第九話「使命」
露子が次に目を覚ました時に見たのは、病院の白い天井だった。
未だ朦朧とする意識の中、激痛に呻きながらも身体を起こそうとすると、そばに座っている誰かにそっと制された。
「まだ安静にしていてくれ。怪我がひどい」
「……橘」
仕方なく身体を起こすのを諦め、目線だけで声の主を確認する。そこにいたのは、深刻な表情でこちらを見る橘だった。
「君が廃工場で倒れていると病院に直接連絡があったと聞いている。何があった?」
病院に直接、となれば連絡の主は一人しか考えられない。
――――一度だけ見逃します。あなたの生は間違っていないし……大切な、友達なので。
意識を失う直前に聞こえたあの言葉の通り、露子は見逃されたのだ。その上わざわざ病院にまで連絡をして、露子の命だけは救おうとしていたのだろう。
その事実に、露子は奥歯を噛みしめる。
屈辱だった。そしてそれと同時に、もうどうすれば良いのかよくわからなかった。
「……橘、少し長くなるけど、聞いてほしい」
露子の言葉に、橘が静かに頷く。
それからつらつらと、露子は何が起こったのかを話し始める。
縷々とのこと。そして、共感反応で知ることになった縷々と真莉夢のこと。
霊を祓うゴーストハンターにとって、凄惨なエピソードなどそう珍しいものでもない。強大な悪霊程、生前は聞くに耐えないような目に遭っていることも少なくない。
しかしそれが、ついこの間まで一緒に授業を受けていた友人のこととなると少し変わってくる。縷々と真莉夢が辿った末路を、露子は冷静なまま語ることが出来なかった。
「なら、ここ数日起きていた殺人事件はその来々縷々という半霊が起こした事件ということで間違いないんだね?」
頷き、露子は目を伏せる。
縷々は、半霊になっていた。悪霊と同じ力を持ち、自身のルールの元に判決を下し、生者を裁いている。
報われない小さな霊魂を仲間のように引き連れて、彼女は断罪の行進を今も続けているのだろう。
「半霊って……なんなのよ」
もうずっと前から、問い続けていた。
半霊という存在は、ひどく曖昧で、生と死の境界線上に立ち続けている。
生きているが死んでいる。生者であり、死者でもある。そして同時に、悪霊に等しい存在でもあった。
生者を害する霊を祓うのがゴーストハンターの使命だ。
使命に従うなら、半霊は祓わなければならない。
だが半霊は祓うべき対象であると同時に、守るべき生者でもある。
(……違うわね)
そこまで考えて、自分が必死で言い訳を並べていることに気がついた。
理由はたった一つしかない。
朝宮露子は、本当は来々縷々を祓いたくなかった。
「あたしは……来々を祓いたくない……」
思わず、本音がこぼれ落ちた。
縷々に対しては、祓うと言い切った。あの時は覚悟を決めたつもりだった。
それなのに、今はもうこんなにも揺らいでいる。
――――私にはもう、いずれの権利もありませんか?
今の露子には、その答えが出せない。
「だけど、このまま放っておけばあいつは殺人を繰り返す……! あのまま霊魂が淀み続ければ……」
半分は生者でも、霊魂が淀み続ければいずれただの悪霊に成り果てる。他の霊と同様、半霊の霊魂も時間経過で必ず淀む。まして、霊としての力を使い続けるなら急速に淀んでいく。
縷々は必ず、近い内に悪霊になる。
理屈でははっきりとわかっている。来々縷々は既に、祓わなければならない悪霊と等しい存在だ。半霊は特殊な存在だが、霊的な力で生者に害をなすなら祓うのがゴーストハンターの使命なのだ。
それなのに、躊躇する自分をもう無視出来なかった。
「なら、千歳や他のゴーストハンターに頼めば良い。君が無理に戦う必要はないんじゃないか」
橘の答えは、淡々とした正論だった。
「怪我もひどい。もう休め。俺の方から、他のハンターに依頼しておくよ」
きっとその方が良い。
もうこの件は露子だけの手にはおえない。
縷々を前にして、冷静に戦える気はしない。今の露子では、縷々を祓えない。
「……そう、ね……」
その方が合理的だ。個人的な感情が勝り、仕事に支障が出るのなら適切な人選ではないということになる。私情を殺し切れなければ、露子の思う”プロ”としては失格だ。
(……でも、本当にそれでいいの?)
