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氷中花  作者: 綴奏
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落ちる花火 其ノ一

第二部

 

 むせ返るような暑さがひとりの吸血鬼の眠りを妨げている。エアーコンディショナーを嫌う吸血鬼は熱帯夜になることがわかっていながらも、扇風機のタイマーを四時間にセットして、その暑さに立ち向かったのだ。――その結果は、見事なまでの惨敗である。息苦しいベッドの上でもがくようにタオルケットを蹴り飛ばしながら、赤月時雨の眼は、暗い部屋で息を止めた扇風機を睨みつけた。

「なんで止まんだよ!」

 タイマーにしておきながら、随分と理不尽な言い草だ。

 吸血鬼の視力は寝起きだろうとなんだろうと落ちることはないらしく、相変わらず電気も点けずに掛け時計を見つめた。時刻は早朝の四時。起きるにしては早過ぎるものの、どうも寝つけない赤月は、扇風機にスイッチを入れて窓を開ける。

 羽を擦り合わせるオーケストラの開幕――かと思いきや、今は数匹の蝉しか鳴いていない。そうともなれば、彼は人工の風と自然のBGMを楽しめるはずだった。しかし、窓から顔を覗かせたその数秒後、赤月時雨は玄関へと駆け出し、ドアノブを回している。

「涼氷……?」

 まだ日が出ていないというにもかかわらす、麦わら帽子を被った青髪の少女が赤月家の門の前に立っていた。赤月家長男の声を耳にした彼女はゆっくりと振り返る。

「随分と早起きなんですね。もしかすると、楽しみで寝つけなかったんですか?」

「遠足前の小学生みたいな言い方すんなよ。……それより、なんかあったのか?」

 赤月の視線は街灯が届いているさらに奥、つまりは左右の暗闇を忙しなく観察していた。それに気がついた涼氷は、そっと彼の手を取る。

「大丈夫です。ただ、遅刻してしまうのが怖くて、来ていただけですから」

 それでも警戒を解こうとしない赤月を見た少女は、溜め息をつきながら麦わら帽子のつばで彼の頬を突いた。

「そんなことよりも何か言うことはないのですか?」

 麦わら帽子の小攻撃が不快だったのか、赤月は少し嫌そうな顔をした。

 彼の前には薄いオレンジと白のグラデーションのワンピースを身に纏った美少女がいる。夏の暑さを感じさせない涼しげな雰囲気を帯びた少女。自分をより美しくみせるファッションを、彼女はよく理解しているように思える。ならば、男として思春期の女子に言うことは決まっているだろう。

「まだ日差しもないのに、そんなもん被ってて暑く」

 蝉の鳴き声とは相いれない破裂音が響き渡る。

「……ってえ! 意味わかんねーよっ!」

「あなたの脳内構造の方が理解しかねま――」

 突然フラついた涼氷を、赤月が慌てて支えた。元々あまり身体の強くない青髪の少女。彼女が吸血鬼の前でバテたのは、これで三度目である。

「おい、お前いつからここにいたんだよ?」

「そんなに……経っていませんよ、まだ三十分くらいだと思います」

 それを聞いた赤月は呆れた顔をしながらも、涼氷を支えて赤月家へと招いた。


 ――集合場所は笹原駅。待ち合わせ時間は午前七時。

 赤月、涼氷、忍、三日月、美咲の計五人でのバーベキュー。これが計画されたのは赤月の退院が決まった時で、その時点では他にもユリアと夜宵がいたのだ。

 ただ、駅ビルの抽選でスパリゾートの招待券を二枚当てたユリアは部活動の予定とぶつからない日にどちらの予定を入れるかの選択肢を選ぶ必要があった。とはいっても、何の迷いもなくスパを選択している。そして赤月の予想通り、ユリアがペアに選んだのは妹の美咲ではなく、彼の妹の夜宵だった。

