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氷中花  作者: 綴奏
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受胎の聖告 其ノ十

 校舎から感じる地響きのような音が、血の海を小刻みに揺らす。何かが、迫っていることを知らせていた。それに気づいた赤月は、彼に寄り添う時の異能者を一瞥すると、放射状の血柱を手から放ち彼女をその場から遠ざける。お互いの気持ちに呼応するように、赤月の指輪と、涼氷のネックレスは悲しげに最後の輝きをみせた。どんな時も心を乱すことのなかった時の異能者が。あの碧井涼氷が、初めて声を上げた。

「赤月くん!」

 大切な人から突き放された碧井涼氷が赤く冷たい檻から解放されたのは、彼女に別れを告げるように砕け散った血の結晶に囲まれた瞬間だった。時が奪われたのか、身体がいうことを聞かないのかは定かではない。だがしかし、校舎の天井を突き破った無数の触手に貫かれた吸血鬼には、そのどちらであっても関係のないことだろう。

 血反吐を吐いた吸血鬼は、その場に膝を落としたまま俯いて動けずにいる。倒れることも許されない串刺しの吸血鬼を確認するように、化け物はぽっかりと開いた口から顔を覗かせた。そして、舌を動かして伸びてきた顔が、赤月に守られた時の異能者をその目で捉える。――その時だった。

 息絶えたかに見えた吸血鬼が、腹の底から怒りを轟かせるように唸り声を上げている。その直後に耳鳴りのような音が響き出したため、警戒した化け物が世界の時を奪ったことがわかった。だがしかし、赤月時雨は最期まで碧井涼氷を守るために時の力に抗おうとしている。彼の眼は赤色に塗り替わり、妹と同じ血のように真っ赤な髪にみるみる染まっていく。すると、風すらも吹かない時の奪われた世界で、赤月時雨は左手を動かしてみせた。人殺しの手ではない、誰かを守るために使ってきたその左手を、血の海に沈める。

 それから数秒は、時を取り戻した世界であるにもかかわらず、不気味な程に静かな時間が流れた。そして、血の海から突如現れた無数の血柱に身体を貫かれた化け物は、その重みに耐え切れず折れていく血柱と共に倒れる。その動きに伴い吸血鬼から触手が乱暴に引き抜かれると、彼はビチャビチャと血の海を転がっていく。その傍らで血の海に反り立つように突き刺さっていた血刀を手に取ったのは、時の異能者だった。彼女は無言のまま、自分の腹を突き破った化け物へと足を進める。――赤黒い音を波紋と共に広げながら、ついにそこへ辿り着く。

「タスケタカッタ……スクイタカッタ……ツミヲセオッテモ……ワタシハ」

 血刀を振り下ろそうとしていた碧井涼氷はその手を止めると、化け物の口から苦しげに飛び出た顔の傍に膝を着いた。そして、時の異能者はたった一言だけその男に囁くと、ゆっくりと立ち上がる。いつもの冷静さを取り戻した彼女は。無理矢理に冷静で、冷酷であろうとした彼女は。舌から生えていた顔を斬り落とす。血の海にびちゃりと跳ねた男の表情は、死人のそれにはとても見えなかった。どこか救われたような表情をした男の顔は、自身の時に終わりを告げて血の海に溶け込んでいく。

 時の捻れを解除し、時を定め終えた時の異能者。彼女がすぐさま向かおうとした先は、心の臓を貫かれた吸血鬼の元だった。しかし、彼女は吸血鬼の亡骸にすら近づくことさえ許されず、血の海に膝を落とした。男の命を奪った直後。吸血鬼の血液から作り出された刀が小さな結晶となり砕け散った時から、時の異能者は気づいていたのかもしれない。


「ずっと……ずっとずっと前から、あなたのことが好きでした」


 碧井涼氷の頬には、悲しみの雫が伝っている。


「……私を置いて行かないでください」


 赤月時雨は、もういない。

 青髪の少女はもう、触れることも叶わなかった。

 炎に包まれた吸血鬼の亡骸は。

 天に昇るように消失していったのだから。


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