忍ぶドク牙 其ノ四
その声に赤月が振り返ると、校門の外には茶髪の異能者がいた。人を見下すような目をして、口元だけ二ヤついているこの少年は、黒崎学園の制服を着ている。ワイシャツの半袖から伸びている蔓も不気味だ。しかし、もっと恐ろしいのはその先にある、頭から血を流す白上高校の生徒の姿だった。
「伊原……」
いつも人目につかない所にいる吸血鬼と、ほとんど学校に来ない黒崎学園のセカンドバレットが、初めて対面した瞬間だった。
「……何してやがんだ!」
赤月は怯みながらも、逃げはしなかった。眼の前で一人の少年が血を流しているのだ。
「見りゃわかるだろー。突っかかってきたくせに、気づいた時には気絶していたこいつを親切に届けにきてやったんだよ。前にもここに運んだやつがいたし、今回は迷わずに来れたってわけだ」
事実はどうであれ、その少年を安静にさせるに越したことはない。
「いいから、そいつを下ろしてや……っ」
その言葉を待っていたかのように蔓が暴れ出すと、少年が地面に乱暴に叩きつけられる。蔓からは解放されたものの、打ち所が悪ければ死んでいてもおかしくない。
「やり過ぎだろてめぇっ!」
伊原は首を鳴らしながら言う。
「取りにこいよ。……次はマジで死ぬかもなぁー?」
危険な色に光る目を見開きながら、直径三センチはある太さの蔓をうねらせている。たといそれが一本だとしても、その力はかなりのものだろう。
赤月時雨は伊原についてあまり知らない。目を付けられてしまえば、必ず怪我をするということ以外は何も。それでも少年を助けるため、赤月はゆっくりと前に進み始める。しかし、彼が辿り着くよりも先にとある人物が道路の方から飛び込んできた。
それは、見知らぬ少女だった。
「どうして……こんな」
倒れている少年の恋人だろうか。壊れたマリオネットのように崩れている少年に、泣きながら抱きついている。
「……っち、うるせーな、こいつ」
伊原がそう口にすると、まるで蛇が鎌首を上げるように蔓が動き出す。少女がそれに気づいた時にはもう、既に縛り上げられていた。
――そう、彼女の代わりに犠牲になったのは、一人の吸血鬼だ。
「へえー。お前、思ったより速いな」
楽しそうにしている伊原を無視して、追い詰められた自分の状況を無視して、赤月は叫ぶ。
「三日月、お前の影で怪我人を奥に運べ! 涼氷はその子を頼む!」
元々キツかった蔓の縛りが更に強くなっていく。
「かっこいいことするじゃねーか、赤時雨のくせによぉっ!」
伊原の笑い声が響いたかと思うと、校門の前にある道路に赤月は振り下ろされた。もちろん、その蔓は吸血鬼を逃がしはしない。
「何やっとんじゃぼけえ! 轢き殺すぞ、くそガキ!」
クラクションを鳴らしながら罵声を浴びせているのは暴力団風の男だった。突然、道路に降ってきた赤月に怒鳴り散らしている。しかし、その強面の男でさえも、うずくまっている少年の身体から蔓が伸びていることに気づくと血相を変えた。実にわかりやすい反応だ。それが何の蔓かを知っているのだろう。
「よおー、おっさん。前にどこかであったか?」
強面の男は情けない声を上げたかと思うと、思い切りアクセルを踏む。目の前にいた少年が轢き飛ばされガードレールに突っ込もうとお構いなしだ。
「あぁ、わりーわりー、放しちまった」
この世に産み落とされた悪魔のような笑いと共に、伊原は引き返していく。どうやら、多少は満足したらしい。
「実は気になってることがあるんだよ。だからこそ、お前に協力して欲しいんだが……、残念ながら今は道具がない。今日はこれくらいにしといてやるよ」
蔓を信号機に伸ばし、それを縮めるように上空に飛んでいった伊原は次々と蔓を掛け直し去っていく。それを確認した涼氷と三日月は歪んだガードレールの下で倒れている赤月の元へと駆け寄った。
「赤月くん、もういいですよ」
しばらく動きはしなかったものの、吸血鬼は不満そうに顔を上げる。
「……お前、少しは心配してくれよ」
「人間ハンマーなのだから堪えられるとわかっていました。やられた振りも上手でしたよ?」
「だから、人間ハンマーって……。まあ、この程度は問題ない、行くぞ」
「行くって……どこへ?」
涼氷は不思議そうに勇敢な敗者を見上げる。
「三日月、忍の家に案内してくれ」
影の少女は心配そうに赤月の手を握りながらも、力強く頷く。とんだ邪魔が入ったが、彼の頭の中はもう、忍のことで一杯になっていた。