 そんな彼女たちは昼前の出発になるため、特に寝坊の心配はない。それに比べ、忍の思いつきで朝早くから一日遊ぶことになった赤月たちは、たまったものではなかった。そんな事情もあり、寝坊してはならないという涼氷の気持ちはわかる。しかし、そうはいっても今から約三十分前、つまりは三時半に赤月家の前に来ていたというのは、度が過ぎていると思わざるを得ない。

「ほら、しっかり水分取れよ」

 リビングのソファに沈み込んでいる青髪の少女に、赤月が冷たい水の入ったグラスを手渡す。大き過ぎもせず、小さ過ぎもしない氷が四つほど浮かんでおり、お互いがじゃれ合いながら涼しげな音を立てている。

 涼氷は大事そうにグラスを両手で包むと、その氷たちを見つめた。

「こんな時間に眼が覚めるなんて……赤月くんこそ何かあったのですか?」

 カラン――と、透明な音色が静かなリビングに響く。

「扇風機が止まったせいで寝れなくなっただけだ。それで窓を開けたらお前が立ってんだからびっくりしたっての。もしあの時こっちを見上げていたら、完全にホラーだ」

「つけっ放しよりは身体に良いと思いますが、もしかして、冷房無しで扇風機だけですか?熱帯夜というニュースが流れていたのに」

 涼氷が不思議そうな表情で吸血鬼を見つめる一方、赤月はリビングを水色の風で埋め尽くそうと躍起になっているエアコンに視線を送っている。

「身体が怠くなるから、エアコンはあまり好きじゃないんだよ。まあ、暑いなか家に帰ってきた時はさすがに数分はつけるけどな」

「吸血鬼の割に、意外とデリケートな体質なんですね」

 涼氷の手が届く前にリモコンを取り上げた赤月は、それをソファの奥に放り投げた。恐らくはエアコン嫌いの吸血鬼のためにそれを消そうとしたのがバレたのだろう。

「あのな、打撃とか外傷には強いけど、内臓まで強化されてるわけじゃないからな?」

「――むん」

 グラスの水を飲み干した青髪の少女は、残った氷をコリコリと噛んでいる。その姿はまるで頬袋に食べ物を詰め込んだリスそのものだった。お嬢様のような雰囲気を持っているものの、極稀に、このような無防備な姿をみせるのだ。

 とはいっても、それは赤月が側にいる時であることが多く、クラスメイトの多くは依然クールで御淑やかなイメージを持っているに違いない。しかし、そんな彼女を見られるのが自分だけであるということを、吸血鬼は気づいていなかった。

 その一方で、赤月なりに把握している彼女の特徴がある。

「涼氷、俺のベッド使っていいから寝ろよ。夜宵にも起こしてもらうよう言ってあるから、百パーセント寝坊する心配はない」

 睨むように目を細めた涼氷は、不満そうに氷をカリカリしながら抗議する。

「……眠くなんてありまむん」

「むんむん言い始めたときは眠いときだろーが」

 必死に目を見開こうとする涼氷の手から空になったグラスを取ると、吸血鬼は無言で彼女の手を引いた。――相当眠たかったのだろう。先を行く赤月の背を見つめるうちに、碧井涼氷の瞼はその重さを増したらしい。階段を上る彼女の足取りも、なんだか覚束ないものがある。

「むーん」

 部屋に入った途端に『ねむねむ語』が発せられたため、赤月は後ろを振り返る。すると彼はドタドタとクローゼットに駆けて行き、大きめのTシャツを引っ張り出した。そして、眼を瞑ったまま、涼氷の匂いを頼りに彼女の頭をそれに通す。

「おまえっ、いきなり脱いでんじゃねーよ! 少しは警戒心を持て!」

 既にワンピースを床に投げ出していた涼氷は、半目を開いた状態で赤月を見つめる。

「……むん?」

 もはや、意識が無いのではないかと思うくらい、虚ろな目をしている。そんな青髪少女を見た吸血鬼は、先程とは一変。真顔になって彼女をベッドに寝かせた。赤月の低反発枕がお気に召したのか、夢の中に入りかけている涼氷は、それに抱きつくようにしてか細い寝息を立て始める。既に明るくなり始めている空を見つめながら、吸血鬼は独り言のように、それでいて切実に、こう口にしている。

