花裂く夕刻 其ノ三
レッドアイの類似品を使用し、赤月時雨に留まらず、黒崎学園の人間までも無差別に巻き込もうとした上級異能者。あの危険人物が自分を助けた。その事実が信じられないという顔をしていたユリアであったが、すぐに教師としての顔に戻る。
「伊原君、この子をお願い――」
一教師として、人間として、伊原ヒロへの信頼を示す避雷針ユリアの言葉。きっと、不安がなかったと言えば嘘になるだろう。けれど、どんな生徒にも平等に接しようとしてきたユリアは、彼を信頼したかったはずだ。セカンドバレットでも、『荊棘迷宮』でもなく、ひとりの人間として伊原ヒロを見ていた。だからこそ、彼女は涼氷が消えていった方向へと走り出すことができたに違いない。
――黒布は走り去る彼女に触手伸ばしたものの、またしても蔓で触手を弾かれると、完全に伊原を標的と見なしたようだった。突然現れた少年を飲み込もうとするように、白い触手を四方八方に伸ばし始めている。その様子に全く動揺することなく、セカンドバレットは言った。
「――お前は、行かないのか?」
化け物のような黒布の人物と、過去に地獄絵のような戦闘を繰り広げていた薔薇の少年を目の前にした蛇少女の声は震えている。
「あ、あんな気持ち悪いやつの横なんか通れるわけないでしょ!?」
このとき既に、伊原の蔓と黒布の触手は絡み合い、お互いの動きを封じ込めていた。焦る様子もみせないセカンドバレットは、ただただ気怠そうにしている。
複数本の白い触手の間を縫うようにして動きを封じていた伊原の蔓は二本。つまりは彼の両袖から一本ずつ伸びているものだけだった。その一方でさらに触手を増やした黒布は、無防備になった茶髪の少年の身体を貫こうとする。
無表情の伊原がポケットに突っこんでいた片手を黒布に向けたかと思うと、強く拳を握った。すると、彼の蔓の絞め付ける力が一気に増したらしく、黒布はバランスを崩しセカンドバレットへの直接攻撃を外している。
――その直後、グロテスクな音が小川のせせらぎを一瞬だけ掻き消した。
状況が状況なために、仕方無いのかもしれない。けれど、人、もしくは人のような何かが殺されるシーンをその目で見てしまった忍は、声にならない悲鳴を上げた。伊原の腕の動きに引かれるようにして触手ごと地面に叩きつけられた黒布は、身体中の骨が折れているかのような体勢で停止している。
蔓を袖の中に戻していく伊原は、何事も無かったかのように黒布に背を向けて歩み始めた。忍は気味の悪い死体の側に置き去りにされたくなかったのだろう。慌てて彼を追い掛けて行く。
「ちょっと、こんなとこに一人にしないでよ!」
その声に振り返った伊原は駆け寄る忍に腕を真っ直ぐ突き出したかと思うと、彼の袖口から伸びた蔓が彼女の両腕を捕らえた。
確かに、伊原ヒロの雰囲気は赤月と戦闘を繰り広げていた時とは全く違うと思えるものがあった。恐らくは忍もそれを感じ取ったからこそ、彼について行こうとしたのだろう。先程もユリアを助けていることから、以前の彼よりは危険性も少ないと思える。しかし、それは不気味な黒布から逃れたいと思う人間の、都合の良い解釈だったのかもしれない。黒布の触手が目の前に迫った時でさえ無表情だったセカンドバレットが、忍に蔓を伸ばした時には、鋭い視線を向けていたのだから。