死して尚、繋ぐ
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──病室の灯りが、やけに白く感じた。
─心電図の規則的な音だけが、この部屋の「今」を刻んでいる。
「はぁっ!はぁっ……爺ちゃんっ!」
「……希望君、来たか。舞姫も…」
「お父さん……」
「もうこの方に残された時間はない……最期の願いとして、希望君と舞姫の顔が見たいと…」
─病室に入ると、院長が俺達を迎え入れた。
─ベッドに横たわる爺ちゃん──祖父の顔は、いつもの穏やかさのままだった。
─呼吸は浅く、酸素マスクの下で唇がわずかに動く。
「……爺ちゃん、俺だ。希望だぞ」
─かすかに反応する。
─重たく開いた瞼の奥に、いつもの優しい眼差しが見えた。
「……来てくれたのか」
「当たり前だべ。間に合ってよかった……舞姫も、一緒だ」
─爺ちゃんの視線が、俺の隣に立つ舞姫に向かう。
─彼女は小さく会釈して、ほっとしたように微笑んだ。
─いつも仕事で見せる"看護師の顔"とは違う。
─今はただ、俺と同じように"家族"としてここにいる。
「儂はもう時間切れだ…だから言い遺しておきたい……お前は、幸せそうな顔をするようになったな」
「爺ちゃんのおかげだよ……舞姫と婚約したんだから」
─透助の口元が、ほんの少し笑った。
─酸素マスク越しでも、その笑みはちゃんと伝わる。
「……そうか……ようやく……だな……」
「冬が明けたら式を挙げる予定だべ。爺ちゃんにも、ちゃんと報告したかったんだ」
「そうか……それで十分だ……お前は、もうひとりじゃない……」
─俺も祖父も涙が溢れている。
─涙で視界がぐちゃぐちゃになり、祖父の顔がぼやけて見える。
「ぐす…ヒック…っ!爺ちゃん…っ!」
「こらこら…泣く、な………別れは必ず、笑顔で……だ」
「………ぐすっ!」
「儂の分まで…幸せになりなさい……そして、他の人達にも希望を繋げよ……ありがとう、希望」
─その言葉を最後に、祖父の手が少し震えた。
─握っていた手の力が、ゆっくりと抜けていく。
ピ──……。
─胸の奥が、凍りついたように痛い。
─声を出そうとしても、喉が詰まって出なかった。
「……爺ちゃん……?……なぁ、爺ちゃん、返事してよ」
─心電図の音は変わらない。
─世界が、あまりに静かだった。
─あの優しい声が、もうどこにもいない。
──その瞬間、俺の中で何かが崩れた。
─気づいたら、舞姫が俺の肩に手を置いていた。
─その手が震えていた。
涙─を堪えている顔が、やけに幼く見えた。
「……希望君、透助さん……ちゃんと笑ってたね」
─頷くことしかできなかった。
─それだけで、胸の奥がぐしゃぐしゃになった。
――――――――――
─葬儀の日。
─雪が静かに降っていた。
─空は灰色で、吐く息がすぐに白く溶けていく。
─祖父の遺影は、優しい笑顔のままだった。
─その笑顔を見るたび、どうしようもなく涙が込み上げた。
─参列してくれた鳳兄がそっと肩を叩いた。
「生野、無理すんな」
「……大丈夫っす」
──ほんとは全然、大丈夫なんかじゃねぇのに。
─舞姫は少し離れたところで手を合わせていた。
─その横顔が揺れて見えた。
「(あいつも……初めてなんだろうな)」
─患者じゃなく、"誰かの大切な人"の死を見送るのは。
─線香の香りが、やけに強く感じる。
─心臓がずっと重いままで、深呼吸もできなかった。
――――――――――
─夜、葬儀が終わって少し落ち着いた後。
─雪がしんしんと降る墓前に、俺はひとり座っていた。
─黒いコートの裾が濡れても構わなかった。
「……爺ちゃん、俺……やっぱり寂しいよ」
─声が震えた。
─空を見上げても、雪ばっかりで何も見えない。
─その時、背後から足音が近づいた。
─振り向くと、舞姫が両手に温かい缶コーヒーを持っていた。
「……冷えるよ」
「ありがとな」
─二人で墓前に並んで座る。
─風が冷たいけど、隣の温もりだけは確かだった。
