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氷中花  作者: 綴奏
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赤い月明り 其ノ七

 信じられない言葉を耳にした赤月の眼は、ゆっくりと見開かれていく。

「世界の時に干渉する力を世間に知られてしまっては、どんな人間に狙われるかわからないですから。それはもう、幼い私にはとても抱え切れる事実ではありませんでした」

 吸血鬼は驚きに顔を硬直させ、その口からは声にならない音が漏れるだけだった。

「それを聞かされた時には、お父さんの言うことだから素直に聞き入れたつもりではいたんです。だけれど、私がどこかおかしいから家庭が崩壊した。都合のいい言い訳で両親は私と距離を置いている。そんな風にしか思えなくなっていきました」

 碧井涼氷は、表情も声色も変えることなく語り続ける。

「嘘のような能力の真偽がどうであっても、私の存在が崩壊のきっかけであるということに変わりはありませんでした。ですから、今のこの環境は仕方のないことだと思うんです。ただあるのは、私の存在自体が家族をねじ曲げてしまったという事実だけですから」

 青髪の少女とは対照的に、赤月時雨の唇は横に強く結ばれていた。世界の時を操作しかねない力など、一体どれほどの人が信じるだろう。たったひとりの異能者に、こんなに華奢な少女に、そんな力が秘められているだなんて、誰が信じるだろう。

 本人だけじゃない。ここにいる吸血鬼だって信じられるはずもなかった。こんなことがあっていいのだろうか。赤月時雨はそう思った。

たった二秒程度の時を止める異能力を、自分の危機を救うために駆使してくれた青髪の少女。彼女は、誰でもわかるような嘘を幼い頃から両親につかれて距離を置かれ、時の異能者だというだけで幾度も誘拐されてきた。こんな環境で育てば、心を閉ざしたっておかしくはない。自分が一番よくわかっている。自分の力なんて、自分がどれほど無力なのかなんて、自分自身が痛い程にわかっている。それなのに、誰にもわかってもらえない。それどころか、ありもしないことを言われ、ありもしないレッテルを貼られ、気づけば一人になっている。

赤時雨と呼ばれた吸血鬼にとっては、自分のことのように思えて仕方がなかった。確かに彼は妹を守るために人を殺め、レッドアイという薬物の元にされてしまってはいる。だけれど、碧井涼氷に至っては、本当にか弱い少女でしかないのだ。人を殺めたわけでも、時を狂わせたわけでもない、ただの純粋な少女だ。

そんな彼女が、唯一無二の理解者であるはずの家族からも、そのような態度を取られていた。その事実だけで、黒髪の吸血鬼の心は血が滲むような痛みを感じてしまったのである。

 音が聞こえてきそうな程に強く握られた吸血鬼の拳。その掌に食い込んでいく爪が、赤い液体を滲ませ始めている。

「なあ、涼氷。……俺の前では無理をしなくていい」

「私は何も無理をしていません。世界の時に干渉する力も嘘だとわかっています」

「……なら、どうして俺に話したんだ」

「わかりません。今まで話すような人もいませんでしたから」

 赤月時雨は、俯いたまま歯を食い縛っている。

「辛いなら……もういいんだって」

「……あの、何が辛いのですか?」

 吸血鬼の指輪に、赤い血が涙のように伝っていく。

「……泣いたって、いいんだ」

「なぜ皆さんは涙を流すのでしょう? それが何になるというんですか?」

 ハッとして顔を上げた吸血鬼の眼は、血のように赤く染まっていた。

「涼氷……お前まさか……」


「赤月くん、なぜあなたがそんな顔をするのでしょうか?」

「なぜあなたは、私のために悲しんでくれるのでしょうか?」

「なぜ私の代わりに、眼を赤くしてくれるのでしょうか?」

「あなたの心は一体、どうなっているのですか?」


 眼に涙を浮かべている吸血鬼にはもう、時の異能者がぼやけて見えていたはずだ。


「……もう、いい」

 赤月の眼に溜まり始めた、理解に苦しむ液体に、涼氷は嫌悪感を抱く。


「涙は、嫌いです」

「あなたの心から溢れる悲しみが、手に取るようにわかってしまうから」

「悲しむから、それが流れているのでしょう?」

「なぜ、そんな悲しい物を流す必要があるのですか?」

「教えてください、赤月くん。私は、やはりおかしいのでしょうか? だから私の家族は」


 どこか、縋るような青髪の少女を見た吸血鬼の眼からは、大粒の涙が零れ落ちた。

「……もう、いいんだ」

「だってそうでしょう、赤月くん。――私は一度も」

 赤月に腕を引かれ、涼氷は彼にもたれかかる。

「なあ、涼氷。――嘘だと思って聞いてくれ」

 彼女の頭を包み込むように、吸血鬼は青髪を撫でる。

「泣くとな、少しだけすっきりするんだ……」

 その行為を全く恥じることなく、碧井涼氷は彼の胸に両手と頬を当ててジッとしている。

「人が堪えられないほどの痛み、悲しみから逃れるために涙はあると、俺は思ってる。人には、それが必要だと思ってる。泣いている間だけでも、人は辛いことを少しだけ誤魔化すことができるんだ」

 時の異能者の肩を、震える吸血鬼がギュッと抱き寄せる。

「でも……、でもお前は。今までの一度だって、辛いことから目を逸らさずに、逸らせずにいたんだ」

 吸血鬼の胸から、そっと顔を離した碧井涼氷。まるで、何も知らない子供のような目をして赤月を見上げると、彼のシャツの胸元を不安気に掴んだ。

「お前の心は、おかしくなんかないんだよ……」


『これ嫌いです』

『……俺は好きだけどな、綺麗だし』


「ただ、凍っちまっただけなんだ――」


『この花は何もできずに、ただ凍えているだけじゃないですか』


 赤月時雨には、碧井涼氷がガラスのような牢獄に閉じ込められているのが見えた。

 それはとても冷たく、どこにも逃げ場のない氷中花そのものだった。


 時の異能者を抱き締めたまま、吸血鬼の頬からは大粒の涙が伝う。それが、彼を見上げる青髪の少女の頬へ落ちては、ゆっくりと流れ落ちていく。

 まるで、碧井涼氷が、初めて涙を流したかのように――

赤月時雨と碧井涼氷のイヴと共に第二部はこれで終了です。次回は第三部へ移り、重要人物「血塗りの修羅」が登場します。この第三部をもって氷中花は完結します。

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