落ちる花火 其ノ二
◆
住宅街が次々と過ぎ去っていき、徐々に緑が増えてきてからも、電車は吸血鬼たちを山奥へと運び続ける。既にくたびれている涼氷の手を引きながら駅に降り立った赤月は、空気のおいしさに顔を輝かせた。夜宵もユリアもスパリゾートなんかより、たまには大自然を堪能すべきだと彼は思っていたが、どうも女子の趣向というものは、男子にはわからないものらしい。
そんな中にも、日に焼けることも厭わない、元気な女子は存在する。短い和服の裾をヒラヒラさせながら改札の方へと駆けて行く三日月。それをはしゃぎながら追い掛ける忍。まだ川遊びもバーベキューも始めていないというのに、彼女たちのテンションはマックスに達していた。
「大変ね、色んな子の面倒を見なくてはいけないのだから」
気持ち良さそうに深呼吸をしている美咲。彼女は、青い顔をしてしがみついている涼氷とは反対側から、吸血鬼に声を掛けた。
「まあ、大丈夫だろ。涼氷が行きでバテるのも想定済みだったしな」
「――それで、そんなに買っていたのね」
美咲の視線は赤月の手からぶら下がっているビニール袋に注がれた。その中でスポーツドリンクと水がそれぞれ三本ずつ、窮屈そうに汗を流している。各々で飲み物は持参していたし、いくらコンビニエンスストアが遠いとはいえ、そこまで買い込んでいることに疑問を感じていたのだろう。
「――あ」
木の葉が一斉にざわめき、大きな風の波が押し寄せると、青髪少女の麦わら帽子がさらわれていった。すると、バチッ――という音と共に現れた青い何かが、それを引き戻す。
「熱中症になったら困るでしょ」
「……ありがとう」
感謝しているのかしていないのかわからない表情でそう言った涼氷は、しっかりと麦わら帽子を被り直した。そんななか、危険な光を放つ電塊の鞭が消え去っていく様子を、吸血鬼が見つめている。あまりにもまじまじと見つめられたものだから、微かに頬を赤らめて美咲は言う。
「赤月君、どうかしたの……」
不思議そうな顔をしたまま、いきなり美咲の手首を掴んだ赤月は眼を見開いた。
「やっぱり。……何で感電しないんだ?」
確かに、電塊の鞭を使用したばかりの美咲の左手は、まだ青い電気を帯びていた。その腕に触れたというのに、吸血鬼の身体には何の異変も見られない。
「――姉のことを詳しく知っているのだから、気になってもおかしくないわ」
首を振るようにして、茶色の長髪と緑のドロップピアスを揺らした少女は続ける。
「常識的に考えて、電気が流れることのできる条件を満たせば、当然それに電気が流れてるけれど、私の場合はそうならないよう電塊をコントロールできるの。そうもしないと、碧井さんの帽子だって黒焦げになってしまうわ」
吸血鬼が手にしているビニール袋の中をガサゴソと漁り始めた涼氷。それを気に留めることなく、赤月は納得したように頷き始めた。
「確か、美咲さんが上級異能者になれたのは電塊を扱う精度が大きな要因だったな」
「そうね――一応忠告しておくけれど、電塊を上手くコントロールできない姉に下手に近づくと、命に関わるから気をつけた方がいいわ。あの人、電圧・電流の大きさに関しては私よりも上なのよ」
「……なんとなく、それはわかるかもしれない」
生きたスタンガンのような女教師、避雷針ユリア。おまけに冷静な美咲とは対照的に感情の起伏が激しいため、彼女が言っていることは強ち冗談でもないだろう。修学旅行での一件を思い出した赤月は、寝惚けたユリアに殺されていた可能性が十分にあったことを思い知り、顔を青くしている。
――と、ここでいきなり吸血鬼の呻き声が響き渡った。
「ちょっと、碧井さん!?」