「(患者の死なら、こんなに痛くないに……)」
「……なぁ、舞姫」
「うん」
「爺ちゃんの心音、消えた瞬間……感じてた?」
─彼女は少し考えて、静かに頷いた。
「うん……。何人もの最期を看取ってきたけど、
"患者さん"じゃなくて、"大切な人"の鼓動が止まるのは……初めてだった。静かで……でも、重かった」
「……あぁ」
─それ以上、言葉が出なかった。
─代わりに、雪が二人の肩に積もっていく音だけがした。
「……でもね、希望君」
─舞姫の声が、少しだけ震えていた。
「"命が終わる"って、全部が消えることじゃないと思う。透助さんの言葉とか、優しさとか、ちゃんと希望君の中に残ってる」
「……そう、かもな」
─胸の奥が熱くなって、息を吸うのが痛かった。
─でも、不思議と少しだけ、呼吸が楽になった。
「爺ちゃん……聞いてっか?俺、もう泣かねぇよ。これからは、舞姫を守る。あんたみたいに、誰かを支えられる男になるから」
─舞姫の手を握る。
─その温もりが、夜の冷たさを少しずつ溶かしていった。
――――――――――
─夜。帰宅して、静かなリビング。
祖父の遺品の中から、古い懐中時計を取り出した。
─止まった針は、午後十一時三十八分。
──爺ちゃんが息を引き取った時間だ。
「止まった針は十一時三十八分。けど外では、雪がやんでいた……時間は止まっても、季節は進んでいく。爺ちゃん、あんたの時間も、俺の中で動いてっからな」
「希望君」
「……これ、爺ちゃんが医者だった頃から使ってたんだって。院長が言ってた」
─舞姫がそっと覗き込み、微笑む。
「……時間って止まるように見えて、止まらないんだね」
「どういう意味だ?」
「透助さんの時間は、希望君の中で続いてるってこと」
─その言葉が、胸に沁みた。
─俺は懐中時計を胸に当てて、ゆっくりと息を吐く。
「……爺ちゃん。あんたがくれた時間、絶対に無駄にしねぇ。これからは、舞姫と生きる」
─窓の外を見ると、雪がやんでいた。
─夜空に一番星が瞬いている。
──まるで、爺ちゃんがどこかで笑ってるみてぇだ。
――――――――――
「ありがとう、爺ちゃん…俺、ちゃんと幸せになるからな」
──葬儀が終わって三日。
雪がようやく止んだ街は、少しだけ春の匂いがしていた。
─祖父が暮らしていた古い家。
─病室とは違う静けさの中で、俺と舞姫は遺品の整理をしていた。
「……懐かしいような…何処かで見た記憶が…」
─木の床の軋む音、古い薬棚、湯呑みに残る茶渋。
─全部が、爺ちゃんそのものみたいだった。
─舞姫は黙って、棚の奥から古い書類やノートを丁寧に箱にまとめていた。
─仕事柄、こういう作業も落ち着いてる。
─けど、その目の奥はずっと赤かった。
「……あ、これ」
─舞姫が取り出したのは、小さな診察券の束。
─何十年前のか分からない、付箋だらけの医療の分厚い参考書。
─患者の名前が並ぶ、古いカルテの切れ端のようなものだった。
「透助さん、最後までこの町の人のこと、気にかけてたんだね」
「……だべ。最期まで、医者だったんだな」
「お父さんの師匠でもあったからね」
─手を止めた瞬間、部屋の奥から小さな埃が舞い上がった。
─光の中で、その埃が金色に見えて──
─まるで、爺ちゃんの笑顔みたいに思えた。
「……これで、大体終わったな」
「うん。あとはお父さんに報告して、鍵返すだけ」
──煌星癒院長。
─舞姫の父であり、透助のかつての弟子でもある人。
─祖父が現役だった頃は、二人で多くの命を救ったのだとか。
─葬儀の時も何も言わず、ただ俺の肩を叩いてくれた。
─静かな家を後にして、二人で病院に向かう。
─冬の風は冷たいけど、不思議と痛くなかった。
――――――――――
「透助先生の荷物、整理できたか?」
─病院の応接室で、院長が穏やかに言った。
「はい。全部まとめました」
「そうか……ありがとう。希望君、透助先生はね、君の話ばかりしていたんだ」
「俺の……?」
─院長はゆっくりと机の引き出しを開け、
