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合い言葉は、木枯らしが消していく

作者: 妙原奇天
掲載日:2025/12/27

 段ボールみたいに薄い夕方だった。木枯らしが公園の砂を撫で、ベンチの背板がきしむ。


 史織は先に座っていた。手袋の指先で、膝の上の缶コーヒーを転がしている。

「今年も来たね」

「来たよ。……来られた、が正しいか」


 梓真は息を吐いた。白い。

「合い言葉、覚えてる?」

「もちろん」


 史織が笑う。笑い方だけは毎年同じだ。

「じゃあ言って。言えた方が、来年も会える」


 梓真は頷いた。言える。頭の中にある。たった四音。何度も反芻してきた。

 なのに、口を開いた瞬間、舌が乾いた。


「……」

「ほら。木枯らしに負けた?」


 負けたんじゃない。喉の手前で、言葉がほどけて、砂みたいになって落ちる。

「違う。覚えてる。でも——」

「でも?」


 梓真は拳を握り、爪を掌に立てた。痛みで形をつなぎ止めようとする。

「言うと、何かが壊れる気がする」


 史織は缶を立て、淡々と言った。

「壊れるのは、毎年少しずつだよ。だから合い言葉で縛ってる」


 梓真は笑えなかった。

「史織は、いつも言えるじゃん」

「うん。私は言える」

「ずるい」


 史織は肩をすくめる。

「ずるくない。梓真が、呼ばなくなっただけ」


 梓真は眉を寄せた。

「呼ぶ?」

「うん。合い言葉ってね——“言葉”じゃない」


 木枯らしが吹いた。枯葉が一枚、梓真の靴にぶつかって跳ねる。

「合い言葉は、私の名前だよ」


 梓真の口の中で、四音が崩れた。言えるはずなのに、言えない。

「……し、」


 史織は静かに首を振った。

「無理しないで。無理すると、来年どころか今日も消える」


 梓真は、胸の奥が空っぽになるのを感じた。

「ねえ。俺、来年……」

「来年は、私が先に呼ぶよ」


 史織は笑って、息を吸った。

 そして言おうとして、言えなかった。

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