このまま誰かに任せるのが一番良い。合理的だ。もう傷つかなくてすむ。
しかしそれでも、露子は手を伸ばした。
痛む身体を強引に起こし、スマホを取り出した橘の手をグッと掴む。
「…………」
来々縷々と戦いたくない気持ちに変わりはない。
彼女は露子にとって大切な友人だ。本来なら、守るべき対象なのだ。
しかしだからこそ、後始末をする責任が露子にはある。
露子は縷々を守れなかった、助けられなかった。それが縷々を半霊に変えてしまったのなら……責任は、露子の手で取るべきなのだ。
少なくとも、そう考えてしまうのが朝宮露子という人間であった。
「あたしがやる」
「その怪我でか?」
「こんなの、なんてことないわ」
精一杯強がって、露子は身体に力を込める。
身体中が痛む。縷々から受けた傷は決して軽くない。
「決着は、あたしの手でつける。責任は自分で取るわ」
きっとあの夜から、縷々の運命は変わってしまった。
例え偶然だとしても、縷々をこちらの世界に引き込んでしまったのは露子だ。
やはり決着をつけるのは……朝宮露子の使命なのだ。
「全然言うこと聞かないな」
わざとらしくため息をつきながら、橘は肩を竦める。
「勝手に抜け出されちゃかなわない。一応、俺が代わりにお医者様に怒られておこうか」
「悪いわね」
「なに、いつものことだよ」
こう言い出したら露子は絶対に聞かない。橘の方も、ある程度覚悟をする必要があった。
こんな時に、そのまま信じて送り出せれば良かったが、立場上そうもいかない。
万が一に備えて、”露子が失敗した場合”のために考えをめぐらせるはめになる。どの道どこかに連絡を入れることになるだろう。
「死なないでくれよ」
どこか祈るように、橘は告げる。
「死ねないわよ。こんなところで」
固く強い決心が、ボロボロの身体を満たしていく。
ゴーストハンター朝宮露子は、再び立ち上がることを決めた。
***
周囲は鮮血で染まっていた。
ついさっきまで自分が何をしていたのか判然としない。
ただ一つ明らかなのは、また無数の命を奪ったことだけだった。
歪な肉塊が転がっている。
千切れた臓器が転がっている。
ひしゃげた手足が。
潰れた眼球が。
砕けた骨が。
無数の命の残骸が飛散したこの場所は、地獄以外の何ものでもないだろう。
ここが町中の小さなビルの一室だと思い出すまで、来々縷々はそれなりに時間を要した。
確かここは周辺で幅を効かせていた暴力団の事務所だ。手当たり次第にゴロツキを殺して回る内に、こんな場所に辿り着いてしまった。
電球が血に染まり、光が薄っすらと赤らんでいる。
もう何人殺したのか、縷々は思い出せなかった。
悪人だけを選んで殺していたつもりだったが、何人か関係ない人間を巻き込んだような気もする。ゴーストハンターらしき人間も殺したが、もうよく思い出せなかった。
「おっ……えぇ……っ!」
吐き気を催して、その場に四つん這いになる。吐き出そうにも、胃の中にはロクに何も入っていない。びちゃびちゃと胃液や唾液を撒き散らして、縷々はその場で涙した。
(”縷々”は、こんなことがしたかったんでしたっけ……)
間違っていたものを正したかった。
醜い生者を排除して、被害者のいない世界を作りたかった。
そんなもの、この小さな手で作れるわけがないのに。
背中がずっしりと重い。
無数の霊魂や負の霊力が身体にのしかかっている。
物言わぬ被害者を引き連れていたつもりだったが、いつの間にか背後にいるのはほとんどが縷々の被害者だった。
誰もが恨めしそうに縷々の肩や背中を掴んでいる。
「っ……!」
それらを見て、一度悲鳴を上げかける。しかしすぐに、人が変わったかのように鋭い目つきでそれらを睨みつけた。
「触らないでください! 薄汚いクズ共がっ!」
右手を鎌のような形に変異させ、縷々は背後目掛けて振り回す。霊的な存在である縷々は、背後に取り憑いた霊魂をそれだけで祓える。
