7.呪い、心はこの上ないほど脆い
0.
私は弱い人間だ。
幼馴染の優しさに甘えて、弱音をいとも簡単に吐いてしまう。
一夜限りの温もりを、またすぐに求めてしまう。
優しい方々に囲まれて、その幸せにあっという間に慣れてしまう。
こんなにも自分を甘やかしたのに、まだ幸せを願ってしまう。
神さま、こんな弱い私をどうか許してください。
1.
目を覚ますと、窓の外からほのかな光を感じる。そして左腕からは、何やら柔らかなもので包まれているのを感じる。初めてのその感触が気になり見てみると、そこには小ぶりの果実が実っていた。
普段意識したことのない刺激で完全に目が覚めた照は、身体に絡まったユキの腕をそっとよけて体を起こした。時計を見ると、時間はまだ5時。最近起きるのが早いと思いつつ、指示通り持ってきていた着替えを着てリビングへと向かった。そこには、小麦と燎煋が制服を着ていた。
「あら、新入り2号。起きたのね」
「新入り2号じゃなくて照だろ?小麦。おはようさん、照。随分と早起きだな」
「おはようございます、逢坂班長、八鍬副班長。朝早くからどうしたんですか?」
「あー、うん。照、今すぐその普段着から制服に着替えてこい」
「今からですか!?」
「あぁ。これからちょっとした講習開いてやるよ」
制服に着替え直してすぐに戻ると、車に乗せられそのまま出発した。
「あの…これからどこに向かうんですか?」
「俺達の仕事場だ。初任務だな」
「…悪魔が出たってことですね」
「そうよ。気を引き締めなさい」
昨日のような和気藹々とした雰囲気は一切なく、二人とも真剣な眼差しだった。
「小麦、現場の状況は?」
「はい。今回出現した個体はクラスδ、下位悪魔複数体です。周囲への被害は未だ無し。場所は、磯部町の住宅から離れた森の中の沼地です」
「よし。小麦はいつも通り倒してくれ。照、お前は俺についてこい」
「「了解」」
数分後現場に着くと、開けた沼地に照の目線程大きな黒いカエルが十数体、悪魔特有の黒いモヤをまとっていた。照の心に積もった恨みが、衝動的に腰の刀を抜こうとする。そして、悪魔の中の一体が照に気付き、こちらに飛びかかろうとする。
「冷静になれ」
気づけば、燎煋は照の刀を抜こうとしている手を片手で抑えつつ、悪魔に片足で蹴りを入れていた。
「さ、講習の時間だ」
2.
「教えること一つ目。まず、悪魔の倒し方を覚えているか?」
「はい、心臓に似た器官があり、そこを破壊すると倒せるんですよね」
「そうだ。ただし、人間と違ってそこを潰さない限りはどんなに切っても復活してしまう。だから...」
いきなり、燎煋の手にさすまたのようなものが現れたと思うと、それを悪魔に向けて刺す。すると、さすまたの柄が伸びて、悪魔の体の中心部分を正確に貫いた。
「このレベルの悪魔に対しては、攻撃を避け、一撃で、確実に、迅速に倒すことが大切だ」
そう話しつつ、燎煋は一体一体を確実に倒していく。初めて見る実際の戦闘に、照は夢中になっていた。
「まずは神器装無しで、お前の後ろにいるやつを自分で倒してみろ」
そう言われ瞬時に振り向くと、すでに一体の悪魔が照に襲い掛かろうとしている。
瞬時に刀を抜いて切りかかったが、悪魔が跳ね返っていき、それに伴って照が後ずさりをしただけだった。カエルのような体に少し斬った跡がついたものの、すぐに回復して元通りになったしまった。
間髪入れずに悪魔が飛びかかってくる。今度は狙いを済まし、悪魔の身体の中心を切り裂こうとする。刃は上手く悪魔の身体を通っていく。しかしそれは途中までで、悪魔が飛びかかって来た勢いに負けて後方に飛ばされてしまった。
「いった…」
幸い、飛ばされたのは数十メートル。敵はさっきよりも回復の速度が遅くなっているが、致命傷には至ってないようだった。
「二つ目。今のように、神器装無しの状態では攻撃も劣り、身体の受けるダメージも大きくなる。それじゃあ、神器装を使ってみろ」
