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氷中花  作者: 綴奏
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夏夜の恋心 其ノ六

 ――その後、吸血鬼は美咲に自分の部屋まで下ろしてもらい、彼は窓から無事戻ることができた。ただ、「無事に」と思ったのは、ほんの数秒に過ぎない。

「し……忍?」

 全くもって謎なのだが、赤月のベッドの上には上羽巳忍の姿があった。 

 激しく戸惑っている吸血鬼と同じく、忍の方もパニックになっているように見える。

「むーん……」

 聞き慣れた声を聞いた赤月は凍りつき、忍は恐る恐る自分が抱きつこうとしていた者の顔を確認した。

「……ちょっと赤月」

「……」

 ホラー映画の作り話を馬鹿にする吸血鬼ではあったが、棺桶があれば入りたいと本気で思っていた。

「なんで碧井がアンタの部屋で寝てんの? しかも服着てないじゃん!」

 赤月は言葉が見つからないらしく、必死に首を横に振っている。あまり激しく首を振るものだから、適当に止めていたベルトが外れた。そして、ファスナーの開いていたズボンが下がりそうになるも、足を広げてなんとか阻止してみせる。ここまでみっともない修羅場も珍しい。

「何しらばっくれてんのよ! シャツのボタンも全部開けちゃって準備万端じゃん! しかも窓から登場とか……変な映画の見過ぎじゃないの!?」

「お前は普段どんな映画観てんだよ!?」

「知らない! キモい! 変態!」

「むーん……」

 涼氷がうるさいとばかりに再びシーツの中へと戻っていくと、忍の怒りの矛先は青髪少女にまで向けられた。

「アンタもいつまで寝ぼけてんの!」

 忍の蛇睨みから逃れた吸血鬼は、必死にズボンを履き直した。そして、忍を刺激しないよう、恐る恐る涼氷に尋ねる。

「……涼氷さーん。……どうやってこの部屋に入ったんだ? ここオートロックだろ」

 忍がこのホテルにいることの方がもっと謎だが、赤月はあえてそこには触れないつもりらしい。シーツから顔を出した涼氷は珍しく無防備な様子をみせると、かなり怠そうに答えた。

「むーん……? ドアが閉まる前に少し止めたの」

「希少価値の高い能力を何に使ってんだ、お前はっ!」

 寝ぼけ眼のまま、涼氷は意地悪な笑みを浮かべている。それを見た赤月は窓から飛び降りる覚悟を決めた。あの表情になった彼女が自分に有利なことを言った試しがない。

「むぅん? ……私の匂いが好きなんでしょう? 昨日二人きりの時に、そう言ってくれたじゃないですか。ずっと一緒にいたいって」

「悪質な拡大解釈し過ぎだろーがっ!」

 すかさず赤月は窓から一度脱出することを決意した。このままだと忍に殺されかねない。しかし、振り向きざまに何かにぶつかった赤月は尻もちをついた。そう、彼の背後には髪を逆立てて牙を剥く、上羽巳忍の姿があったのだ。


 ――蒸し暑さと日差しに悶える吸血鬼は、呻き声を上げて眼を覚ました。その身体の異常な怠さに違和感を覚えながらも、眼を擦りながらフラフラと歩き出す。そして、鏡に映る自分の姿を眼にして絶望することとなる。

「おいおい……マジかよ」

 引き裂かれたシャツをまとう彼の上半身は、無数のアザと咬み痕で埋め尽くされている。 

 どうも身体のあちこちから痛みを感じると思ったら、それが原因だったのだ。部屋を見回すと涼氷の姿もなかったため、あの後、ちゃんと自分の部屋に帰っていったらしい。悲惨な目に遭ってばかりであったが、それだけが唯一の救いだった。

「忍が蛇の異能者だったなんて……。てゆうか、あいつ毒とかもってねーだろうな」

 鎖骨あたりの咬み痕を摩りながらシャワーを浴びている赤月は、憂鬱な気分で修学旅行の最終日を迎えるのだった。


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