それでも、大して数は減らなかった。無数の怨念がまとわりついている。
「あなた達が悪いんですよ! クズの分際で、正しく生きている人達をふみにじっていたじゃないですか! 死ね! 死ね死ね! 死になさい! 消えろ! この世に留まる価値がない! 輪廻の輪から外れて消滅してしまえ!」
乱暴に右手を振り回し、縷々はその場で喚き散らした。
「わあああああああああああああ! ああああああああああああああああああああああ! あああああああああああああああっっっ!!!!!」
もう何もかも滅茶苦茶だった。
どうすれば良いのかもわからない。
ただ暴れ狂う感情だけがそこにある。
こうなりたかったわけじゃないし、こうするしかなかったわけでもないハズだった。
それなのに、縷々は殺戮を繰り返し、地獄の隅で喚き散らしている。
「私だって信じたかった! 人の善性を! 救済を!」
壁も棚もデスクも、転がっている肉片さえも乱暴に傷つけながら、縷々はただ叫び続ける。どこにも、誰にも届かない悲鳴を。
「だけど助けてくれなかった! 自分で抗う力さえなかった!」
助けは来ない。
弱者は悪意には抗えない。
被害者ばかりの世界だった。少なくとも縷々にはそう見えた。
こんな風になりたかったわけじゃない。
ただもう、耐えられなかった。
生きた人間の醜悪さに耐えられない。
そんな薄汚い生を是とする世界にもう居られない。
ああ、死ねば良かった。
殺すんじゃなくて、死ねば良かったのに。
それに気づいた瞬間、涙が溢れた。
心が乱れて、霊力がコントロール出来ない。
カタチを失った身体が、ドロドロと床の上に広がっていく。
「うわあああああああああああああああああ!!!」
ほとんど奇声のような悲鳴が、真っ赤な部屋に充満する。発散された霊力が、窓ガラスを破壊した。
そこに、黒い人影が訪れた。
壊れた窓から吹き込む夜風に、ゴシックロリータが揺れる。
赤い地獄にそぐわない金髪が、光にあたって場違いに輝いた。
「はぁっ……はぁぁぁっ……!」
そこにいる少女に気がついて、縷々は必死で霊力を制御し始めた。
崩れた身体が、中途半端に来々縷々としてのカタチを取り戻していく。
「言ったハズですよ……! 朝宮さんっ……次に会ったら……殺すって……!!」
少女は、朝宮露子は静かに縷々を見つめていた。
限界まで感情を押し殺し、惨劇の残骸を前にして……露子はそこに立っていた。
ゴーストハンター、朝宮露子として。
「アンタを祓う。その淀んだ霊魂を解放する。あたしにはもう、それしかしてあげられない」
わずかに震えた声で、露子はそう告げる。
「解放……? 思い上がりも甚だしいですね……っ! 祓うことは……消えることは死ぬことと同義! 殺して解放なんてのは、加害者の傲慢な思想……! 殺すことを美化するなっ!」
そう叫ぶと同時に、再び縷々の身体が液状に崩れ始める。
「……そうね。だけどもう、他に手段がない。これ以上誰かを犠牲にするわけにもいかないし何より……アンタに、これ以上罪を重ねてほしくない」
「あはははははは! 罪? 薄汚い人間を殺すことになんの罪があるというんですか? 私は正しい! 間違ってなんかナい……チガっ……るるっ……こんな……あひひひひひひひひひ」
もう、まともに言葉をかわすことさえ難しかった。
来々縷々は完全に崩壊している。
自身の言葉の矛盾さえ、もうよくわかっていない。
「たすケてくだサイ、タすけて欲しカった……生きたイッ! 生きる権利! 更正の……るるにもッ……生きる権利っ……たすけてぇ……っ! あああああああああああ!」
どんな人間にも生きる権利がある。
何かを間違えたとしても、立ち直る権利がある。
露子は確かにそう言った。その言葉に偽りはない。今でもそう信じている。