─一冊の古びたアルバムを取り出した。
─角が擦れていて、ところどころに手書きのメモが挟まっている。
「私が作ったアルバムを、透助先生は気に入っててな…付箋とか沢山貼ってたんだ」
「……俺に、ですか?」
─院長は頷き、舞姫をちらりと見た。
「中を見てごらん」
─アルバムを開くと、
─そこには──見覚えのある景色があった。
─夏祭りの神社、病院の屋上、校庭、海辺。制服。
─そして、そのすべてに写っていたのは、まだ中学生くらいの俺と、舞姫だった。
「……これ、まさか……」
「透助先生が撮ってたんだよ。君たちが初めて出会った頃から、ずっとな。医師を引退した後は、ずっと希望君のことを傍で見守ってたんだ」
「………爺ちゃん。俺、両親に捨てられたトラウマで、ずっと爺ちゃんのこと忘れてたのに…」
「…今からでも遅くない。今頃、先生は天国で嬉しいと喜んでるはずだ」
─ページをめくるたびに、心の奥がざわついていく。
─笑ってる俺。照れたように横を向く舞姫。
─ふたりの距離が、少しずつ近づいていく。
「……希望君、覚えてる?」
─舞姫が静かに問いかけた。
─声が、少し震えていた。
「……あの夏だべ。夏祭りに舞姫が…内緒で冷やしきゅうり持ってきてくれた日」
「……うん」
──懐かしい光景が、ゆっくりと蘇る。
─院長が微笑む。
「透助先生はね、こう言っていたんだ。"あの二人は、きっと人生を共に歩く"って」
─その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
─あの爺ちゃんらしい、照れ隠しのない優しさだ。
「……まったく、最後までお節介だな」
「ふふっ……透助さんらしいね」
─アルバムを閉じると、窓の外では雪がやみ、光が差し込んでいた。
─爺ちゃんが残した最後の贈り物。
─それは、過去を映したアルバムであり、未来を繋ぐ「始まり」だった。
─俺はそっと舞姫の手を握った。
「……爺ちゃんの言葉、ちゃんと受け取った。
次は、俺たちの物語だべ」
─舞姫が微笑んで頷く。
─その瞳には、涙ではなく、光が映っていた。
──そして、俺達の心は、あの夏へと還っていく。
――――――――――
「ぐす…人が亡くなるってことは…こういうことなんやな…」
「………そうだな。希望さん、辛かったら話してくれよ」
「そうだな…てかそのアルバム何?」
「……爺ちゃんが気に入ってたものだよ。せっかくだから皆で見ようぜ」
─後日。如月も廉命も、祖父の元に線香を上げに来た。
─まだまだ気持ちは落ち着いていなかったため、アルバムを眺めていると、廉命がこれは何かと聞いてきた。
─そういえば、二人と出会う前の、俺と舞姫について話していなかったはず────。
─少しでも、天国にいる祖父の笑顔の余韻に浸りたくて、アルバムを開いた。
─アルバム越しに、現在という未来を繋ぐ、俺と舞姫にしか分からない、物語が再生された。
……To be continued
――――――――――
【お知らせ】
「普通を失った俺が、世に希望を与えるまで。」
第二章、日本列島出張編が終わりました!
ここまで読んでくれた皆様、
本当にありがとうございます。
日本列島の旅から、他の登場人物のストーリー、そして希望の祖父・透助の死という、第一章より深いストーリーになりました。
次回からは、第三章「希望&舞姫編」がスタート致しますっ!
希望と舞姫がメインとなる章で、二人が初めて出会った頃の話を投稿いたします。
なので、夢玖や廉命達は一旦お休みです。
作品のフォロー、♡、ブクマや感想、なろう小説の多評価により、こうして物語が書けることを大変嬉しく思います。
リアルな本業の関係により、11月の連載はお休みさせて頂きます。
次回からも、
普通を失った俺が、世に希望を与えるまで。
をよろしくお願いいたします。
By.速府左めろ
閲覧頂きありがとうございました!
コメント、いいね、感想お待ちしております!
次回作もお楽しみに!では。