「……やっぱ、俺といる時くらいは気を張らなくていいかもな」

 当然、気持ち良さそうに眠りに就いている涼氷には聞こえていないだろう。けれど、返事をするかのように、彼女は小さく唸っている。

「む……ん」

 それを聞いて微笑んだ吸血鬼であったが、すぐに真顔に戻って青髪の少女の寝顔を眺めた。

 類稀な『時の異能者』である碧井涼氷。

 正常者に三度も攫われた青髪の少女。

 『時』に干渉する力が弱いにもかかわらず、時の異能者という情報だけを真に受けた正常者に狙われ続けてきた。しかし、時の異能者の中で力が弱いというだけで、その利用方法はいくらでもある。今後、異能者にさえ狙われる可能性だって否定できない。むしろ、今までそうでなかったことの方が幸運だったとも言える。


 自らの能力の特異性という氷の檻に閉じ込められている少女。

 自分の命が危険に晒されようとも、いつだって冷静な美少女。


 ――そんな彼女に、自分といる時まで氷の仮面を被らせたくはない。碧井涼氷が安心して眠っていられるのであれば、傍にいてやりたい。あの真っ赤な世界で呼び掛けてくれた彼女のように、今度は自分が心の支えになってやりたい。赤月時雨はそう思わずにはいられないのであった。


 その後、赤月は寝ることもなく、ただ椅子に座って時が流れるのを待ち続けている。朝の六時を迎え夜宵が部屋に入ってくると、だらしのないはずの兄が既に起きているという事実にひっくり返りそうになっていた。

 しかし、「静かに」――と、唇に指を当てている兄の視線を追った時には、特に驚く様子もみせてはいない。それよりもむしろ、碧井涼氷という、どこか掴みどころの無い少女の安心しきった寝顔を目にして、兄と同じような微笑みをみせている。その穏やかな寝顔は、赤月時雨に沖縄の修学旅行を思い出させた。もしかしたら、碧井涼氷は今まさに、あの時の出来事を夢の中で思い出しているのかもしれない。――そう思わせるような、幸せそうな寝顔をしていたのだ。


 ◆


「お兄ちゃん、鍵持った? 私の方が早いと思うけど、寝ちゃってるかもしれないから忘れないでよね」

「はいはい、持ってる持って……あれ」

 玄関で靴を履き終えた赤月は、ポケットやらデイパックの中をゴソゴソと探り始めたが、仕舞には引きつった笑顔をみせた。

「……悪い、鍵取ってきてくれるか?」

 今朝は驚かされたものの、やはりだらしのない兄は変わりなかったようだ。それを予想していたらしく、既に持ってきていたキーケースを妹が投げ渡した。

「しっかりしなさいよ。川とかは危険が一杯なんだから気をつけてあげてよね」

 夜宵の言う「気をつける」べき人物は、例えば隣にいる青髪の少女がその一人だろう。

 起こされてから朝食を取っている間はいつも通りの涼氷に戻ったにもかかわらず、いざ玄関に立ち赤月と手を繋いだ途端、瞼が彼女の視界を奪い始めたのだ。本人としては真っ直ぐ立っているため、気づかれてはいないと思っているのかもしれないが、彼女の演技力がゼロなのは相変わらずだった。

「美咲さんはいいとして、忍と三日月も危なっかしいからな……。ま、任せとけって」

 妹吸血鬼の言う通り、川辺や山での遊びには危険が隣合わせだ。いくら頑丈な赤月でさえ、自然の脅威に晒されれば命を落としかねないのだから、彼女たちはより一層の注意が必要となる。

『任せとけ』という兄吸血鬼の言葉。

 彼の言い方では軽い言葉に聞こえてしまうかもしれない。しかし、兄のことを誰よりも知っている夜宵にとっては、何よりも安心できる言葉なのだろう。まるで、兄に外出許可を出すかのように、下ろした真っ赤な髪を払いながら言う。

