

 妹の腹に顔を埋める兄。そして、数秒考えた後、彼は答えた。

「わからん」

 ――ダンッ、という音と共に胡瓜が理不尽な八つ当たりを受ける。再び難しい顔になった兄は、その様子に気づいていない。

「下手したら、俺が彼氏に殺されてもおかしくないだろ……」

「え!? 美咲さんって彼氏いるの!?」

「いや――知らないけど」

 音は響かなかったものの、無音の殺意が兄吸血鬼の首に向けられた。

「お兄ちゃん――冷やし中華の具材にされたくなかったら、どっか行って」

 妹が自分を傷つけるはずがないことを知っている赤月は、銀色の刃物を前にしても平然としていた。それどころか彼女の腹周りを遠慮なく触っている。

「お前、なんか太ったか?」

 年頃の女子にそれは禁句である。それに太ったというよりも、出るところが出て、少しばかり女性らしくなったと言った方が正しい。どう見てもAマイナスだった赤月夜宵の胸は、Aカップにまで成長しているというのに。

「うるさい! この十三センチ物差し!」

「おい、いきなりリアルな数字あげてんじゃねーよ!」

「うるさいうるさいうるさいっ!」

 この直後、下から蹴り上げられた赤月時雨は、泡を吹いて失神している。どうやら、吸血鬼の中でも丈夫な彼でさえ、急所ばかりはどうにもならないらしい。そんな情けない&デリカシーのない吸血鬼の手から落ちたスマートフォン。その画面には、魔法の言葉が、青春のおまじないの言葉が、浮かび上がっている。


『よかったら、夕方にでも映画を観に行かない?』


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