第58話「虚無に消えた気配、絶望の影迫る」
咆哮が響き渡る。
ゼトスは巨躯を揺らし、氷嵐や雷撃と連携しながら魔物どもを蹴散らしていた。
爪を薙げば、骨と肉が爆ぜ飛ぶ。
雷を纏ったゼトスの突進が、百を超える魔物を灰燼に帰す。
リルベアの黒炎が一帯を焼き、レイラの氷刃は嵐のように舞い、触れたものを瞬時に凍り砕く。
三人の戦線はまさに鉄壁――だが、それでも群れは尽きない。
切り裂いたそばから背後を塞ぎ、焼き払ったはずの死骸を踏み台に新たな群れが押し寄せてくる。
終わりが見えぬ奔流は、まるでこの空間そのものが魔物を吐き出しているかのようだった。
このままでは……長くは持たん……!
リルベアの胸に焦燥が募る。
しかし繭を背に下がることなど許されぬ。退けば、それはすなわちこの世の終わりを意味する。
――悪食の触手が振り下ろされる。
腐臭を纏った漆黒の鞭が、空気を切り裂き大地を抉った。
「ッ!」
リルベアが地を砕きながら飛び退き、レイラとゼトスが同時に魔法を放った。
「《氷棘牢陣》!」
「《雷轟衝波》!」
雷と氷が絡み合い、触手を焼き裂きながら群れを押し戻す。
絶叫と轟音が重なり、戦場の空気は灼熱と極寒が入り混じる。
だが、押し返しても押し返しても、群れは膨れ上がるばかりだった。
リルベアの息が荒い。
肩で息をし、毛並みの間から汗とも血ともつかぬ液が滲み出ている。
ゼトスの額には無数の焦げ跡が浮かび、雷撃の輝きは先ほどよりも鈍い。
レイラの頬も青白く、魔力の糸を無理やり繋ぎとめているのが目に見えてわかった。
気づけば、魔力の枯渇がすぐそこまで迫っていた。
……まずいな。わらわとて限界が近い……!
リルベアの魔法発動に遅延が出始め疲弊が顕著に表れる。
レイラの雷光は散り散りに弾け、ゼトスの氷刃も強度を保てなくなっていた。
それでも彼らは踏みとどまる。
繭の奥で戦うヴァルトを信じて。
魔物の数は確かに減っていた。
だが――それでも、なお数万が蠢いている。
遠目にも数の影が波打って見える。倒しても倒しても底が知れぬ。
群れの奥から悪食が蠢き、再び触手が振り上げられた。
腐敗した粘液を滴らせながら、黒き刃が空を覆い尽くす。
「……まずいッ!」
咄嗟にリルベアは核を通じ、ヴァルトの気配を探った。
あやつの痛みを感じ取ることさえ、今の自分を支える力になっていた。
しかし次の瞬間――。
虚無が返ってきた。
暖かさも、痛みすらもない。
確かにそこにあったはずの主の存在が、ぷつりと途切れていた。
「……な、んじゃと……?」
膝が揺れる。
小さな身体の内側に、重い冷気が流れ込んだような感覚。
核を通じて感じていた温もりすら、今はどこにもない。
まるで世界そのものから切り離されたかのような、そんな喪失だった。
「リルベア様!?」
「どうされました!?」
レイラとゼトスの声が震える。
リルベアは乾いた喉を震わせ、呟いた。
「……ヴァルトが……死んだ」
その言葉は呪いのように空気を凍りつかせた。
時間が止まったかのように、戦場の音が遠ざかる。
二人の顔から血の気が引き、瞳が見開かれる。
「……そ、そんな……」
「主が……ありえぬ……」
絶望が胸を蝕む。
背筋を這い上がるのは悪食の触手。三人を覆い尽くす影がゆっくりと迫る。
ここまで、か……。
リルベアは奥歯を噛み締めた。
握った爪は血で濡れ、なおも震えている。
もう抗う力は残されていない。
魔力も体力も、そして心すらも削り取られ、残ったのは燃え殻のような闘志だけだった。
仲間の誰もが――終わりを悟り始めていた。
沈黙の中、荒い呼吸だけが響く。
その音すら、無数の咆哮と絶望、そして頭上から覆いかぶさる影に飲み込まれようとしていた。




