夏夜の恋心 其ノ二
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翌日、クラスメイトは朝食を済ませると、すぐに自転車を海へと走らせた。普段は色恋沙汰に夢中の彼らも、少しばかり無邪気さを取り戻しているように見える。一方、誰もいない民宿の庭で寛ぐ赤月は、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
午後二時頃、やっと涼氷の部屋のドアが開く。自転車の側でしゃがんでいた吸血鬼は顔を上げ、麦わら帽子を被った青髪少女は眩しそうに彼の方を見る。
「どこへ……連れていってくれるの?」
――荷台に涼氷を乗せた赤月は浜辺へと自転車を走らせている。その間、涼氷は彼の服の裾を遠慮がちに掴んでいた。しばらくすると、さとうきび畑をひとりで歩く忍の姿を見かけたため、赤月は大声で呼びかけた。
「おーい、忍! お前の宿泊先ここら辺なのかー?」
「あ、あかつきー! あそこに見えるボロいとこー!」
実にわかりやすい説明だった。こちらに駆け寄ってくる少女が指差す先には、かなり古い宿がある。彼女が通うのは公立高校のため、これくらいの差があっても仕方ないのかもしれない。
「ふーん、上羽巳さんも来ていたんですね」
「へー、アンタも来てたんだ」
既にそのことを説明済みだったはずの赤月は、空気の澄んだ青い空の下で再び深い溜め息をついた。赤月との繋がりで何度か顔を合わせることはあったのだが、この二人はどうも馬が合わないらしい。涼氷の座る荷台を睨みながら、忍は拗ねた声で尋ねる。
「これからどこ行くの?」
「あっちの浜辺だけど」
「そうなの!? アタシも行くー!」
実は忍も海へ行くつもりだったらしく、笑顔で赤月の腕にしがみついた。さっきまでの不機嫌な様子もすっかり消え去り、涼氷に対する敵意もどこかへ行っている。
「おい、わかったから引っ張るな、危ねーだろ!」
不安定に揺れる荷台の上で、涼氷は赤月の横顔を黙って見つめている。この時、彼女の手はもう、赤月のシャツの裾を掴んではいなかった。
――自転車を押し始めてから数分後、彼女たちは透き通った海に目を輝かせた。 しかし、赤月の濁った視線は海ではなく涼氷たちに注がれている。
「やっぱお前らロンT着るのか?」
「沖縄の日差し舐めてんの? 赤月だって着てる癖に」
「せっかくの水着姿が……」
立ったまま眠っているような表情になった吸血鬼は、彼なりの悪夢に引きずり込まれているらしい。
「はあ!? アンタの頭ん中にはそれしかないの!?」
「もしかして心の声が出てたか!?」
忍はロングTシャツの下にある控えめの胸を隠すような仕草をみせる。その一方で、ずっと黙っていた涼氷は、着ていた緩めのロングTシャツの中に彼の頭を入れて胸に押しつけた。喜んでいるのか苦しんでいるのか定かではないが、赤月はひたすら拳を握っている。見方によっては、バレないようにガッツポーズをするバカな男子高校生に見えなくもない。そのあまりにも大胆な行動に、忍は顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。涼氷はといえば、やはり、どこかご機嫌斜めの様子だ。
「そんなに見たいのならこの中に入ってなさい、エロ月くん」
――赤月は潮の香りがする木陰で目を覚ますと、仰向けのまま前髪を掻き上げた。横にいた忍がそれに気づき、彼の顔を覗き込む。
「アンタどうしちゃったの? あれだけで気絶するなんて、変態だから? それとも吸血鬼ってやっぱり日差しに弱いの?」
変態の汚名を撤回させる気にも、青髪少女の時のように吸血鬼の性質について丁寧に答える気にもなれなかった赤月は雑に答える。
「あー……興奮して天国行ってたみたいだ」
「この変態! 帰ってくんな! バカ! アホ!」
忍は完成していた砂の城を破壊し始めた。片腕で胸を隠すような仕草をしているところからして、涼氷のスタイルに嫉妬しているのがよくわかる。
「あれ……涼氷は?」
すぐに青髪の少女を気にした吸血鬼に対し、金髪の少女は苛立ちをみせる。
「……ちょっと海で遊んだ後、ナマコが多過ぎて気持ち悪いって、どっかに行ったけど」
「どこかって……どこだ?」
「自転車もここにあるし、そのうち帰ってくるでしょ。――ね、まだ少し時間あるし、一緒に海で遊ぼ? 碧井とナマコ合戦しかしてないから遊び足りないの」
それを聞いた赤月は途中から喧嘩になったに違いないと勘づき、涼氷の機嫌が良くなるまで待つことにした。いま近づけば怒りの矛先が自分に向けられるに決まっているからだ。「頼むから、俺にはあんな気持ち悪い生き物投げるなよ」
「えへへ、結構かわいいよ? ほら!」
「おい、しの……ぶあああああああ!」