碧い月明り 其ノ四
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なんとかゾンビ屋敷を抜けた赤月たちはベンチで休憩をしている。午前中とは打って変わって、一番ぐったりしているのは彼と椿で、三日月は元気になっていた。青い顔をしていた夜宵の話によれば、三日月がゾンビに抱きついて大変だったらしい。おまけに彼女の影まで抱き着き始めたものだからゾンビの方が逃げ出そうと必死だったとか。
そんな事情もあり、半分近くが放心状態のグループは目立つのだろう。マスコットの着ぐるみが近寄ってきては、涼氷たちの頭を撫で始めたのだ。しかし、それが不快だったのか、彼女はあろうことかマスコットにビンタを食らわす。
「お前っ、夢の園のマスコットに何してんだ!?」
「私の頭を撫でていいのは、赤月くんだけでしょう?」
「でしょう……って言われてもさ」
どうやら涼氷は相当怒っているらしく、その威圧に押されるようにマスコットは赤月の方へ移動してきた。
「いや、俺はいいよ……」
今度は頭を撫でるどころか、大サービスで抱擁をしてきている。それを見た忍は大笑いするのを必死に堪えていた。
「ぷっ、赤月が着ぐるみに抱き締められてるとギャグにしか見えない」
だがしかし、それは冗談ではなかった。どう見ても赤月が簡単に脱出できないほどの力で絞め付けてきている。彼は心の中でゾンビたちの刺客だと決めつけていたが、あながち間違いでもなさそうだ。いや、そんなことを思えたのも……一瞬だろう。
「この人そういうの苦手なんで、離れてください!」
異変を感じた夜宵がその場に駆け付けたものの、時は既に遅かった。赤月は周りの音が段々聞こえなくなっていき、ついには気を失っている。
――気づけば赤月は妹の腕の中にいた。そして、一番最初に目が合った涼氷に声を掛ける。本当に、何もなかったかのように。
「えっと……涼氷」
「――何ですか?」
彼の頭の中は真っ白――いや、真っ赤だった。
「お前は何に乗りたいんだ?」
「え……はい。じゃあ、観覧車に」
突拍子もないことを口にしたのは赤月にもわかっている。それにもかかわらず、涼氷が何も訊かずに答えてくれたことに彼は感謝していた。その場にいた夜宵以外の人間が目を丸くするなか、赤月時雨は碧井涼氷と妹の手を引いて観覧車を目指す。たまたま空いていたため、赤月は転がり込むようにその中に入っていく。どこからどう見ても、彼の行動は普通ではない。吸血鬼の性質を教えられた涼氷でさえ、日差しのせいで頭をやられたのかと疑っているように見える。
――当然、無言の観覧車内には重い空気が流れていた。その原因といえる黒髪の吸血鬼は、あろうことか既に夢の中にいる。そんななか、最初に口を開いたのは椿だった。
「妹君、時雨君はどうしたのだ? 話せないことなら答えなくていいが」
夜宵は少し考えてから、苦笑いした。
「別に隠すことでもないんです。一種の恐怖症ってやつだから」
「え、着ぐるみがダメなの? ……いたっ!」
あまりにも間の抜けたことを忍が口にしたので、彼女の頭を涼氷が引っ叩いた。吸血鬼を攻撃するスペシャリストになっていた碧井涼氷であったが、蛇叩きの腕も上げ始めている。そんなやり取りを何ともいえない作り笑いで見ていた夜宵は言う。
「えっと……顔を圧迫されるのがダメなんです。息ができないほどに顔を塞がれるとパニックになっちゃうっていうか……」
そう、赤月時雨は顔を圧迫されることに堪えることができない。誰だってそんなことは嫌に決まっているだろう。だが、気づいた時には近くにあったものを破壊しているなんてこともあるのだ。
「確かに……強く抱かれてはいたな」
「じゃあ、赤月がマスコットの首を吹き飛ばしたのも仕方ないね。子供があれ見て泣いてたけど」
今回は物を破壊してはいないものの、子供の夢を壊していたらしい。そんな子供の夢などどうでも良さそうに、碧井涼氷は言う。
「上羽巳さんって頭が悪そうですけど、さすがに覚えているでしょう? 沖縄の浜辺でのことを」
忍は何か言い返そうとしたが、涼氷が言わんとしていることがわかったらしい。
「……あ、それでなんだ」
「何かあったのか?」
「沖縄は日差しが強いので、私たちは水着の上にロングTシャツを着ていたんです。そしたら赤月くんがどうしても水着姿を見たいというので――」
控えめだが決して小さくないはずの胸を隠しながら、涼氷の胸を睨み付ける蛇が続く。
「機嫌の悪かった碧井が赤月の頭をロンTの中に突っ込んで、あいつの顔を胸に押し付けたの。そしたら気絶しちゃって」
そこにいる三人は納得した様子であったが、夜宵は顔を赤くして震えている。
「……沖縄の浜辺で何してたのよっ!」
舟を漕ぎ始めていた三日月が赤月の悲鳴を聞いて目を覚ます。と、彼女の目の前には泡を吹いて気絶している吸血鬼の姿があった。