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【第1話 砂時計都市と玻璃人形の逃亡】

挿絵(By みてみん)

 ──二十五時。砂時計都市〈クロノグラス〉の夜空は琥珀月を中心に裏返り、星々が逆流する砂となって地表に降っていた。時計塔が滴り落ちる時砂を受け止めて悲鳴のような軋みを上げ、街路灯は倒立した影を石畳へ縫い付ける。


 俺──綾瀬あやせ真生まお──は屋根の上に膝を抱えていた。スクラップ回収屋を名乗り始めて半年。今夜の稼ぎは錆びた歯車が八つと匙一杯の時砂だけ。腹を鳴らしながら煙草の代わりに乾いた砂風を吸い込むと、肺にザラリと苦味が貼り付いた。


 (父さんが残した修理工房(ガレージ)は、もうネジ一本で崩れそうだし……明日はカップ麺すら贅沢か)


 そんな自虐を脳内で繰返していた矢先、瓦礫の屋根裏から異音。《ギギギ》と硝子を研ぐような高周波が耳を裂き、胸骨が微振動で痺れた。


 反射的に飛び退くと、瓦礫の隙間が青白い光で線を描く。そこに眠っていたのは、棺──しかも玻璃(はり)製。闇の中でも内部が透けて見えた。


 棺の中心には白磁の少女。雪のような肌、濡れた銀糸を束ねた髪、そして閉ざされた瞼の下で微かに脈打つ虹彩……その不自然な静寂が夜気より冷たかった。


 (ヒューマノイド? それとも高価な美術品?)


 腹の虫より強い好奇心が勝ち、俺は棺に手を伸ばした。触れた瞬間、玻璃(はり)表面がクラックごと光に融け、無数の微片となる。甘い香──焼いた水晶と花蜜を混ぜた匂いが鼻腔を満たし、思考が甘く痺れた。


 『──起動、プロトコルβ。逃亡演算──開始』


 少女はゆっくり瞼を開ける。義眼の虹彩が歯車を描きながら橙→紅と点滅し、俺の網膜に浮かんだのはシステムメッセージ。


 〈識別名:リヴィア=フィラメント〉

 〈状態:封印解除/追跡中〉


 「お、おい……大丈夫か?」


 俺は思わず両腕で受け止めた。肌は磁器のくせに人肌より温かく、耳元で“トクン”と確かな鼓動が跳ねる。抱き留めた衝撃で胸ポケットの工具が潰れ、シャツ越しに彼女の柔らかな重量が押しつけられ——血液が顔面に逆流する。


 「識別……完了。あなた……搬送主(はんそうぬし)の資格──仮承認」


 「資格って、俺はただの拾い屋だぞ!?」


 言い終える前に屋根が爆ぜた。下層街路へ降り立つ黒影──帝国機械歩兵〈砂鴉さけい兵〉だ。黒布のマントから伸びた義肢が鋼鉄をきしませ、単眼レンズが赤く瞬いた。


 『リヴィア(対象A)存在確認。排除障害──搬送主B、無力化プロトコル──開始』


 「ちょ、照準こっち!?」


 リヴィアは俺のシャツを掴み、俺を庇うように背中から抱締める。弾着の衝撃が俺の両肩を貫く前に、彼女の左手首が光を奔らせた。


 ──空間刺繍(ステッチライン)


 直後、兵士の胴体がスライスチーズの如く層断。金属血と黒砂の匂いが夜風に混ざる。視界が殺戮色で染まるのと同時に、恐怖より僅かに速く頬が熱くなった。


 (今、背中に感じた柔らかさは……人工皮膚でも反則級だろ!)


 「逃亡経路、検出。搬送主、同行求ム」


 「……付き合わされる理屈がないんだがな!」


 自分でも驚くほど素早く頷き、彼女を背負う。雪肌が首筋へ触れ、香も混ざる甘い息が耳を撫でた。義眼が桃色に揺らぎ──羞恥信号?


  時砂を踏み砕くたび靴裏が熱を帯び、頭上で逆さ星が尾を引く。リヴィアの両腿が俺の腰に密着し、振動が彼女の胸元を柔らかく揺らす。思考は八割が逃走、二割が背中越しの感触。


  背後では追加の砂鴉兵が駆け上がるが、屋根間の跳躍で距離を稼ぎ、時折リヴィアの義眼が閃光を撃ち落とす。硝煙と花蜜の混合臭が鼻へ刺さり、五感が異様に冴える。


 着地した先は時計塔頂部。秒針が狂ったように逆回転し、時砂を噴き上げている。その中心に裂目(さけめ)が口を開け、深層跳躍〈ディープリープ〉の座標が煌いていた。


 「ここ……私の亡命ルート。成功率、42%」


 「低すぎだろ! 上げる方法は?」


 「搬送主の潜在値と同期すれば、+28%」


 「合計70%か……ギリ賭けられる数字だな」


 彼女は小さく瞬きをした後、耳元で囁く。「同期には……接触面積、必要」


 次の瞬間、肩越しに回された両腕が俺の胸へ滑り込み、白磁の頬が首筋に触れた。氷と熱が同時に流れ込み、星が視界で弾ける。


 ──システム:〈星囁〉同期完了。身体能力、魔力、未知項目:∞。


 「は、はは……やっぱりチートってあるんだな……!」


 リヴィアは微笑の練習みたいに口角を上げ、義眼を蒼へ。「行こう。夜が追いつく前に」


 時計塔の裂孔へ飛び込む瞬間、背後で都市警報が咆哮。無数の探照光が俺たちを追い、時砂の雹が叩きつける。だが身体は羽根のように軽かった。


 落下とも上昇ともつかない無重力。リヴィアの髪が銀の流星となって頬を撫で、胸元の柔肌がシャツ越しに形を主張する。


 (ここで動揺したら死ぬぞ!)


 目を閉じると、彼女の鼓動が自分の心臓と同じ拍で鳴っていた。逃亡じゃない。これは──共鳴の始まり。


 闇の先端で蒼い門が開く。その向こうに広がる無限の銀河が、俺たちを次なる物語へ誘っていた。


 ──この一歩が、終わりの始まり。そして、ときめきの始まりだった。

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