帰らぬ少女 其ノ二
それから二泊した三日月は、すっかり元気を取り戻している。夕食を赤月家でもりもりと食べた後、しっかりとした足取りで例のボロアパートに帰っていった。しかし、翌日の学校に影野三日月の姿はなく、それを心配した赤月兄妹は彼女のアパートへと向かっているところだ。
「また悪化したのかもな」
夜宵は三日月に書かせておいた地図を解読するのに忙しそうにしている。彼女が手にするメモは、どうみても子供の落書きにしか見えない。これでは解読不可能な霊界の地図だ。
「それは考えにくいから心配なのよね。それよりお兄ちゃんも……」
「なあ、あれって忍じゃないか?」
丁度、忍がボロアパートの階段を降りてきた。どうやら夜宵が見ている落書きが示す場所は、あの古びたアパートらしい。蛇の少女がいなかったら、通り過ぎていただろう。
「あ、赤月と夜宵ちゃん!」
「忍さん、みーちゃんは?」
「いないの、まだ学校かな?」
「それが、今日は来てないんです」
夜宵の表情が急に暗くなったため、兄は妹の頭を撫でてやった。妹が本当に不安そうにしている時は、小さい頃からこうするのが癖になっているのだ。――と。
「忍、何してんだ、お前」
金色の頭を吸血鬼の方に向けている少女がいる。一見、可愛らしい行為に見えるが、活発な忍がそれをやると……何かが違う。言葉にするならば、露骨な期待が彼女の金髪と同じように爛々と輝いているのだ。その直後、痛々しいくも綺麗な破裂音が響き渡った。
「いったぃ! 赤月ヒドいよぉ!」
痛みよりも悲しみにショックを受けている金色の蛇は頭を抱えて訴える。
「この金塊は上羽巳さんでしたか」
碧井涼氷の日替わり小説攻撃。そのキレのある小説捌きには目を見張るものがあるが、それ以上に青髪少女がここにいることに赤月は驚いていた。
「げっ、何で碧井がいんの!?」
「赤月くんが私を置いて帰るものだから、こっそりついて来たんです」
「あ、悪い……連絡入れるの忘れてたわ」
「もしかして、アンタたち毎日一緒に帰ってるの!?」
赤月は面倒な展開になってきたことにうんざりしている。この二人が揃うと、いつも喧嘩ばかりだ。
「今は三日月だ。とりあえず、バイト先にでも行ってみようぜ」
「うっ……」
忍が微妙な反応を示したのは、オフにはバイト先に近づきたくないというデリケートな事情からだ。しかし、バイト経験がない赤月にはその実感がわかず、嫌がる忍を引きずりながら目的地へと足を進める。
結局、アルバイト先のファミレスにも三日月の姿はなかった。さらには忍が欠員の穴を埋めさせられる羽目になっている。恨めしそうな蛇睨みから視線を逸らした吸血鬼は心の中で土下座を繰り返していたが、そんなことを彼女が知るはずもない。
ちなみに、邪魔者がいなくなった涼氷は赤月の起源が良さそうに頬を弄くり回すのに夢中だった。窓にへばりついて恨めしそうにしていた忍が店長に頭を引っ叩かれるのを見届けると、涼氷は彼を解放する。
「みーさんの行動範囲って狭いのでしょう?」
「ああ、学校以外なら、ここか、赤月家か、コンビニくらいだし」
夜宵との繋がりで頻繁に関わるようになっていた赤月にも、彼女の習性は大体わかっていた。ずぼらでコンビニ弁当しか食べないことも、料理ができないことも、だ。
ここで、小さな吸血鬼は顎に手を当てて独り言のように言った。
「心配ね……。昔から一人暮らしや訳ありの異能者が失踪する事件もあるし……」
夜宵がやたらと暗い表情をしていた原因は、どうやらそれだったらしい。
「その事件、まだ続いてんのか?」
「色んなニュースに隠れてしまってるけど、定期的に起きてるわよ。でもESPのウェブページくらいにしか情報はアップされないの。……こういう事件はもっと報道すべきなのに」
勉強熱心な夜宵の言うことだから、本当なのだろう。そうともなれば急いで探すに越したことはない。
「赤月くん、駅前を探してみましょう」
それを聞いた赤月は真面目な顔をして言う。いや、酷く怖い顔になったと言った方が正しいだろう。
「お前らは路地裏や人気の無いところには入るな。危ないところには俺が行く。それから、二人で行動すること。いいな?」
彼の警戒心を心配性だの、大袈裟だのと言う者もいるだろう。しかし、人通りの少ない路地裏だけでなく、大通りから少し離れただけでも、雰囲気はがらりと変わる。今も時々事件が起きているのだから注意は必要だ。
だからこそ、彼は動いた。半ば無理矢理に、二人のハンカチに自分の血を染み込ませたのだ。何も知らなければ極めて不快な行為だが、碧井涼氷は嫌な顔を一切しなかった。最悪の場合、赤月の血液が大きな助けになることを、彼女は知っている。
「十五分おきに連絡を取り合うけど、俺から連絡がなくても探そうとするなよ。何があっても俺は平気だ。それじゃ、また後でな」