片道赤切符 其ノ二
どうやら涼氷は彼の体調を心配して長居するつもりもないらしい。もっと話したそうにしている忍を引っ張るようにして病院を後にした涼氷は、相変わらず黙って歩いている。その空気の重たさに堪え切れなくなった蛇の少女が口を開く。
「でも目が覚めて良かったね。一週間も起きなかったんだもん」
「あれだけの猛毒を流し込まれて生きているだけでも運が良かったらしいですよ。腰痛や神経痛は一生残りますが、その痛みを和らげることはできるらしいですし」
「一生なんて……辛すぎるよ」
三日月も先程から元気が無く、下を向いたまま二人の後ろを歩いている。
「あの人、何回か白眼を剥いていたでしょう? 小さな動作であれなのだから、本当はかなり辛いはずよ」
「言われてみればそうかだったかも。なのに赤月ったら人の心配ばかりしてるんだから」
「でも、あんな赤月くんは初めて見ました」
呟くように言ったものだから、忍にはそれが聞こえなかったらしく別の話をし始める。
「ねえ、あの後すっごい大きな爆発が起きたじゃん? アレってなんだったんだろうね。結局、赤月に訊くの忘れちゃった」
「糸車さんもそれに関してはわからないと言っていましたよ。ただ、血塗りの修羅との戦いが終わった後だったとか」
そう言いながら余所見をしていた涼氷は急に立ち止まった忍の背中にぶつかる。涼氷が文句を言おうとすると、上羽巳忍は予想もしなかった言葉を口にした。
「碧井、逃げて」
涼氷がその言葉の意味を理解する頃には、二本の触手がすぐ側に迫ってきていた。触手の先には鋭い歯を剥き出しにした食虫植物のような頭が付いている。三日月の影がそれを捕らえたものの、別の頭に影が咬み付かれてしまい、影が徐々に薄れていく。必死に耐える三日月の抵抗も虚しく、影を食い破った触手が涼氷へ向う。すると蛇の少女が両手を広げて、碧井涼氷を庇った。
――ぐしゃり、という嫌な音が響く。その音を吐き出した場所には、触手の頭を貫く真っ赤な血柱が地面から突き出ている。彼女たちが後ろを振り返ると、そこには確かに赤月の姿があった。血柱を即座に生成するために、彼は既に身体を血塗れにしている。
「赤月……どうして」
彼は痛みに顔を歪めながら、触手を操る黒布に向かって行く。爪で裂いた左腕を一気に振り抜くと、大きな三日月型の刃が飛び出す。それは黒布の触手を斬り落としたものの、本体には避けられてしまう。ここで、吸血鬼の悲鳴が響き渡った。電気が一気に走り抜けるような痛みが、攻撃の反動で彼を縛り上げたのだ。隙が生じた赤月の腹に、容赦なく蹴りを入れた黒布は涼氷の後方にふわりと降り立った。すかさず近くにいた忍を突き飛ばした涼氷は、触手から彼女を守ったものの自身が縛り上げられてしまうこととなる。
涼氷を連れて去ろうとする黒布を、立ち上がった忍と三日月が追い掛ける。そこに再び頭のついた触手が向かうと、飛び出してきた赤月が血刀でそれらを斬り落とした。
ただ、赤月の動きに違和感を感じることから、もう限界なのが目に見えてわかる。もはや精神で動かしていた身体は長くは保たず、黒布の目前で動きが止まってしまう。黒布は右手を触手の先と同じような形状に変化させ彼の腰に咬み付き、投げ飛ばす。運の悪い事に、咬み付かれたのは特に損傷の大きい赤月の左腰だった。その場に残された戦力は皆無に等しく、連れ去られる涼氷を追うことができる者はいない。その無力さを音に変えた赤月の悲鳴しか、時の異能者を追い掛けるができなかったのである。




