第55話「失われた光、魔王の決断」
「――美月っ!! リアぁッ!!」
咄嗟に声が喉を裂いた。
鋭く尖った触手が二人を貫き、そのまま本体へと引きずり込もうと蠢く。
俺は考えるよりも早く、剣を振り抜いていた。
金属が擦れるような甲高い音と共に、触手が両断される。
黒い液体が飛び散り、焼けるような臭いが辺りに立ちこめた。
倒れかけた二人を抱き留め、すぐさま後方へ跳ぶ。
背後では切り落とした触手がのたうち、石床をえぐっていた。
「……くっ……」
リルベアの身体からはまだ血が流れていたが、徐々に傷口が塞がっていく。
再生の速度は遅いが、意識ははっきりしている。
だが、美月は――。
「美月! おい、美月ッ! 返事をしろ!」
声をかけても、彼女の瞳は焦点を結ばない。
胸を貫かれた傷口からは血があふれ、衣服を真紅に染めていく。
勇者の力を持っていても、彼女は結局ただの人間だ。
俺たちのような異形の再生もなければ、魔王の因子もない。
生身の人間は、脆い。
その現実が、皮肉のように突き刺さる。
「嘘だろ……おい……!」
何度も肩を揺さぶる。
けれど、返事はなく、ただ虚ろな瞳が宙を彷徨うだけ。
「っく……ヴァルト」
リルベアの声が、痛々しいほど静かに響く。
「美月は、もう……」
「やめろ!」
首を横に振る。耳を塞ぎたかった。
ありえない。こんな結末があっていいはずがない。
心の中で同じ言葉を何度も繰り返す。
だが現実は、残酷に俺の腕の中に横たわっていた。
「っ!」
気づけば、視界が滲んでいた。
熱いものが頬を伝い落ちていく。
――俺は、ずっと気付かないふりをしてきた。
出会ってそんなに日は経っていないかもしれない。
それでも、それなりに濃い時間を一緒に過ごしてきた。
いつしか、美月も俺にとって大切な仲間なんだと思っていた。
いや、仲間以上、でも何なのかは自分でも言葉にできなかった。
だが、今ようやく理解した。
俺は、美月のことが――好きだったんだと。
胸の奥が引き裂かれるように痛む。
不安、恐怖、怒り、そして後悔。
複雑な感情がごちゃ混ぜになり、心をかき乱す。
「ヴァルト……」
リルベアがかけてきた声も遠く感じる。
背後からは悪食の咆哮、魔物の群れが迫り続けている轟音。
地獄そのものが一歩ずつ近づいていた。
俺は美月をそっと地面に寝かせると、静かに立ち上がった。
「……リア、少しでいい。あいつらを足止めできるか?」
俺の問いに、リルベアは怪訝な表情を浮かべる。
それでも、答えは返ってきた。
「長くはもたんぞ。……十分じゃ。それ以上はどうにもならん」
「わかった」
俺は魔物の軍勢を一瞥し、ゆっくりと剣を鞘に納めた。
「一体なにを……?」
リルベアが険しい目を向けてくる。
「すまん。この場を預けるぞ」
そう告げた瞬間、俺の足元に複雑な魔法陣が幾重にも展開された。
全てを飲み込むような漆黒の光が床に走り、禍々しい紋様が空間を埋め尽くす。
リルベアの目が大きく見開かれる。
理解したのだ。俺が何をしようとしているのかを。
「……死ぬでないぞ?」
その声は怒りでも嘲りでもなく――ただ心配する色を帯びていた。
「ああ、行ってくる」
俺は短く答える。
次の瞬間、魔法陣から無数の黒い手が飛び出し、俺の皮膚に食い込み、血と魔力を啜りながら繭を編み上げていく。
全身が圧迫され、痛みと熱に視界が白く染まるが、それすら遠ざかる。
その時――世界の声が告げた。
《魔王ヴァルト・ノクスより申請を確認。検討開始――》
《申請承認。これより、魔王ヴァルト・ノクスの“ランクアップの儀”を開始します》
光も音も飲み込む暗黒の中で、俺は目を閉じた。
――こんなとこで終わらせねぇよ。