「すみません、班長。まだまともに使い方を教わっていないのですが…」
「大丈夫。とりあえず、自分の直感でいいからやってみろ」
「…分かりました」
照は刀を握りしめる。力を使うことのできた戦いを思い出し、足を強く踏み締めて構える。
照の方からだんだんと溢れてくる暖かなオーラに、悪魔も小麦や燎煋も無意識に反応していた。途端に、危機を感じたその場の悪魔が全て照に襲い掛かろうとする。
「いきます…」
『アマテラス』
すぐに、襲いかかって来た悪魔に向かい、横一線に大きな一太刀を浴びせた。大半の悪魔は心臓のような部分を切られ、その身体は空にモヤとなって霧散していった。攻撃を交わした数体の悪魔も、その機会を見逃さなかった小麦と燎煋によって倒された。
「ちょっとあんた!あれなによ!悪魔どころかその先の木までばっさり斬ってるじゃない!!」
「いやあ、初めてにしては凄いもの見してもらったな」
刀を振るった方を見てみると、確かに一直線に斬った跡が残っていた。また、照の身体と刀身は明るくなり、沼地の水が蒸発するほどの熱が出ていた。
とりあえず刀を鞘に収めると、身体の状態も元に戻っていった。
「まあ色々あったが、とりあえず今は戻るとしよう」
3.
拠点へと戻ると、大きめのダイニングテーブルに食事が並べられていた。
「おかえりなさい、皆さん。朝食を用意していますので、もう少々お待ちください」
「ありがとう、蒼。それまで俺たちは着替えを済ませとこうか」
結んでいたネクタイをほどきながら部屋に入ると、寝ぼけ眼のユキが目を擦りながらベットの上に座っていた。
「あれ、てるしゃん…おはみょ……ござ…ましゅ…」
朝が弱いのか、ユキはふにゃふにゃしていた。それも、ほっぺをつついたらモチっという音が聞こえそうなほど。
最近は外で優等生として振る舞っていたユキを見ることが多く、この気抜けた感じのユキを見るのは久々だった。
「おはよう、ユキ。よく寝れた?」
「おは…よ…ん…ん?んえっ!?」
寝巻き姿だったことに気づいたユキは、相当狼狽えている様子だった。布団にくるまって丸くなっているユキを見ると、布団の隙間から見える耳が赤くなっているのに気づいた。
少しそっとしてあげるためにも、照は朝食の用意がもうすぐできることを伝え、着替えを持ってそそくさと部屋を出た。
「どうだ、お前の彼女さんは起きてたか?」
リビングに向かうと、先に戻っていた燎煋に茶化された。
「ユキは起きたばかりみたいで、もうすぐ来ると思います。それと、彼女ではないですよ」
「確かにそう言ってたな。そういや、寝室の件はすまなかった。空いてるとこがあの大部屋しかなくてね」
「い、いえ。一応寝ることはできましたし」
「そうか、なら良かった。まあ布団一式と仕切りもあったし大丈夫か」
「えっ」
「ん?」
「あ、いや…なんでもないです」
思いもよらぬ事実を耳にし困惑していた照だったが、過ぎたことだと思って考えることは放棄していた。
「おはようございます」
ちょうど朝食が並び終わった頃にユキがやってきた。
「ちょうど良かったです。ユキさんも朝食にしましょうか」
蒼に誘われるように、ユキは照の隣へと座る。その光景を見ていた燎煋が、何やらニヤニヤしながらこちらを見ている。ユキの方をちらっと見ると、心なしかいつもより距離があるように思えた。
「何してんの。ほら、食べるわよ」
ニヤニヤしている燎煋を、小麦が足で小突きながらそう促す。
「さ、いただくか」
ここでの朝食は量も普段よりあってか、満腹度が高かった。
「よし。ご飯も食べ終わったし、あたしはもうそろそろ行くわ。ごちそうさま、蒼」
「行くって、どこに行くんですか?」
「家に帰るのよ。と言っても、ここも家みたいなもんだけど」
「まあ、小麦みたいに任務がないときに実家に帰るやつもいれば、俺や雄鉄、蒼みたいにここに住んでるやつもいる」
「そうだったんですね。てっきり、絶対なものかと思ってました」
