月夜と美羽 其ノ三
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――無言の食卓。それは礼儀に厳しい家庭、喧嘩中の家族や夫婦もしくは独り身の人間のものだけだと思いがちだ。だが、若い男女が机を挟んで食事をしている状況下でもそれは成り立っていた。フードの少年はまともな生活をしていないらしく、拒絶をした割にはしっかりと料理を口に詰め込んでいる。
薄汚いコートは脱いでいるが、パーカーのフードは深く被ったまま。そんな少年を、サイドダウンの女性がまじまじと観察してしまうのも無理もない。冬だというのにどういうわけかそのパーカーは袖が破けて失くなってしまっているのだ。
ただならぬ事情を抱えていそうな彼を前にしても、怖いもの知らずの彼女には関係ないらしい。行儀が悪いと思ったのか、彼の顔をちゃんと見たいと思ったのかは定かではないが、そのフードに手を伸ばす。しかし、彼女の腕を少年は素早く、そして強く掴んだ。
「俺の顔を見た人間は、場合によっては殺す必要がある」
路地裏での残酷性から、その言葉が冗談だとはとても思えないが、女性にとっては何の脅しにもならなかったらしい。
「君に拾ってもらった命だから。それに……」
その言葉の先を言わなくとも何が言いたいのか彼にはわかっていたのだろう。少年が腕を掴む力を緩めると。女性は遠慮しながらも好奇心の優った目をして、そっとフードを外す。そこには赤い瞳をした美少年の姿があった。水色のセミロングの髪にはシルバーの髪飾りを付けている。そのツバメの髪飾りは、まるで青空を羽ばたいているようだ。
思わず見惚れていた女性は彼の髪に指を通し、どういうわけか頬に手を当てた。数秒後、我に帰った彼女はスッと手を引っ込めて気まずそうに少年を見る。睨むこともなく、何の感情も無しに、女性の行動を観察していた少年は何事も無かったかのように食事に戻っていく。それを見て安心したのか彼女は少しだけ調子を取り戻す。
「……あ、自己紹介まだだったね。私は山灯美羽、君は?」
箸を止めた少年は忠告をするような眼をしたが、美羽は微笑んで返事を待っている。
「……月夜」
それだけ言うと。彼は再び料理を掻き込み始める。
「美味しい?」
名前を教えてくれたのがそんなに嬉しかったのか、彼女は満面の笑みだ。
「……まあまあだ」
「嘘でも良いから美味しいって言って欲しかったかも」
拗ねている美羽をしばらく放ったらかし食事を続けていた月夜は、徐に口を開いた。
「お前、何も訊かないのか」
「無理に詮索する気もないよ」
そう言いながらも、どこかそわそわしている美羽は彼が箸を置くのを待っていたらしい。
「じゃあ、ひとつだけ良い?」
無言で前髪を弄る月夜を見つめながら、彼女は笑顔で唐突な質問をした。
「ツバメ好きなの?」
「そうでもない」
「でも君は髪が綺麗だから似合うなあ。……付けてみてもいい?」
近づいてくる美羽の頭を月夜は手で押さえ付けた。とても年上の女性に対して取る行動とは思えない。が、彼女は髪飾りが相当気に入ったのか細やかに抵抗している。
「少しだけ、ダメ?」
しつこいとばかりに、月夜に額を指で弾かれた美羽は、そこを押さえながら拗ねた顔をする。
「それ、とっても可愛いから……」
「これは女が貰ったら喜ぶものなのか。お前よりももう少し年上の女でも」
「その髪飾りなら大体の人が喜ぶと思うよ。……なーに? 私にくれるの?」
「お前はアホウドリでいい」
「……ひどい」
ジトっとした目で月夜を見ていた美羽は、再び無邪気な笑顔をみせる。
「あの、明後日行きたいとこあるんだけど……付き合ってくれる?」
月夜はねだるように近づいて来た彼女の顔を鷲掴みにする。多分、彼は女性の扱い方を知らないのだろう。こんな綺麗な女性の顔をそんな扱いをする男が他にいるだろうか。
「どういう思考をしていたらそうなる」
「……うーん、じゃあシャワー貸さないよ?」
「俺はお前の飯を食わされた」
月夜の手から逃れた美羽は抗議する。
「罰ゲームみたいに言わないで……。あ、でも私の協力がないとお湯出ないんだなー」
「代わりにお前の頭の中が沸いてそうだがな」
「本当に水しか出なかったら付き合ってくれる?」
「わかったから黙れ」
魚を焼いていた時に火を使っていただろう、とばかりに雑に答えた月夜が風呂場に向うと、すぐさま布の擦れる音が聞こえてくる。その後、シャワーの流れる音が聞こえてきたが、しばらくすると少年は呻いた。
「……お前は一体どんな生活をしているんだ」
美羽はくすくすと小さく笑ってから、言った。
「ごめんね。いま温かくするから」