突然の出来事に慌てた美咲ではあったが、赤月が手を上げて大丈夫だと彼女を制止した。そして、鼻血を出している吸血鬼は碧井涼氷の手からスポーツドリンクを奪い取ると、雑な開け方をして彼女の手に押し戻す。
「弱ってるからってそんなもんも開けらんねえのかよ……。てか、どうしたら俺の顔に肘鉄を食らわせることになんだ……」
流石の涼氷もわざわざ鼻血を出させる程の赤月弄りはしない。すぐさまハンカチを取り出して赤月の鼻に当てがうものの、躓いた拍子にペットボトルから零れたスポーツドリンクで自分の手をベタベタにしてしまっている。
「あ、俺ハンカチ持ってたんだけど……またお前のやつ汚しちまったな。とりあえず、あそこで手洗ってこいって。――いや、別に飲んでからでもいいけどさ」
結局、涼氷は一口だけスポーツドリンクを飲んでから、駅にあるお手洗いへ、ぱたぱたと駆けて行った。必死に鼻を押さえている吸血鬼を美咲が心配そうに覗き込もうとしたとき、三日月の手を引いて戻ってきた忍の大声が響く。
「あかつきー!」
「今度は何だよ!」
まだ若干涙目の赤月が振り返ると、蛇に捕獲された昆虫が彼の視界にどアップで映り込んできた。
「セミ―! ほら、可愛いでしょ?」
あまりにも顔に近づけてくるものだから、嫌そうに顔を反らしながら吸血鬼は答える。
「なまこ、よりはな。……それにしても女子なのによく掴めるな、お前」
「みーたんも触れるよ?」
忍の横にいる三日月をよく見ると、彼女も蝉を優しく掴んでいた。蛇の少女に捕獲されている方とは違い、こちらの蝉は大して暴れる様子もない。
「おっ、三日月も取れたのか」
「――いっぱい」
何やら誇らしげに赤月を見上げていると思いきや、その言葉の意味に気づいた忍は顔を引きつらせ、手にしていた蝉を思わず放してしまっている。それを不審に思った赤月が忍の視線の先にあるものを眼にした途端、じりじりと後退さった。
「三日月……頼むから」
――放すなよ、と言う直前に解放されてしまった無数の蝉たち。それはもう、彼らはここぞとばかりに羽ばたく羽ばたく。
「なんでこんなになるまでほっといたんだよ、しのぶっ!」
「影が蝉取ってるなんて気づくわけないじゃん! いやあああああっ!」
赤月と忍が見たもの――それは三日月の影が数えるのも嫌になるくらいの蝉を両腕一杯に抱えている姿だった。恐らくはその捕獲技術に絶望し、彼らは抵抗することを諦めてしまったのだろう。大人しくしているというよりもむしろ、大人しくしていないと何をされるかわかったものじゃない、といった恐怖を感じ取ることができたくらいだ。
そんな蝉たちが思った通り、影の異能者はただ者ではなかった。吸血鬼と蛇の高校生が蝉の体当たりと鳴き声の嵐に巻き込まれて悲鳴を上げている一方、三日月だけは桜吹雪や粉雪にはしゃぐ女の子のように、その中で踊っている。顔に蝉が当たろうとも、一ミリも表情を崩す様子すらない。
忍が蝉を持っていることに気づいた時点で距離を置いていた美咲は、呆気に取られたまま、その惨劇を見つめている。そこに手を洗い終えた涼氷が戻ってくると、こう尋ねずにはいられなかったのだろう。
「あなたたちは……いつもこんな感じなの?」
いつの間にか赤月の尻ポケットから彼のハンカチを抜き取っていた涼氷。さも当たり前のように、それで手を拭きながら答える。
「はい。赤月くんと一緒にいると、ああいうことばかりです」
それを聞いた美咲は微笑んでいたような気がした。赤月時雨のプライベートでの一面を見れたことを喜んでいるのかもしれないし、もしかしたら服に侵入した蝉に罵声を浴びせている彼の行動を、単に笑っているのかもしれない。いずれにせよ、彼女が優しい表情になったことには違いないのだった。