血鬼の接吻 其ノ七
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吸血鬼が目を覚ますと、本当であれば彼がずっと見ているべきだった天井があった。少しぼんやりとしていた彼は、腰の辺りで俯せになって眠っている時の異能者の姿がある。
「――そっか、終わったんだ」
安堵の溜め息を大きくつくと、黒髪の吸血鬼は碧井涼氷の頭を優しく撫でた。すると、彼女は静かに目を覚まして、こう言った。
「……ん、そんなに見惚れてどうしたの? それとも毒で頭がやられたの?」
不意打ちを食らった赤月は、思わず顔を逸らした。
「俺の身体に入った毒は比較的少なかったし、あの状態になってからは全くだるさを感じなくなったから平気だ」
――あの状態。つまりは赤時雨のことである。はっきりとは覚えていないが、彼にも自分が真っ赤な世界に迷い込んでいた記憶はあるのだ。
寝惚け眼の涼氷は、傍にあった果物ナイフで桃の皮をむき始めた。寝起きでいきなりそれをやるかと突っ込みを入れたくなった吸血鬼であったが、そっとしておくことにしている。ただ、しばらくすると、流石に吸血鬼は何かを言いたそうに口をもごもごさせ始めた。その様子を見た涼氷は、彼が話すまで待つのかと思いきや、いきなり桃を彼の口に突っ込んだ。しかもカットしているわけではなく、皮を剥いただけのそれを丸ごと。
「……っむおい、桃を丸かじりって」
涼氷は不満そうな顔で赤月が手に取った桃を再び口に押し付けてくる。わけもわからない赤月は身体中の痛みに堪えながら必死にその身を反らす。どこからどう見てもバカップルにしか見えない。
「もう一度咥えてください」
「もう食べられるようにはなったけど、カットしてくれって」
突然、真顔になった涼氷は果物ナイフを赤月の方に向ける。
「お前は病人をカットする気か!? …………わかったから、それを下ろせって」
再び笑顔になる涼氷を見た赤月は、仕方なく桃に噛りつく。すると、その反対側に彼女がかぶりついた。当然、吸血鬼は眼を点にしている。そんなことを気にも留めない青髪少女は満足そうに咀嚼しながら、ベッド横のパイプ椅子に戻っていく。
「……今のがしたかっただけなのか?」
少し頬を赤くしている赤月は桃を手に取って眼を逸らしている。しかし、碧井涼氷は真顔になるとこう言った。
「はい? 何のことですか? 変な妄想は夢の中だけにしてください」
「……」
これからは決して騙されないと心に誓った吸血鬼は、時計を見ては涼氷を見る、を繰り返し始めた。
「あの、私は別に世界の時間を止められるわけではありませんよ?」
「いや、そうじゃなくて。面会時間、とっくに過ぎてるぞ。ここらの病院は大抵十八時までじゃなかったか」
赤月時雨の病室にある時計は、二十時を指している。
「ここの病院の名前を覚えていないのですか?」