「それじゃ、いってらっしゃい」

「おう、ユリアによろしくな」

 赤月兄妹がお互いに小さく笑みをみせたあと、立ったまま寝ていた青髪少女は手を引かれるがままに、その後を追った。

 ――赤月家を出発したのは六時四十五分。駅まではゆっくり歩いて十五分程度であるため、待ち合わせ時間丁度につく計算だ。初めはトボトボと歩いていた涼氷も駅が近づくにつれて睡魔から逃れ始めており、途中からは自分でトートバックを持っている。それでもまだ、語尾に「むん」が現れてはいたが、特に心配することもないだろう。

「あーかーつーきー! おそいっ!」

「別に遅刻じゃねーだろっ!」

 全身で喜びを表現するように手を振っているのは忍だ。今日はいつものハーフアップではなく、高い位置で一本結びにしている。その一方で、彼女は未だに長袖を着ていた。一年以上も噛み続けてきた彼女の肩の痣は、そう簡単に消えるものではない。それをわかっていながらも、赤月は彼女の長袖姿を見る度に胸がチクリと痛むのを感じている。

「てゆーか、なんで碧井と一緒にいんの?」

 三日月と美咲の間。正確に言うならば、数メートルある間の三日月寄りの位置。そこから全力疾走で赤月と涼氷に迫った蛇の少女は、思わず目を瞑った。むしろ、こんなことをされて目を閉じもしない方が怖いだろう。

「……ちょっと、朝っぱらから喧嘩売ってんの?」

 どうやら小説ではなく、本日は団扇の一撃が忍の頭を直撃したらしい。ちなみに、蛇の金髪頭を目にした途端、碧井涼氷の顔からは眠気が嘘のように消え去っている。そして、金色に輝くテニスボールを華麗に打ち返したというわけだ。

「朝から駅前で大騒ぎしないでくれませんか? 夏休みなのは学生だけで、社会人の方は今日だってストレスと闘っているんです」

 ごもっともなことを言われた蛇の少女は下唇を噛みながら大人しくなった。朝からなんとも言えない気持ちになった吸血鬼も困った顔をしている。そんなことも気にも留めない涼氷は、金髪頭を団扇で小さく叩きながら彼女の横を通り過ぎていく。

「多分、寝起きは機嫌が悪いタイプなんだろ、こいつ。電車内で騒がないだけマシだって」

 赤月に頭を撫でられると、忍はキラキラとした満面の笑みで顔を上げた。そして、調子に乗った彼女はこう口にしている。

「もっと撫でてー!」

 すると、抱きつこうとする忍の動きが停止したかと思いきや、再び団扇の一撃が彼女の後頭部に放たれた。しかも、今度は風を切る縦向き攻撃であったため、――コツン、という頭蓋骨に届きそうな音が響く。

 『時』の縛りから解放された瞬間、忍が涙目になったのは言うまでもないだろう。あんなプラスチックの塊で叩かれれば地味に痛いものだ。やられたまま黙っている彼女でもなく、八重歯を光らせて復讐に燃え始めた。さすがに貧弱な人間にどんな危害を及ぼすかはわからない毒を注入させるわけにはいかないため、赤月は必死に忍の腕を掴んで説得している。そんななか、青髪少女は置物のようにじっとしているこけし少女に歩み寄った。

「みーさん、おはようございます」

 三日月は自分より背の高い涼氷を見上げ、コクリと小さく頷く。そんな彼女は今日もまた和服を身に纏っていた。ただし、真夏ということもあり裾の短いタイプのものだ。青い長髪をさらさらと揺らす涼氷は、影の少女から少し離れた所にいる茶髪の少女の元へと足を進める。

 ネイビーのノースリーブから少しへそを覗かせたデニム姿に、エメラルド色のドロップピアスを光らせている避雷針美咲。彼女は真っ直ぐ赤月時雨に視線を向けていたものの、涼氷が近づいてくると腕を組んだまま、横目にその姿を確認した。

