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氷中花  作者: 綴奏
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血鬼の接吻 其ノ九

 ――赤時雨と関わりのある人間を殺す。猛毒を取り込んで入院してから二日目にあたる日の夜、伊原ヒロが赤月の病室に姿を現した。椿よりも身体が強い吸血鬼は大分回復をしていたものの、万全ではない。いや、たとい万全であっても敵うはずもない。

 吸血鬼は生まれて初めて死を覚悟したが、セカンドバレットはもっと恐ろしいことを口にしたのである。彼と関わりのある人間は調べられており、伊原はその名前も個人情報もすべて記憶していた。そして、彼女たちに大怪我を負わせたくなければ、夏休み前最後の日、つまりは二日後に黒崎学園に来い、という脅迫をしてきたのである。

 誰かに話してしまえば正義感の強い彼女たちは、危険を顧みず伊原に対して行動を起こしてしまうだろう。しかし、頑丈な自分と違い怪我では済まされない可能性が高い。頼みの糸車椿も毒に侵されている。確かに、彼女の命に別状はないという診断は出た。が、それは彼女が大人しくしていれば、という但し書きが隠されている。

 また、赤月が伊原の玩具になれば、それで済むという類の話でもなかった。約束を守れば大怪我はさせない。しかし、赤月が敗北した場合は、全員の身体のどこかを折る。伊原ヒロはそう口にしたのだ。彼にとって、骨折は大怪我でもない。つまり、彼の言う大怪我は死に至る危険性もあると解釈することができてしまうのだ。そして、「どこかを折る」という曖昧な言い回しは、セカンドバレットの性格を考慮すれば、こちらも何でもありと言っているようなものだった。

 異能者人口の一割にも満たない上級異能者は大変貴重な存在だ。それが危険な人物であったとしても、使いようによっては強力な弾丸になり得る。そんな歪んだ社会に守られた凶暴な薔薇は、思うままに血に染まった薔薇園を作り続けるだろう。

 そこで赤月時雨が取った手段は彼女たちの力をその身に宿すものだった。自分の強さを無限大に拡張できる能力。ある意味最強の能力と言っても過言ではないその力。それをついに解禁する時が来た。そして、それを可能とする自分に気づいたのだ。

 しかし、半ば強引に四人の女性を吸血した赤月は罪悪感を抱いていた。何も言わずに受け入れてくれた彼女たちに、本当の理由を隠し、病人としての立場を利用して我儘を受け入れさせている。彼女たちを守る目的があったとしても、真実を伝えられなかった彼は、そう思わざるを得なかったのだ。

 能力を借り受けるための初めての吸血。その味に溺れ、相手の命が尽きるまで飲み干してしまうのではないか。そんな恐怖が彼の精神を追い詰めていた。けれど、行為に及ぶ前にその感情を白状すると、彼女たちは決まって口にした言葉がある。


 ――赤月時雨であれば絶対にそんなことにはならない。


 血の雨を降らせる赤時雨の吸血鬼。そんな自分を信用してくれている彼女たちを前にした時、迷いは姿を消していた。彼女たちを守るために吸血するのであれば、自分を止めることができる。むしろ、そんなことに気づけなかった自分を、今は恥ずかしく思っている。

 とは言っても、ただひとつ、例外があった。

 赤月時雨は眼の前の少女、碧井涼氷の血を吸っていない。

「友達を守るために血を吸う吸血鬼って素敵だと思いませんか?」

 自分のことを素敵だとか言えるはずもないし、そんな風にも思っていない赤月は、ぎこちない笑顔で誤魔化している。

「そうですね、赤月くんの場合は……」

 そっと立ち上がり、ベッドに腰掛ける涼氷は、赤月の首筋を指でなぞった。

「双方が友達として信頼し、その上で吸血鬼が優しいくちづけを首に施す。それって素敵だと思いませんか?」

 少し考えた後、黒髪の吸血鬼は恥ずかしそうに笑ってみせた。

「それは……いいかもな」

 青髪の少女は目の前にいる少年に問う。

「では、どうして私の血を吸わなかったのですか?」

 冷静に考えれば、碧井涼氷の時を止める能力は強力だ。たった二秒だとしても、相手のランクが上がれば上がるほど、その二秒で生死が別れる。

 あの時、涼氷が伊原の拳を止めていなかったら、彼を倒せていたとしても刺が危険な部位にまで達していた可能性も十分にあった。彼女の能力で救われたことのある彼ならば、当然その利用価値を理解していることだろう。それでも、それ故に、赤月時雨は碧井涼氷の血を口にしなかった。

「涼氷は、いつも俺の傍にいる気がしたから……かな」

「そうですか」

 赤月の頬に愛おしそうに触れた涼氷は、青い髪を綺麗な耳に掛けながらこうも言った。

「でも、私にもしてくれるのでしょう?」

 白い首筋を見つめている吸血鬼は青髪の少女の肩を掴む。

「……んっ」

 驚いて目を見開く碧井涼氷の前には、黒髪の吸血鬼の顔があった。

 ――吸血鬼の優しいくちづけ。

 それは首筋ではなく、彼女の唇になされている。

 熱い吐息と共に少しずつ離れていく二人。以前交わしたくちづけは、碧井涼氷からしたものであったが、今回は赤月からなされたもの。それを意識したのか、涼氷は頬を赤く染めて背を向けるようにベッドの端に座り直した。

 しばらく沈黙が続いたが、それは気まずいものではなく、それぞれが心を落ち着かせるのに必要な時間だったように感じられる。涼氷は自分の胸に手を当て、赤月は自分の左手の甲を見つめた。

 彼の心に刻まれたあの赤い世界は、一生消えることはないだろう。

 そして、呪われた赤い力に対する恐怖も。

「――涼氷。あいつが言った通り、俺の血がレッドアイを生み出すきっかけになったのかもしれない」

 背中を向けている青髪の少女からは返事がない。しかし、それは無視をしているわけでも、答えられないわけでもない。彼女はその先の言葉を待っているはずだ。

「だけど……本当にそうだったとしても、俺は俺だ。赤月時雨だ――」

 返事をするように、涼氷はゆっくりと頷いている。

「学校でどんなに嫌われようと、社会から軽蔑されようと、俺は赤月時雨であり続ける。大切な人、大切な友達を守るためだけに生き続ける。……そう思うんだ」

 それを聞き届けた青髪の少女は立ち上がった。そのあまりに美しい姿は、まるでこの部屋の時が止まっているような錯覚を感じさせる。

「私は赤月くんを信じています。この世界にいる誰よりも、信じている自信があります。――だから、これ以上言うことは何もありません」

 真剣な眼差しを向けていた赤月は、少しだけ穏やかな表情になって涼氷の背を見つめた。

「でも赤月くん。あなたから言うことはもうないのですか?」

 吸血鬼に背を向けるその姿は、初めて出会った時のそれとは似ているようでいて、全く違うものだった。

 ずっと前から一緒にいたような、一緒にいるのが当たり前のような。

 そんな二人の間には、何の濁りのない透き通った青い風が流れていく。


 碧井涼氷は病室から出ていく際に振り返る。

 そして、赤月時雨にこう告げた。

「――友達のままでいいの?」


『氷中花』第一部にあたる『赤時雨編』はこの話をもって終了です。第二部『氷中花編』の連載も予定していますので、宜しくお願い致します。

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