レッドアイ 其ノ一
とある休日の午後、赤月兄妹は喫茶店のテラス席に着いた。
それと、一人の少女も一緒だ。
「いつまで青い顔してんのよ、情けない」
「暗くなってからずっと、何かが背中に張りついてた気がしたんだよ……」
「お兄ちゃん……そんなにホラー映画苦手だった?」
「絶対三日月が何かしてただろ」
赤月の視線の先には、影野三日月がいた。彼女の傍にいると、いつも決まって怪奇現象が起こる。薄っぺらい何かが、彼の背中を這ってくるあれだ。今だってメニューを持っているものの、その目は命を狙うように吸血鬼の眼を見つめている。
「ちょっと、みーちゃんを睨まないでよ」
「てゆうか、何でこいつは和服なんだ? こないだは黙ってたけど、外出時まで和服とか変わり過ぎだろ」
すると、テーブルがカタカタと鳴り始めた。赤月は地震かと思い周りを見回すが、どう見ても自分たちのテーブルだけが揺れている。そして、原因に気づいた彼の顔は引きつった。恐ろしいことに、三日月が俯いたまま小刻みに震えているのだ。おまけにどんどん激しくなっている。
「うわうわうわうわうわっ! なんかヤバいって! おい夜宵、これはどうやって鎮めるんだ!?」
「お兄ちゃんが酷いこと言うからでしょ。悲しいとこうなるのよ」
「呪われた人形かよ!? ……えっと、三日月、悪かったー。お前の和服姿、実は可愛いと思っててー、照れ隠ししただけなんだー」
酷い棒読みで話し掛けながら俯く三日月の頭を撫でてやると、ポルターガイストは嘘のように止んだ。そして、徐にメニューを赤月にみせると、彼女は抹茶ラテを指差した。
胸を撫で下ろした吸血鬼はなんとか笑顔を絞り出す。
「わかった、抹茶ラテだな。夜宵は?」
「うーん、ロイヤルミルクティーにしよっかな」
――この後、注文を済ませた吸血鬼はひとりの店員を眼で追っていた。肩くらいまである金髪をハーフアップにしている可愛らしい店員だ。緑色の大きな瞳と八重歯も、彼女の活発そうなイメージに合っている。
「お兄ちゃん、見過ぎ」
ギクリという効果音が聞こえそうな反応をみせた兄ではあったが、素知らぬ顔をして適当なことを口にした。
「そういう意味じゃねえよ。何であの子だけカーディガンなのかなと思ってさ」
「寒がりなんじゃないの?」
夜宵にしては安直な答えだった。
「暑がりの俺には理解できないな」
「脳が沸騰してるんだから当然でしょ」
「俺の頭は沸いてはいねえよ!」
どうやら兄を攻撃する時にこそ、小さな吸血鬼のキレが良くなるらしい。
「このチビ吸血鬼が……あれ?」
見覚えのある茶髪のロングヘアー、高校生には刺激の強過ぎるスタイルを持つ少女が赤月の眼には写っている。そう、店内の方には避雷針美咲の姿があった。空席を探しているらしいが、赤月たちが入った時点で満席になってしまっている。
「なあ、合席になってもいいか? 俺の知り合いなんだけど」
「私は別にいいけど」
三日月も頷いてくれたので、赤月はすぐ美咲に声を掛けている。彼女は少し悩んではいたものの、どこも満席だったらしく同席することになった。
「休憩していたところをお邪魔してごめんなさい。少し疲れてしまって」
「気にしないでください。私たちは兄を置いて遊ぶ予定でしたし」
「……赤月君の妹さん?」
美咲の視線が妹の赤髪から兄の黒髪に移るのも無理はない。初めて実の兄妹だと知った人間は大抵そういう反応をみせる。
「ああ、こいつは俺の妹の夜宵で、この子はその友達の三日月」
「私は避雷針美咲よ。いつも姉が迷惑掛けているから申し訳ないわ」
「いえ、両親が海外出張しているので、たまに来てくれると私も嬉しいんです」
彼女の言う「姉」とは、黒崎学園第二学年の担任をしている教師のことだ。実は、その女性教師は赤月たちと仲が良く、プライベートでも関わりがある。
とはいっても、その関係は妹の美咲にまで及ぶものではなく、赤月兄妹と美咲が顔を合わせたのは今回が初めてというわけだ。だからといって緊張するわけでもない夜宵は、落ち着いた様子で紅茶を口に運んでいる。そんな彼女を見てか、美咲は何かを思い出すかのように赤月と目を合せた。
「……しっかりした妹さんね、赤月君」
「今、俺と比較しただろ」
「美咲さんは何も間違ったこと言ってないでしょ」
美咲がクスッと笑ってくれたところで横槍を入れてきたため、ついにプチ兄妹喧嘩が勃発した。
当然、頭の回転が速い夜宵に敵うはずもなく、キレのある暴言に兄は袋叩きにあっている。それはドリンクが届くまで続いたが、美咲がようやく口を開いた。
「本当に仲が良いのね。……よくこうして出かけるのかしら?」
「それはないです。今日は男女一組につき、映画代が割引されるから」
「もう観終わったから、お兄ちゃんは用済み……ということね」
さすがにそこまで露骨な表現をされていないと思いながら、赤月は暴言から逃れるため、三日月の方に視線を移す。結局、こけし幽霊の目力にも負け、眼を逸らした――その時だった。
「きゃあ! ああっ……すみません!」
コーヒーの染みがじんわりと赤月の水色のシャツを塗り変えていく。あの金髪の店員が、バッシング中のコーヒーをかけてしまったのだ。
「あの……拭く物持ってきます!」
しかし、赤月は彼女の腕を掴んで引き止めた。
「火傷もしてないし、染みも大したことないから走らなくていい。慌てると危ないから落ち着いて」
「え、あ……はい。すみません、おしぼり持ってきますね」
そういって、金髪の店員が奥へ戻っていくと、周囲の視線と会話もあるべきところに帰っていく。一見紳士的行為に見えるが、赤月の場合はただのトラウマと言った方がいい。
小学六年生の冬、恐ろしい吸血鬼から逃げようとした生徒が、別の生徒と衝突して怪我をすることがあった。それも一度ではなかったのだから、神経質になっても仕方がないのかもしれない。こういった狭い場所であれば尚更だ。
「赤月君、大丈夫?」
「コーヒーも冷めてたから問題ない。それにしたって、いま出ていった男は何なんだ? あいつが乱暴な通り方をするからだろ」
「お兄ちゃん、気をつけなさいよ。まだ店内にいたら怖いでしょ」
「確かにあの男、気の触れた目をしていました」
「まあ、なんかヤバそうな顔はしてたけどさ」