赤い月明り 其ノ三
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ヴァンパイアクリスマス。それは甘くも冷たい聖夜となり、ひとりの美女が首筋から赤い血を流すこととなるだろう。仮に上羽巳忍が映画で観た吸血鬼だとするならば、そこに変態的な要素が入り込んでしまうはずだ。けれど、今宵のクリスマスイヴはとても純粋なものとなりそうだった。赤い血の時雨を降らした吸血鬼は、碧井家で涼氷の手作り料理を堪能しながらのんびりと過ごしていたのだ。今はデザートのケーキと温かい紅茶を口にしながら、とても落ち着いた時間を送っている。
ティーカップをソーサーに置く音が静かに響くと、赤月時雨がやっと言葉を発した。
「そういや、文化祭にお前のお母さんが来てたのを見かけたぜ。いつも忙しそうなイメージを持ってたんだけど、よかったな」
「そうですね、それなりに楽しかったかもしれません」
「だったらもう少し明るい感じで言えよ……」
何の感情も感じさせない碧井涼氷は、長い睫毛をそっと折り畳むように目を閉じ、紅茶を口に運んでいる。そんな彼女を見つめながら赤月が思い出していた光景。それは、避雷針美咲と初めてのデートをした時に見た、碧井親子が映画館にいるものだった。何かと冷めているように見える娘ではあるが、あれはなんとなく母親譲りの部分もあるわけで、親子揃って内に秘めた想いが表に出にくいだけなのだろう。――そんな風に思っていた赤月は、こうして今夜も両親の帰りが遅いという碧井家のことをあれこれ想像する。
碧井病院の医師を務める両親はクリスマスイヴだというのに――いや、どの時期であっても酷く多忙で、こうして特別な日に家族でいれないことも当たり前になっている。だからこそ、時間が合った時には、娘と映画を観たり、一緒に食事を取っているのだろう。と、風船のように膨らんでいく妄想に涼氷の言葉が針を刺す。
「ところで、夜宵さんはどうしているのですか? 私から食事に誘っておいてあれですけれど、いつも大好きなお兄ちゃんと過ごしていたのでは?」
「そういう変な設定で話すのやめろって。……夜宵はユリアとどっかのホテルのディナーに行ってんだよ。女子高生になったんだから、大人の女性同士で素敵なクリスマスをなんとかって言って、半ば強引に予定決めさせられてた」
「それでは、金髪頭とみーさんは?」
「あいつらはバイトだってさ。忙しいから休ませてもらえないって言ってたけど、特別手当が出るらしくて、三日月のやつは張り切ってたぜ。とはいっても、あいつは怪我してるからオーダー取りと、事務作業専門らしいけどな」
「では、糸車さんは?」
今日はやたらと質問が多い事を煩わしく感じたのか、吸血鬼は面倒臭そうに答える。
「椿さんはドイツに家族で行くんだとさ。毎年恒例らしくて、本人としては迷惑極まりないといった感じらしい」
「ついでですが、避雷針さんは?」
なんだか棘のある言い方だとは思いつつ、吸血鬼が一応は答えた。
「美咲さんはお母さんと二人で静かに過ごすんだとさ」
「ということは」
どこか意地悪な表情になった碧井涼氷は、吸血鬼の眼を覗き込むようにして言う。
「一番クリスマスイヴらしい過ごし方をしているのは、意外にも私と赤月くんなのですね」
「お前がそんなことを口にしてる方が意外だっての」
最後の一口となったケーキを頬張った涼氷が立ち上がると、警戒し始めた赤月は椅子を少しだけ引く。どうやら、何かされた時に逃げ出す準備をしているらしい。しかし、時を奪われた数秒の間に隣の椅子に座られてしまったため、あまり意味はなかった。身体を斜めにするように腰掛けた涼氷は、赤月が座っている椅子の端に両手を乗せて言う。
「赤月くん、プレゼントを渡したいので眼を瞑ってください」
「いきなり腹パンとかじゃないだろうな……」
「無駄口を叩いていると本当にしますよ?」
最近は赤月弄りのバリエーションが増えており、危険を感じた赤月はギュッと眼を閉じた。これだけの至近距離を許してしまった上に、彼女には時を奪う能力があるのだから、下手な抵抗はしないに限る。
すると、吸血鬼の唇に柔らかいものが触れたかと思うと、顔を包み込むように涼氷の香りが彼を包む。あの夏の接吻のように。優しげであり、冷たい何かを秘めたキスだった。そして、シルクのドレスシャツが擦れる音と共に少しだけ顔を離すと、意地悪な表情をして彼女は言う。
「クリスマスプレゼントです」