「各自の部屋があればそう思うかもしれないわね。まあ、人それぞれ家庭の事情だったり、あなたたちみたいに学校があったりするからそういう決まりになってるわ」
確かに、今は夏休み中だから忘れていたものの、夏休みが開ければもちろん学校の授業が待っている。神祇財団に入ったからとはいえ学校をやめたわけではないため、さすがの照も学校に籍を置いている限りは卒業はしておきたいところだった。
「学校が始まったらどうすればいいですか?」
「制服を持ち歩いてもらって、放課後着替えてそのまま任務に務めるって感じだな。まあ、お前らの学校生活に支障はきたさないようには配慮するさ。ま、時々任務の都合上休んでもらうこともあると思うけどよ」
「えっ、任務優先じゃないんですか」
「んー、まあそうゆうとこもあんだろうけど、俺んとこじゃ基本は各自の事情を汲み取って調整するな。じゃないと、このご時世パワハラで訴えられそうだしな」
そういってケタケタ笑っている燎煋を横目にユキの方を見ると、微かにだが、どこか嬉しそうな気がした。
「ま、という感じだから。あたしは失礼するね」
「おう、行ってこい」
「いってらっしゃい、小麦ちゃん」
いつの間にか荷物を持ってきていた小麦が出ていくと、燎煋が再び口を開いた。
「この後のことだが、こいつにこれのことを教えてやってくれんか?二条」
そう言いつつ取り出したのは、コンタクトレンズとイヤフォン、そして平たいブレスレットのようなものだった。
「俺は二日酔いで頭痛えから昼まで寝てるわ」
そういうと、部屋の方へと消えていった。
4.
今朝のこともあってか、二人きりの部屋はどこか気まずい空気が流れていた。とりあえず、部屋にあった大きめのクローゼットを開けてみたところ、燎煋の言っていた通り布団一式と絵の展示会などにありそうな移動式の仕切りがあった。
「て、照さん?どうかしたんですか?」
「い、いやあ、なんでもない。それより、これはどう使うんだ?」
「そうですね。説明するより見せた方が早いですね」
そう言うと、渡されたブレスレットとコンタクトレンズをつけるように言われた。そして、何やら照のブレスレットを触り始めた。すると突然、目の前に水色のモニターのようなものが現れた。ユキの方にも同じようなものが浮かんでいたため、一応成功だと言えるのだろう。それに、ユキは少し笑っているようだった。
「その様子だと、正常に動いているようですね」
「あぁ…凄いな、これ。一気に近未来的になったと言うか」
「私もはじめは驚きました。ところで使い方なのですが、上下左右に手を払うように動かすとスワイプ、手を広げながら手前から奥に押すように動かすと確定や実行することができます」
モニターの前に手をかざしてやってみると、思ったよりもスムーズに動いた。
「ちなみに、画面の前に手をかざさなくても手の動きをブレスレットが読み込んでくれるんですよ」
まさかと思い、腕を下ろしたままてを動かしてみると、先ほどと変わらずスムーズに動いていた。その様子を前にした照は心を躍らせているようだった。
その後も、連絡機能や資料の閲覧などの備わっている機能の説明をユキから受けた。
「最後に、この3つでセットなので無くさないようにしてくださいね」
「あぁ、ありがとう。それにしても、ユキはこれを相当使い込んでるみたいだね」
「そうですね、正直スマホより便利に思いますから。それに…色々と思い入れもありますから」
ユキの表情に変化はあまりないように思えるが、少し声が震えて目の光は朧げだ。まるで何かに怯えているように。
そんなユキの頭を、照は優しく撫でた。
「きっと、今まで辛い思いをしてきたんだよな。昨日国広さんが言ってたようなことを」
「そうですね。でも、今日は大丈夫ですからね。いつまでも下を向いているだけの私ではないですから」
幼馴染の取り繕ったような笑顔は、いつの間にか僕の呪いとなっていた。