だけどもう、壊れた霊魂は立ち直れない。
淀み、悪霊となった霊魂はもう戻らない。
来々縷々も、それは同じだ。
半霊は半分生者だ。生きる権利と、立ち直る権利を半分は持っている。
けれど縷々はもう手遅れだ。
手を汚し続け、心を壊し、もう戻れないところまで来てしまった。
ならもう、奪うしかない。
生きる権利と立ち直る権利。縷々が持つその半分を奪うしかない。
「なら、言い換えるわ。あたしはアンタを殺す。大勢の命を救うために、あたしが悪人になってでも、アンタを殺して権利を奪う!」
それが朝宮露子の覚悟だ。責務だ。
大勢の命のために引き金を引き、白刃を振るう。
祓う。殺す。消す。それが黙する被害者を押し殺す行為だとしても。
迷わない。迷ってはいけない。
大衆を守ると決めたなら。
力を持ち、その責任を背負うと決めたなら。
自分と、相手の心を押し殺してでも――――狩るしかない。
「…………」
もうほとんどカタチを成していない縷々の身体は、液状の化け物となっていた。
白く濁った液状の身体は、タールのように粘ついて、この世にへばりついていた。
それがぐにゃりと形を変えて、来々縷々の顔を形成する。
そして静かに、涙を流した。
「縷々より、顔も知らない誰かを選ぶんですね」
諦めたような、それでいてどこか縋るような。
縷々は涙ながらに目を伏せて、露子を見つめる。
「……それがあたしの、ゴーストハンターとしての生き方よ」
それがゴーストハンター、朝宮露子だ。
「なるほど……縷々には、向いてない、わけですね……」
なれるわけがない。露子のようになんて。そんなに強く生きられない。貫けない。堕ちてまで求めた思想ですら、貫けなかった縷々には。
悟った瞬間、縷々は飛散するようにして液状の身体を広げた。
もう理性を手放し、ただ悪霊としての本能のままに露子を飲み込もうとする。
「…………ごめん」
呟くようにそう言って、露子はコルセットベルトに手を伸ばす。そこに差し込まれた小太刀を引き抜いて、そのまま縷々目掛けて薙いだ。
「霊刃――――電光朝露」
命は、魂は、かくも儚く消えやすい。
電光朝露。
その一瞬の閃きが、縷々の液状の身体を切り裂いた。
「――――ッ!?」
液状に変化した縷々の身体は、刃も銃弾も受け付けない。だがそれはあくまで、普通の武器や霊具の話だ。
電光朝露は、全てを切り裂く。どんな霊体も、必ず。
液状の身体が断ち切られ、縷々の本体である霊魂が中から姿を現した。
ドロドロに汚れた小さくて儚い霊魂が、露子の目に映る。
誰かを傷つけるつもりなんてまったくなかったハズの、無垢で優しい霊魂が。
「……さよなら」
涙でぼやけた視界の中で、必死に縷々の霊魂をとらえながら、露子は足のホルスターから銃を抜く。
死者へ詠う、葬送の挽歌。
「霊銃……薤露蒿里っ……!」
銃身から、弾丸が放たれる。
露子の霊力が練り込まれた弾丸が、縷々の霊魂へ命中した。
着弾した瞬間に、弾丸に練り込まれた露子の霊力が炸裂する。
「あっ……アァ……」
露子の霊力を流し込まれた縷々の霊魂が、飛散していく。
その欠片を正面から浴びると、露子の脳裏に縷々の記憶がよぎっていく。
共感反応だ。露子はそれを、抱きしめるようにして受け止めた。
彼女の孤独を。絶望を。地獄を。
そしてたった一つの、救済を。
朝宮露子に出会えたことが、彼女にとっての救いだった。そしてそれは、同時に地獄でもあった。
もしかしたら、露子と出会わず、何も知らずに日々を受け流していた方が良かったのかも知れない。
「……呪って良いわ。受け止める」
呟く露子の前に、薄ぼんやりとした縷々の姿が見える。
生まれたままの姿の彼女が、穏やかに微笑んで首を左右に振った。
言葉はなかった。
だけど彼女の応えはわかった。
彼女の存在がかき消えていく。
冷たい夜風だけが吹き込んできて、露子は小さく震えた。