「おはようございます」

 見えない壁を音にしたような、風紀委員の挨拶。真面目な美咲にも嫌いな人間はいるのだから仕方がないだろう。特に挨拶を返すこともなく美咲の横に並んだ青髪の少女は、後ろで手を組みながら言う。

「赤月くんからお誘いがあったんですね」

 吸血鬼の名に反応するように、緑色のピアスが揺れる。

「そうでもなければ来ないわ」

 じっとして動かないこけし。大分離れた場所で荒らぶる蛇を押さえるのに躍起になっている吸血鬼。そんな彼らはいつもと変わらない様子であったが、彼らと離れた場所で並んでいる二人の少女は、不自然なほどちぐはぐだった。そして、それを助長するかのように、碧井涼氷は言葉を吐き捨てる。

「私は別に彼女たちと仲が良いわけではありません」

 それを聞いた美咲は流石に驚いたのか、ドロップピアスが跳ね上がるほどの勢いで、涼氷の横顔を見た。

「……いきなり、何?」

「私は赤月くんと一緒にいたいだけで、特別彼女たちと一緒にいたいわけではありません。彼がいるところに彼女たちがいる――ただそれだけのこと」

 予想もしていなかった話を続けるものだから、青髪少女のことが理解できないというような表情を浮かべ、美咲は口を閉じている。

「そんな私でも、こうして受け入れてくれるような人たちです。ですから、もっと肩の力を抜いて良いと思いますよ。……赤月くんは意外と気も遣える男子ですし」

「――以前とは違って、随分と優しい言葉を口にするのね」

 美咲は大人しくなり始めた蛇たちに視線を戻し、余計な御世話だとでも言いたげな返事をした。

「あなたのためではありません。赤月くんが気を遣い過ぎないように前もって伝えておきたかっただけですから。――私のことは意識せずに、自然体で過ごすと良いと思いますよ」

 そう言い残し、碧井涼氷は溜め息をついて吸血鬼たちの元へと歩み始めた。それに気づいた忍はまた何かされるのではないかと警戒し、赤月の後ろに隠れている。そんな赤月もズカズカと向かってくる青髪少女を警戒しているのか、一緒になって後退り始めていた。その様子を冷めた目付きで見つめている美咲は、何を思っているのだろう。


『赤月くんを信じることができないから、自分から距離を取ってしまう上に、その想いを告げることもできないのではないですか?』

『もう一つ言わせてもらいますが、自分の想いから目を逸らすような人間に、赤月くんは救えません』

 赤月時雨が殺されかねない状況で、碧井涼氷にぶつけられた言葉たち。それはきっと、避雷針美咲の胸に深く突き刺さったことだろう。だからこそ、彼女は三日月の元へ行き、こう質問したのかもしれない。

「赤月君って、いつもあんな感じで面倒見がいいのかしら?」

 三日月は漆黒の瞳で美咲を見上げると、こう口にしている。

「いつも……何かに必死になってる」

 その言葉は美咲にとっては意外なものだったはずだ。彼女が見たことのある赤月時雨は、心身共に強く、自分の身体を傷付けることを厭わずに、誰かを守ることのできる異能者、である。それも決して間違った認識ではない。が、驚いた表情で吸血鬼を見た様子からして、影の異能者が口にしたようなイメージはなかったのだろう。

 涼氷と忍から逃げるようにして駆けて来た赤月。彼に手を取られた美咲は、三日月と共に改札の方へと走り出す。そして、揺れる黒髪を見つめながら彼の手を強く握り返すと、赤月は振り返り、こう口にしている。

「おはよう。悪いな、こんなに朝早くから付き合せちまって」

 上羽巳忍という少女の我儘。それで時刻が早まったことを知っていた美咲は、早速気を遣い始めている吸血鬼に、優しく微笑む。

「いいえ。誘ってくれてありがとう」

 美咲にしては少しばかりぎこちない笑顔だったかもしれない。けれど、赤月が爽やかな笑顔を返してくれたことで、彼女の表情も柔らかくなっていくのだった。


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