落ちる花火 其ノ六
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「あ……赤月君?」
暗くなり始めた川辺で目を覚ました美咲は、自分の横で座っている吸血鬼を不思議そうに見上げている。既に水を吐き出したものの、すぐに眠ってしまった彼女は何が起きたのかまだ把握できていないのだろう。
「美咲さん、みんな無事だからもう少し横になってていいぜ?」
そうはいっても、自分の格好に気づいた美咲はそれどころではなかったらしい。それもそのはず、彼女はバスローブ姿なのだ。
「あの……これって」
「ああ、それは貸してもらったんだ。それと――俺はこんな格好だけど我慢してくれると有難い」
トランクス姿の赤月は気まずそうな顔をしたが、自分が溺れたことを覚えているであろう美咲は特に気にしていない様子だった。それはいいにしても、吸血鬼はどこから説明しようかと悩み、くしゃくしゃになった黒髪を掻き毟っている。
「あの人たちは誰? 溺れていた子の家族……でもなさそうね」
「……あいつらは便利屋だ。犯罪にも手を出すようなやつらだけど、ここでは土地の所有者に頼まれて毒キノコを回収していただけらしい。この時期はアウトドアに慣れてない人が来るから誤って食べちまうことがあるんだってさ」
それを聞いて真面目の塊である美咲が黙っているはずがない。ついさっきまで気を失うようにして眠っていたにもかかわらず、身体に青い電気を帯び始めている。
「ちょっと待ってくれ。今回はあいつらのおかげで助かったのも事実なんだ」
吸血鬼が指差した先にいる包帯を顔に巻いた大男は、バーベキューセットで丁寧に肉を焼いていた。その後ろでは忍が木の枝で突きながら早く焼けと無理な注文をしている。しかし、美咲が見ているのはその様子ではなく、彼の筋骨隆々の腕だった。
「あの男の火傷痕って……私が?」
大男の腕には燃え盛る蛇が巻き付いたかのような火傷痕が浮かんでいた。
首を横に振りながら、吸血鬼は言い難そうに答える。
「いや、あれは俺がやった」
驚いた表情になった美咲は自分の首元に手を伸ばす。彼女が指先で何度もなぞっている箇所には、確かに二つの赤い穴が空いている。
「勝手に血を飲んだのは本当に悪いと思ってる。――ごめんな」
「そんなことないわ……むしろ嬉しい」
その言葉に疑問を覚えた赤月は、困ったような顔をして美咲の顔を覗いた。すると、急に頬を赤らめた彼女は視線を逸らす。
「そんなことより、あの男は異能者? 赤月君が電塊の鞭を使ったのだとしたら、彼は感電していることになるわ」
「あれでも正常者だ。電塊の鞭を伸ばしたはいいけど、狙った枝まで届かなかった。けどその時、あの大男が感電を覚悟で鞭を掴んでくれたんだ」
先ほどの赤月の説明通り外見も犯罪者そのものの大男が、おかしなことに今度は忍と三日月に突かれながら飲み物の支度をしている。犯罪を犯すような人間でありながら、危険を顧みずに自分たちを助けた。その事実が美咲を混乱させるのも頷ける。
「よくわからないのだけど、赤月君がこうしているのだから――信じていいってことなのね?」
少し意外そうに眼を見開いた吸血鬼は、凛々しくも優しい笑顔をみせて答えた。
「ああ、何かあっても俺が何とかするから」
それを聞いた美咲は今日一番の笑顔で答える。
「その言葉をあの時に聞きたかったものね」
「げ……結構気にしてんだからやめてくれよ」
能力測定時の模擬戦――つまりは美咲が伊原ヒロと戦う直前のことだった。
『美咲さん、何かあったら俺の名前を呼んでくれよ。もし生きていたら、助けられるかもしれないし。身体だけは頑丈だからさ』
赤月自身も感じていることではあるが、本当に頼りないセリフだった。とはいっても、相手があの黒崎学園のセカンドバレットなのだから、仕方がなかったのかもしれない。そんな彼が、今や何の迷いもなく「何とかする」という言葉を口にできるのは、伊原ヒロを倒したからではない。『荊棘迷宮』に勝てたのもまぐれだと認識している吸血鬼が自信を持つことができた理由。それは、自分はひとりではないと気づいたからだ。
夜宵と寄り添いながら歩いてきた、暗くて真っ赤な過去は一生付きまとうだろう。しかし、今はそんな自分たちを信じてくれる友人たちがいる。それだけで――彼らを守ろうとすることで、自分は強くなれる。その気持ちが、『赤時雨』と忌み嫌われる吸血鬼に自信を持たせたのだ。
「お取り込みのところすまないが、君と話したいことがある」
暗闇の中から二人の前に現れたのは、金髪の外国人女性――便利屋GMCの代表であるギルベルタ・フィンガだった。彼女がただ者ではないと一瞬で見抜いた美咲は警戒心を剥き出しにしたものの、赤月の手が自分の肩に触れた途端に雰囲気が落ち着いていく。
「言ったろ? 大丈夫だからもう少し休んでてくれよ」
そう言って立ち上がった吸血鬼は渡されたカーゴパンツを履き、ギルベルタの煙草の火に誘われるようにして彼女の後をついて行く。
「赤月君!」
美咲の声を聞いて立ち止まった赤月が、ゆっくりと後ろを振り返る。
「――ありがとう」
黒髪の吸血鬼は優しく微笑むと、特に返事をすることもなく再び足を進め始めた。