こんな場所に長居していたくはない。
だけどもう少しだけ彼女の残滓を抱きしめたくて、露子はその場で震え続けた。
膝をついて肩を震わせる彼女を、窓から流れ込んだ夜が抱きとめる。
それは決して、暖かくはなかったけれど。
***
来々縷々が行方不明になってから、一ヶ月の時が経った。
水鳥川花江はずっと縷々を捜し続けていたが、未だに見つかっていない。
町を騒がしていた殺人事件と失踪事件はある日を境にピタリと止まっていた。一時期休校になっていた美須賀大学付属高等学校も授業を再開し、いつの間にか町は元の姿を取り戻していた。二度と埋まらない空白だけをたくさん残して。
水鳥川家の空白は、はっきり言ってひどく小さなものだった。
花江の夫も、娘の杏奈も、今は何事もなかったかのように毎日を過ごしている。縷々が作っていた距離感は遠く、関わりの薄い二人にとっては段々と他人事に変わっていったのかも知れない。
ただ、花江だけが時折ぼんやりと空白を見つめていた。
食事の用意も、洗い物も、洗濯する衣類の数も、弁当も、全てが一人分抜けていた。
そこに空いた穴に、何もない気がして怖かった。ジッと見つめるようにして縷々を想うのも、そこに何かがあったのだと信じたかったからなのかも知れない。
母親であれなかった。
彼女をどう扱えば良いのかわからなくて、彼女の作った距離感に甘え続けていた。
杏奈と同じようには出来なくても、せめて……あともう少しだけ歩み寄れれば良かった。どれだけ悔いても、もう遅いのかも知れないけれど。
パートの仕事を終えて、花江は帰宅する。
夫はまだ仕事で戻っておらず、杏奈は部活動で帰りは遅い。
一人で玄関まできて、花江はふと気づく。
ドアの前に、花が添えてある。
そっと置かれたリンドウが、花江には供花に見えた。
花江はそれをそっと手にとって、玄関のドアを開ける。
誰もいなくて良かったと、そう思ってしまう。
今はもう少しだけ、一人で空白を見つめていたい。
「ありがとう……ごめんね」
花を添えてくれた少女への感謝と、きっともういないあの子への謝罪を告げて。
水鳥川花江は、後悔しながら生きていく。
***
ゴーストハンター。
人知れず闇を駆け、死者を狩り生者を守る者。例え誰にも称賛されずとも。
真っ暗なトンネルの入口で、ゴシックロリータのワンピースが闇に馴染む。それとは対象的に、月明かりに煌めく金髪は闇を拒んだ。
朝宮露子が夜を征く。死者を狩る戦いは、きっと死ぬまで終わらない。
戦い続けることを選んだ。
誰ともわからない生者を守るために、死者を狩り続ける道を選んだ。
このトンネルの中に、今夜のターゲットは潜んでいる。
この世を恨み、生者を襲う淀んだ霊魂を、露子は祓わなければならない。
中へ入ると、すぐに負の霊力が感じ取れた。
トンネルの中で佇んでいる、女の霊の背中が見える。
露子に気付いた霊は、ゆっくりと振り返った。
その霊には、顔がなかった。
顔の代わりに、ぽっかりと空いた真っ黒な空洞だけがある。そこから吹き出す負の霊力は、どうしようもなく生者を憎んでいた。
きっとこの女も、何かの被害者なのだ。
それでも誰かを襲ってしまうなら、露子はそれを祓わなければならない。
それが正しいと、断言することは出来ない。
この世に絶対的な正しさなんて存在しない。どんなことも、見方を変えれば正義にも悪にもなり得る。
割り切れない世界を割り切るために、自分だけの正義を貫くと決めた。
生者を守る。ただ、それだけを。
「……行くわよ」
己を鼓舞するために呟いて、露子は銃を構えた。
この道はきっと報われない。
それでも戦い続ける。命ある限り。
祓ってきた全ての魂、その死を背負い続けて戦う。
この終わりのない闇に刻みつける。
彼女の信じる正義を。
例えそれが、何かを踏みにじる漆黒の正義だとしても。




