落ちる花火 其ノ八
その言葉を耳にした瞬間、赤月の眼付きが鋭くなるのと同時に、石を弄っていた涼氷の手も止まった。一度肺に煙を入れてから、吐き出すようにして便利屋は続ける。
「君の血液がどうとかは知ったことではないし、あくまでも今回のお詫びとしての情報だ。役に立つかどうかはわからないが、何かと面倒事に巻き込まれる君は知っておいて損はないだろう」
大抵の面倒事にはお前たちが絡んでいる――と心の中で叫んだ吸血鬼ではあったが、一応は冷静に口を開く。
「俺のことじゃないとなると、あれを利用するイレギュラー、もしくは伊原のことか」
「その通りだ」
赤月たちが溺れるような豪雨が襲ったとは思えない程に爽やかな山の風が、彼らの間を流れていく。金髪を靡かせる便利屋が吸殻を缶ビールに落とすと、ジュッ――という音が沈黙を破る。
「私たちは情報屋でもあるからな。レッドアイを服用したイレギュラー、そして類似品を服用した荊棘迷宮が、君と戦闘をしたことも知っている。それらを含め、私が出した統計から、とある仮説が生まれた」
座り込んでいた涼氷は、寄り添うようにして赤月の横に立ち上がる。
「あの薬物は能力が弱い、もしくは能力を上手く発揮できない者に適応し易い。その一方で、セカンドバレットのようにほぼ完成し切っているタイプが服用すると、能力向上よりも副作用の方が相対的に大きくなる」
あの時の状況を思い出そうとしているのか、吸血鬼は考え込むように視線を足元に落とす。
「――この人の言っていることは強ち間違いではないかもしれません」
ずっと黙っていた涼氷が口を開くと、再び風が彼女の青い長髪を泳がせた。赤月自身も涼氷と同じことを思っていたらしく、珍しく難しい顔をしている。銀行を襲撃したムカデ男といい、三日月を誘拐したボーガン男といい、下級異能者の彼らの力はかなり厄介なものとなっていた。それでも、二発目を注入することがなければある程度の意識は保っていたように思える。
それに比べ、レッドアイの類似品に過ぎない薬物を一発だけ服用した伊原ヒロは、力を増したものの、冷静な判断力をしばらくの間失っているように見えたのだ。
「実は私もあの戦闘を見させてもらっていたのだが、下級異能者よりも荊棘迷宮の力の伸びは小さく感じられた。さらには通常のイレギュラーがレッドアイを服用し過ぎたレベルの副作用――」
嫌なことを聞いたというように、涼氷は溜め息交じりに青い髪の毛先を弄り始めた。そんな中、吸血鬼は未だに疑問の表情を浮かべている。
「それはわかったけど、なんで俺の役に立つんだ?」
すると、涼氷が自分の髪の束で赤月の頬を擽り始めた。
「何かとレッドアイと接点がある赤月くんの周りには、セカンドバレット並みの力を持った人間がいます。仮に彼女たちがレッドアイを打ち込まれでもしたら――どうなると思いますか?」
ギルベルタ・フィンガが情報提供をしてきたことの真の意図を知った赤月時雨は絶句した。もし、類似品ではなく、本物のレッドアイを椿や美咲が身体に取り込んでしまうことがあれば、考えたくもないような副作用が引き起こされるだろう。
「それに、運が良かったとはいえ荊棘迷宮を打ち負かした君にも、その危険性は十分ある。オリジナルだからといって、手を加えられた薬物が君に害を及ぼさないとも限らない。もし今後、イレギュラーやレッドアイに遭遇することがあれば気をつけておくことだ。その点に気づいているのは私だけではないかもしれないからな」
缶ビールの腹を握り潰した便利屋は二本目の煙草に火を点しながら去っていく。その一方で、そこに残された吸血鬼は拳を河原に叩きつけた。
「くそっ! なんなんだよ、俺の血は……」
再び振り上げられた左手は地面に叩きつけられる前に時を奪われ、白くて細い両手に包まれた。呪われた運命に絶望する吸血鬼の側にしゃがみ込んだ碧井涼氷は、彼の手を抱き締める。
「赤月くんの血を悪用する人間がいるだけであって、あなたの存在は何も否定されません。だから、今はできることをしませんか? 避雷針さんと糸車さんに説明する時は、私も一緒にいますから」
やり場のない怒りに息を荒げていた吸血鬼は何度か深呼吸をすると、今できることの最善策を示してくれた時の異能者と視線を交わす。
「――ありがとな」
優しい表情を少し取り戻した赤月時雨は、涼氷の手を引くようにして立ち上がる。すると、相変わらず元気一杯の蛇の少女が、こちらへと駆けて来るのが見えた。
「ねー! いっぱい焼けたよー!」
串に刺さった食べかけの肉を手にした忍は、口元をタレで汚している。そして、彼女のもう片方の手には、ひとりの少女の手が繋がれていた。
「ほら、ちゃんと謝れば許してくれるって」
グイッと引っ張られて赤月の前に立たされた麻彩・アイスナは、俯いたまま小さな声で言った。
「さっきは……ごめん……なさい」
それを聞いた吸血鬼が手を上げるものだから、麻彩は強く目を閉じる。けれど、赤月が彼女を叩くはずもなく、ピンク色の頭を優しく撫で始めた。
「俺も殴ろうとして悪かったな。――お前さ、水切り得意なのか?」
驚いたように顔を上げた麻彩は反応に困った様子だったが、ゆっくりと頷く。襲撃してきた時に三日月の影が受け止めた石。その全てが水切りに適した物だったのを彼は気づいていたのだ。
「なら、飯食ったら少し相手しろよ。忍じゃ相手にならなかったからな」
「――別にいいけど、手加減しないから」
変人でも見るような目付きに変わったピンク色の少女は、少しだけ普段の小生意気な雰囲気を取り戻した。その一方で、いつも通り絶好調の上羽巳忍は金色の頭を赤月の前にズイっと突き出す。
「――忍、何やってんだお前」
金髪の少女の代わりに、青髪の少女が答える。
「こうして欲しいのでしょう」
その直後、スパーンという痛々しい音と共に、蛇の少女の悲鳴が河原に響き渡った。