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氷中花  作者: 綴奏
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血鬼の接吻 其ノ二

 

「夜宵!」

 勇敢にもお化け男の脚にしがみついた兄であったが、あっという間にマントで顔を塞がれてしまう。中学二年生の時に急激に身長が伸びることになる赤月時雨は、この時はまだ夜宵と大して変わらない小さな吸血鬼に過ぎなかった。

 ――苦しい。それに、赤い。

 男が羽織っていたマントの背は闇のように黒く、その内側は血のように真っ赤だった。吸血鬼の視力だからこそわかるその色は、少年をパニックにさせることとなる。赤月少年は必死にもがき続け、男の脚を蹴り続けた。しかし、男は夜宵の首を絞める手を緩めようとはしない。むしろその手には力が入る一方だ。


 ――息のできない真っ赤な世界で、赤月時雨は自身を呪った。


 つまらない意地を張って妹を追い掛けなかった自分。

 大切な人を守る力すら持っていない自分。

 そんな赤い闇の中で、兄を呼ぶ夜宵の声が聞こえてくる。


 吸血鬼兄妹の動きが弱っていくと、男は兄を放し蹴り飛ばした。壁に叩き付けられた少年は、悲鳴にも聞こえる呼吸音を漏らし肩を上下させている。顔を完全に塞がれていた彼は起き上がることすらできない。それでも。自分の呼吸すらも放棄するように、兄は必死に顔を上げた。

 自分に背を向けるようにしゃがみ込んでいる男は、夜宵を抱き締めている。

 ――一瞬、そう思った。そう見えた。

 しかし、男は夜宵の首筋を、浅く、ゆっくりと、ナイフでなぞっていた。男の肩に顔を預けたまま動くことのできない妹と、目が合う。夜宵の涙と歩幅を合せるように、細い首からは血が溢れ始める。

 赤月時雨の心臓を、胸を、心を、真っ赤な感情が締めつけた――

 身の毛もよだつ悲鳴。それを耳にした男が振り返ったと同時に、男は凄まじい力で殴り飛ばされていた。小学生のそれとは思えない程の力で。

 起き上がった男が目にしたのは、まさに小さな悪魔だ。

 余すところなく眼を真っ赤に染めた吸血鬼。

 血の涙を流しながら、狂気染みた笑みを浮かべている――

 その異様な光景を目にした男は、咄嗟に両腕からナイフの刃をいくつも生やした。その腕を思い切り振り切ると、それらが吸血鬼の少年を串刺しにしようと空を切っていく。

 しかし、小さな吸血鬼は避けようとはせず、複数本のナイフを小さな身体で受け止めた。殴り飛ばした男と夜宵との間に立っていた彼は、避けるわけにはいかなかったのだ。真っ赤な血の世界にその心を沈めながらも、妹の姿を目視しなくとも、兄は妹が座り込んで動けなくなっているのをわかっていた。

 そんな赤月時雨の身体を傷付けたのは放たれたナイフだけではない。彼が最初の一撃を食らわせた際、危険を察知した男は背中から無数のナイフを生やしていた。それでも構わず突っ込んでいった吸血鬼は串刺しになりながらも、その右手で男を妹から遠避けたのだ。

 戦闘型吸血鬼としてのスキルをまだ十分に発揮させることができなかった赤月少年からは、容赦なく血が溢れ出している。それを気にも留めず、赤い涙を流す吸血鬼は唯一無傷だった左手に視線を落とす。

 そして、彼がその手を地面にあてがった瞬間、耳を塞ぎたくなるような断末魔が路地裏を走り抜けた。その悲鳴はビルを駆け上がるように、徐々に小さくなっていく。その直後、振り返った兄は、赤い涙を流しながら妹の名前を口にし、気を失ってしまう。

 ――そこには血の雨が降り注いでいた。

 放心状態の少女の前では、真っ赤な何かが上へと反り立っている。それを辿っていくと、先の鋭利なものと有刺鉄線の化け物のようなものがお互いに交差するように伸びていた。その頂上では、見るも無残な男の死体が血の飛沫を上げている。


 その赤い時雨は、吸血鬼の兄妹を別の存在へと変えてしまう。

 赤い闇は兄の眼に宿るに留まらず、彼の妹の髪をも染め上げた。

 大好きな兄と同じだった綺麗な黒髪は、血のように赤い悲しみの色に塗り替わったのだ。


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