第39話「甘えと嫉妬、そして胸騒ぎ」
緊張の反動で一気に肩の力が抜けていく。
「……ふぅ。なんとか切り抜けたな」
「うむ。あやつらが妙な詮索をせんでよかったわい」
リルベアが椅子にだらしなく腰をかけ直し、俺は腕を組みながら頷いた。
と、その時――。
「ねぇねぇ! ヴァルトさんっ!」
広間から戻ってきた美月が、ぱたぱたと小走りで俺に駆け寄ってきた。
つい先ほどまでの勇者然とした鋭さは跡形もなく、完全に甘えん坊モードだ。
「どうでした!? 私、ちゃんと勇者っぽく立ち回れてました!? ね、ね、褒めて褒めて~!」
ぱっと机に身を乗り出し、期待に満ちた瞳で俺を見上げてくる。
……切り替え早すぎだろ。さっきまで殺気飛ばしてた人間とは思えない。
だが――まあ、上手くやってくれたのは事実だ。
俺は思わず苦笑しつつ、美月の頭に手を伸ばした。
「よくやった、完璧だったよ。美月のおかげで丸く収まったな」
「えへへっ! やったぁ!」
美月は嬉しそうに目を細め、犬のように俺の手に頭を擦りつけてくる。
勇者というよりは、甘えん坊な子供にしか見えない。
しかし――隣から、冷気のような視線が突き刺さった。
レイラが、じとっとした目で俺と美月を見ている。
なんだか視線が痛い。心なしか怒っているような気もする。
「……はぁ。何じゃこの緊張感のなさは」
そんな俺たちを見て、リルベアが組んだ腕をきゅっと締め、唇を尖らせた。
「主に甘えないでください。鬱陶しいので。頭を撫でられて喜ぶなど、子犬ですか」
リルベアに便乗するかのように、レイラがここぞとばかりに美月を罵る。
「な、なんですかそれ! 子犬じゃありません! ヴァルトさんは褒めてくれてるんです!」
「主も、甘やかしすぎです!」
「す、すまん」
「いいんです! ヴァルトさんは別に甘やかしてなんかいません!」
美月が頬を真っ赤にして抗議するが、頭を撫でられたままなので説得力ゼロだ。
俺としては、ただ労ってるつもりなんだが……。
そんな俺たちを眺めて、ゼトスがふっと口元を緩めた。
「ふむ……もはや夫婦ですな」
「は、夫婦っ!? ち、違いますからっ!」
「ふ、夫婦!? 主、そんなの私は認めませんよ!」
美月は慌てふためき、レイラは逆に真っ赤になって怒鳴りかけた。
その反応があまりに対照的で、余計に場が騒がしくなる。
「過剰反応するな。ただの冗談だろ? 面倒くさくなるから、ゼトスも程々にな」
「そうでありますな。次からは気をつけましょう」
そう言いつつ、ゼトスは俺に纏わりつくように伏せる。
さり気なく自分が一番みたいに見せつけるな。
お前が一番イチャつきに来ているぞ。
「やれやれ。わらわの目には、ただの小娘がキャーキャー騒いでおるようにしか見えんがの」
リルベアが大仰にため息を吐く。
「全く……まあ、それも平和の証拠かもしれんがな」
「平和……か」
俺は苦笑混じりに呟く。
確かに、こうしてわちゃわちゃできている時点で、状況は悪くないのだろう。
美月はなおも「夫婦じゃないです!」と必死に否定しているし、レイラは「当たり前です、馴れ馴れしいと自覚してください!」と言い合っている。
ゼトスは「仲が良いのは良いこと」と微笑ましそうに眺め、リルベアは椅子を揺らして退屈そうにあくびをしている。
まるで、いつもの執務室の空気だ。
あれだけの緊張を強いられた後とは思えないほどに。
俺も少し肩をほぐし、椅子に深く沈み込んだ。
が――。
次の瞬間。
ぞわり、と背筋を撫でるような悪寒が走った。
心臓が一拍遅れて強く脈打ち、思わず息が止まる。
空気が揺れた……ような気がした。
俺はすぐに管理画面を操作し、ダンジョン内の監視映像を切り替える。
十一階層、十二階層、そしてそれ以外の階層。
異常は……ない。
魔物たちは通常通り巡回しているし、侵入者の影もない。
「……主?」
レイラが怪訝そうに首をかしげる。
「どうかしました?」と美月も身を寄せる。
俺は一瞬、答えに迷った。
だが結局、首を横に振るしかなかった。
「……いや、なんでもない」
再び椅子に背を預ける。
だが、さっき感じた“嫌な気配”は幻覚とは思えない。
何だったんだ……今のは。
胸の奥に微かなざらつきを残したまま、俺は深く息を吐いた。




