月夜と美羽 其ノ六
人が波のように流れるショッピングモール。目の前で足を止める人影に気づいた美羽は笑顔で顔を上げたが、そこにいたのは男性二人組だった。
「あの、このお店ってどこにあるか知ってますか?」
元々親切な性格をしているのか、美羽はみせられたスマートフォンを覗き込む。
「ああ、このお店ならこのショッピングモールの外れの方にありますよ」
見た目はチャラそうだが、愛想の良い反応をした男は言った。
「よかったあ、俺ら初めてきたからよくわからなくて。ちょっとだけ案内してくれません?」
「え……あの」
人を待っている、の一言を伝えることができないまま、男性たちに手を取られてしまった美羽。彼女に話す間を与えることなく一方的に会話に巻き込む男性たちは、確かにショッピングモールの外れに来ていた。ただ、ここは平日ということもあってほとんど人通りがない駅の反対側である。
「さてと、この後、付き合ってよ。ほら乗って乗って」
口を塞がれ小さな悲鳴すらも上げられなかった美羽は、いかにも遊んでいそうな車に引きずり込まれていく。そして、車内で待ち構えていた別の男たちに拘束されそうになったその時だった。美羽を連れ去った二人組が運転席と助手席に着きドアを閉めた瞬間、後部座席から呻き声が聞こえたのだ。彼らが後ろを振り返ると、後部座席で美羽を挟むようにして座っていた男の身体が宙に浮いていたのである。
「なんだよ、あれ!?」
「上になんかいやがる、早く振り落とせ!」
男がアクセルを思い切り踏んだ直後、ルーフを突き破るようにして現れた腕は消え去っている。ただ、後部座席の男たちは揃いも揃って泡を吹いて失神していた。何が起きたかもわからない恐怖が運転席の男のアクセルを緩めることはない。が、再び頭上から何かが飛び乗る音がしたかと思いきや、あっという間に素手でルーフが引き剥がされていく。パニックを起こした男はハンドル操作を誤りガードレールに突っ込み、ボンネットから煙を上げて気を失ってしまった。その時にはもう、ルーフをこじ開けた腕も、連れ込んだ女性の姿もなくなっている。
――事故現場から数キロ離れた場所。そこにはお姫様抱っこされていたはずのお姫様が、人気のない公園の芝生にお尻から落下する姿があった。
「お前、襲われたの初めてとか言ってなかったか」
苛立ちを隠し切れていない月夜は、腕組みをして美羽を見下ろしている。
「ナンパはされるけど、こんなの……なかったよ」
――ポンっ。涙目で震え始めた美羽の頭に置かれた手。それは冷たくも、どこか温かい月夜の手だった。ただ、彼の言葉は素っ気ない。
「まあ、俺には関係ないがな」
それだけ言った彼は、付いて来いとばかりに背中をみせて歩き出した。いきなりのことでオドオドとし出した美羽ではあったが、黙って吸血鬼を追う。当の本人は何も気にしていないらしく、スタスタと進んで行ってしまうため、彼女はそれを追うので精一杯になっていた。
そのまま帰路に就き、会話も無いまま十五分ほど月夜の後を追う女性。行きに通ってきた道を正確に戻っている吸血鬼が目指す場所は、もう目前まで来ていた。そして、美羽を家の前で一度立ち止まった少年は、約束を果たしたとばかりに振り返ることなくそのままそこを通り過ぎて行く。美羽は寂しそうな表情をして彼の背中を見つめ、声を掛けるかどうか迷っている。
「おい」
そう言って振り返った吸血鬼は、彼女に小さな箱を投げ渡した。それには可愛い包装が施されている。
「誕生日なんだろ」
喜ぶことを通り越して、驚きを隠せない美羽は小包みを胸に抱いたまま言った。
「どうして……知っているの?」
「壁掛けカレンダーに記載してあれば誰でもわかる」
ずっと会話の無かった時間の反動か。急に表情が緩み出した火の異能者は、両手に持ったプレゼントをしばらく眺めていた。
「開けてもいい?」
「好きにしろ」
それが別れの言葉だったのだろう。アパート前の茂みに突っ込んでいた薄汚れたコートを手に取った吸血鬼の少年は、黙って彼女との距離を広げていく。しかし、吸血鬼の都合など全くもって考慮しないひとりの女性がゼロ距離に迫り、背中から抱きついた。
「放せ」
「うーん、もう少しだけ」
本当に迷惑そうな顔をした吸血鬼の少年が振り返る。――と、彼は眼を見開いて驚きの表情を浮かべた。それもそのはず、目に涙を浮かべている女性は、喜びと悲しみが入り混じった表情で彼を見つめていたのだから。
「……何してんだ、お前」
動揺を隠せない月夜は、次の行動を決められずに固まってしまっている。月夜の背に顔を埋めるようにして嗚咽を漏らし始めた美羽の手にある小さな箱。その中には、月夜の物と全く同じツバメの髪飾りが入っていた。気まずそうな顔をした吸血鬼の少年は、どこか言い訳をするように言った。
「あの店を出る際、他の髪飾りに埋れていたのを見つけただけだ」
――ずっとこうしたかった。力一杯、吸血鬼の少年に抱きつく美羽からは、そんな気持ちが手に取るようにわかるようだ。子供みたいに顔をぐしゃぐしゃにした彼女は、無邪気に彼を見上げる。
「ねえ、月夜が私に付けてくれる?」
「断る」
腰に纏わりつく女性をうるさいとばかりに、彼女の頭を掴んで引き離そうと躍起になり始めた。
「さっさと離れろ」
と、――急に黙り込んだ彼女に不安を覚えたのか、顔を押さえ付けていた手をそっと放した月夜。彼の手から顔を出した美羽は、涙を浮かべてはいるものの、今まで一番の笑顔をみせている。そんな二人を優しく見守るように。真冬の風が彼らを包むようにして、冷たくも穏やかに過ぎ去って行った。