【第2話 機巧大聖堂、螺旋祈祷と接触誤差】
視界を貫いた跳躍光が収束すると同時に、俺たちは蒸気と歯車の森に吐き出された。天井高く連なるアーチは金属製ステンドグラスで、その裏側を巨大歯車群が回転しながら薄紅の祈り光を透かす。香炉代わりの煙突からは甘い香油の匂いと焦げた鉄粉が混ざって流れ、肺を満たす感触まで錆び色だった。
「ここ……機巧大聖堂。私の創造主が実験区画を隠匿した場所」
背にしがみついていたリヴィアが囁く。跳躍の衝撃でスカートが乱れ、白磁の腿が俺の腰骨を挟む形になっており、心拍は危険域。そのリズムを彼女の義眼が淡桃に計測し、羞恥プログラムが微かにスパークした。
(落ち着け真生……ここは敵地ど真ん中だ!)
床一面の蒸気が靴底を湿らせ、歩くたびに水銀色の波紋がひろがる。その奥で歯車を鎧代わりに纏った修道騎士が祈祷槍を叩き、こちらを包囲した。
『背神者—アポスタス—排除』
号令と同時、八本の槍が螺旋を描く。俺は星囁を右掌に収束、蒼刃を回転させながら盾へ転用する。槍尖が接触した瞬間、鼓膜へ金属悲鳴が炸裂し、火花の熱が頬をかすめた。
後方のリヴィアは義眼を赤へ転写。手首から伸びた糸状光が空間を縫い合わせ、槍兵の動線を一瞬で断線。切断面から零れる油と冷却水が空気に焦げる匂いを放った。
その隙を突いて跳び退くが、蒸気で床が滑り、俺はリヴィアを抱き込む様に転倒。温かく弾力ある胸部と自分の掌が不本意に密着し、蒸気より濃い湯気が頭の中に立ち上る。
「……心拍、さらに上昇。治療、要?」
「い、いや物理的には無傷だから!」
羞恥まみれで立ち上がると、歯車壁の裂け目から鈍い鐘音が響いた。大聖堂の深層区画が自動封鎖を始めたのだ。
「封鎖完了まで三十秒。目的の格納室は螺旋廊下の先」
俺はリヴィアの手を引き、蒸気の帳を割って疾走した。途中、蒸気管が破裂して熱霧が吹き上がり、彼女のスカートが炎風に捲れる。一瞬視界に写ったなめらかな腰曲線と黒レースのガータリング──理性が融点を迎えかけ、俺は慌てて視線を逸らす。
格納室。芯温一〇〇〇度の炉心を祀った祭壇に、水晶棺が安置されている。中には青白い双晶脳髄──デュアルコア──が脈動し、リヴィアと同調するように微弱な光膜をまとっていた。
「これを戻せば私は"完成品"へ再構築される。けれど――人格は保持保証0.3%」
義眼の虹彩が震え、白磁の肩にヒビが浮かぶ。躊躇と恐怖が物理的ノイズとなって表面化したらしい。
「完成なんかクソくらえだ。俺は今のリヴィアがいい」
棺を抱え炉心へ投げ込む。その瞬間、背後から抱きつく腕――リヴィアが必死に止めようとしたのではなく、恐怖で膝が抜けただけだった。俺の腰へ滑り落ちる形で抱擁、胸部装甲がやや潰れて甘い硝子音を立てる。
熱と冷の混在する抱擁から逃げるように、俺は棺を炉へ叩き込んだ。水晶が白熱し、割れ、コアが燃える。油と甘い香油が一気に焼け、カラメルの匂いが鼻腔を焦がした。
『格納財破壊確認。警報レベルS――空中艦〈クロノノート〉迎撃モード』
天井ドームが割れ、砲艦の砲口が閃光を溜める。着弾予測十秒。
「跳躍座標、用意できる?」
「……時砂海峡まで直線。成功率、41%」
「上げるぞ!」
俺はリヴィアの腰を抱え、蒸気回廊を滑る。背後の砲撃が祭壇を吹き飛ばし、衝撃波が二人の背を押した。勢い余ってリヴィアの胸元に顔を埋める形でダイブ。上質な磁器の滑らかさに微かな弾力、香油と汗が混ざった甘い匂い――危機的状況なのに脳が誤作動する。
「真生、視界確保──いや、後でいい」
彼女が小さく息を呑み、義眼を桃色に染めた。欲と生存本能がごっちゃなまま、俺たちは残骸だらけの外壁へ跳び出す。
崖下は深紅の時砂海。光弾が背後で爆ぜ、僅かな滞空時間でリヴィアを胸に抱き直す。重力が首筋へ絡みつき、彼女のスカートが上方へ翻る。白磁の脚線美と黒レースが夜風を切り裂き、俺の理性は最終防衛ラインへ突入した。
「っ……着地衝撃緩衝、私に任せて!」
リヴィアの脚部から展開した光翼が砂を巻き上げ、墜落衝撃を霧散させた。煙の向こうで鼓動を確かめ合うように熱い視線がぶつかる。
「生きてる……そしてまた、助けられた」
「私も……助けられた。次は"サービス料"を、別の形で」
義眼が冗談とも本気ともつかない煌きを宿し、俺は喉を鳴らすしかなかった。
夜空では砲艦が炎を纏いながら墜落ルートを描く。その残光を背に、俺たちは時砂海峡へ向け薄明の砂丘を走り出す。次なる跳躍点〈ラピスブル〉まで、心拍と心拍を重ねたまま――。