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氷中花  作者: 綴奏
135/165

月夜と美羽 其ノ五

 

 ◆


 生活感はあるものの、余計な物も無いためにどこか寒さを感じるアパートの部屋。そこで身震いをして寝返りを打った橙色の髪をした女性が飛び起きる。それもそのはず、目の前にパーカーのフードを浅く被った少年の寝顔があったからだ。

 一昨日、命に関わる程の血を吸われたにもかかわらず、彼女は警戒心をみせようとはしない。それどころか彼の侵入経路を探るように、ゆっくりと部屋を見渡した。案の定、いつも閉め忘れてしまう窓から簡単に入り込んだようだ。女性の一人暮らしにもかかわらず無用心なことを気にも留めない美羽は、愛おしそうに月夜の頬に触れる。

「何をしている」

 その手を振り払うこともせず、ゆっくりと眼を開けた吸血鬼が言った。時刻は正午。少し青白い顔をしている女性は力の無い笑顔をみせる。

「昨日は大変だったんだから」

「殺さなかっただけマシだ」

「もう少しだけ、優しい言葉を掛けられない?」

「ここにいるだけで十分だ」

 むくりと起き上がって薄汚れたコートを脱ぎ去り、袖の破けたパーカー姿になった月夜。すると、血で汚れた両腕の包帯を徐に外し始めた。その両腕には蛇が巻き付いたような紫色の模様が走っている。新しい包帯を巻き直す様子もなく、その目立つ両腕を晒したままコートに手を掛けた。

「それだと目立っちゃうから」

 まだ髪を下ろしている女性は、顔を赤らめて厚手の黒パーカーを手渡す。男物のそれは新品に見えるため、恐らくは月夜が来てくれることを信じて、目立たない服を用意していたのだろう。彼は無表情をみせたものの、手にした薄汚れたコートを黙って見つめこう言った。

「……お前とこの格好でいると、確かに目立つな」

 感謝の言葉を口にするでもなく、吸血鬼の少年は無言でそれを受け取り着替えた。その後、珈琲を飲みながら美羽の支度を待つ吸血鬼は、久々の休暇を味わうように白い息をゆっくりと吐き出している。支度をしながらもチラチラと自分を見る彼女の視線に気づいている様子であったが、彼は壁に寄り掛かり珈琲を啜り続けた。

 数十分後、当然のようにフードを被りアパートを出た吸血鬼を、逆に怪しいと言いフードを無理やり引き剥がした美羽。指名手配中の吸血鬼を相手にそんなことをすれば、ただで済むとは思えないが、月夜は意外にも冷静だった。

 彼曰く、ESPは秘密裏に血塗りの修羅を始末したがっているらしく、組織が持っている詳しい情報は公開していないという。そのため世間では都市伝説のような存在となっており、誰も彼が血塗りの修羅などと思わないのだそうだ。だからといって街中で堂々と顔を晒して歩くわけでもないが、もう顔を無理に隠す必要もなくなったらしい。その理由を訊こうともせず、なぜ自分を襲ったのか、そしてなぜ殺さなかったのかを問う女性。すると月夜は美羽の方を見向きもせず、こう言った。

「お前に警戒心が無さ過ぎるからだ。そんな奴は殺す価値も無い」

 美羽はキョトンとして月夜を見つめている。溜め息をつくように、少年は続ける。

「お前は自分を強姦しようとした連中を殺すなと言った。挙句、見ず知らずの俺を家に招いた。お前みたいな馬鹿が今まで何事もなく生きてきたことが驚きだ」

 美羽はムスッとした顔で言った。

「だからって咬み付くことないでしょう。女の子にはいつもあんなことしてるの?」

「……つい最近の襲撃を除けば、俺を殺しに来るやつらは男ばかりだった。そもそも女から血を吸ったのは、お前が初めてになる」

 しばらくの沈黙のあと、彼女が純粋な疑問をぽろりと口にする。

「吸血鬼なんだよね?」

「吸血鬼の異能者は血液を飲まなくても死にはしない。とにかく、お前はもっと警戒心を持て。何かに巻き込まれるのを避けたければな」

 月夜はツバメの髪飾りを外しそれを見つめた。

「お前を守りたいと思ってくれている者がいたとしても、その者が傍にいるとも限らない。もしくは、それ相応の力を持っていないこともあるだろう」

 そう言って美羽の方を振り返った吸血鬼は、彼女の視線が注がれているものに気づいた。彼の腰に提げられたボトル。それは揺れる度に液体が中にあることを知らせる音を響かせている。

「血液だ」

 月夜の言葉で彼女の表情が凍りつく。

「輸血用の血を購入しているだけだ」

 美羽の表情が緩んだのを確認すると、月夜は気だるそうにそう付け加えた。そして、血を摂取する必要がないと説明したこともあり、質問が来る前に答えを投げつける。

「基本的に負傷した時に必要とする」

「そうなんだ。怪我に効くんだね……」

 立ち止まって何かを考えている美羽を気にも留めず、左手を見つめる月夜はこう呟いた。

「今は再生も概ね制御できるようになった。あの女に予備の血液が尽きるまで四肢を引き千切られ続けたせいでな」

 普通に生活していれば触れることのない、語ることのない言葉たちが並べられたため、美羽は身震いをしている。生々しい話を変えようとしたのか、彼女は月夜の横に並びながら恥ずかしそうに言った。

「あのね、今日は君と同じ髪飾りが欲しくて来てもらったの」

「勝手にしろ」

 彼が例の髪飾りを購入したのは六年も前らしく、売っているはずがないと言っても美羽は聞く耳を持とうとしない。御しとやかなお姉さんの雰囲気を持っている割に、意外と頑固なようだ。案の定、目的の物は見つからず美羽は広場のベンチでひとり肩を落としていた。トイレに行くと言って去った月夜を待つ彼女は道中の会話を思い出して顔を赤らめる。

「……私の血しか、飲んだことないんだ」


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