第八話「対立」
縷々が停学になっていることを露子が知ったのは、縷々の停学期間が終わったその当日になってからだった。クラスで聞こえる噂話を耳にして、ようやく縷々が停学になって休んでいることを理解したのだ。
露子が休んでいる間にクラスの雰囲気は変わっており、中心人物だった孔雀門真莉夢も学校を休んでいる状態だ。それだけでなんとなく、事件の内容を推察出来てしまう。
恐らく、あの事件で怪我をしたのは孔雀門真莉夢だ。そして、その現場に縷々も居合わせていたのだろう。
(……そんな時に旅館でのびてたなんてね……)
自分の不甲斐なさに、露子は歯噛みする。
――――どうして佐奈さんが消えないといけないんですかっ!
あの日の縷々の言葉が、今も頭の中で消えない。
一体あの霊と縷々の間に何があったのか、詳しいことは露子にはわからない。
ただあれからずっと、厭な胸騒ぎが続いている。
その数日後、学校は突如休校となった。
***
夜の繁華街、その路地裏で一人の男が逃げ回っていた。
男はひどく怯えており、恐怖のあまり目、鼻、口から体液を撒き散らすようにしながら悲鳴を上げている。
その身体に、液状の何かが鞭のようにしなってまとわりつく。ソレは男の身体をそのまま縛り、地面に容赦なく叩きつけた。
怯えきった男の視界に、一人の少女が映る。
小さくて華奢な、ほとんど子供のような体格の少女だ。薄闇の中でも主張し続ける白髪と、鈍く光る赤い眼光。冷え切ったその表情は、見た目の年齢にそぐわない。その上、彼女の左頬には痛々しい火傷痕のようなものがある。目元から一筋、頬に流れるようについた火傷痕はまるで消えない涙のようだ。
そして男の身体を縛っている液状の何かは、少女の左腕が変異したものだった。
ゆっくりと。少女が男へ歩み寄る。
「ひっ……ああ――」
絶叫しかけた男の口に、少女の右手が伸びる。男の口を完全に塞ぎ、呼吸さえ許さなかった。
「……よくもまあ、この町に戻って来られましたね」
淡々と、少女が言葉を紡ぐ。
「他人の幸福を吸い上げて生きる悪魔のようなあなたに、生きる権利はありません」
少女がそう告げた瞬間、男は彼女の背後に無数の顔を見た。
死を目前にしたせいなのか、見えるハズのないものが見えてしまっている。
少女の背後にいるのは、無数の浮遊霊だ。そのどれもが生を踏みにじられ、望まずして呪いに成り果てた者達だ。
「おや、見えますか? ではその薄汚い眼球に焼き付けておくと良いですよ。もしかすると、あなたが騙した人間も含まれているかも知れませんから」
薄っすらと、口元だけで笑みを浮かべる。
そして次の瞬間、少女の右手が流れ込むようにして男の口から体内へ侵入する。必死に吐き出そうとする男だったが、それは決して叶わない。
「”死”になさい。あなたの”生”は間違っています」
少女がそう口にした瞬間、男の身体が勢いよく破裂する。
その場で血と臓物を撒き散らし、胴体だけが消滅する。残った下半身と、脇から上の部分がどちゃりと音を立ててその場に落ちた。
そこで一度、少女の変異が解除され、人間のカタチに戻る。その右手には、薄ぼんやりと輝く黒い半透明の球体があった。
少女はそれを強く握り込む。すると、口に変異した手のひらが、その球体を飲み込んでゆっくりと噛み砕く。
その球体は、男から取り出された霊魂だった。
人間は肉体が滅ぶと、霊魂だけになる。何事もなければ霊魂はそのまま消滅するが、未練を残した霊魂はそこから霊化していく。
少女は、男の霊魂が霊化する可能性すら消し去りたかった。身体の中に取り込んで、少女の中で永劫の責め苦を与えるために。
男の死体をチラリと見て、少女が嘆息していると、不意に背後から殺気を感じ取る。
振り返れば、刀を持った青年が目前まで迫ってきていた。
振り上げた刀を一瞥し、少女は舌打ちしながら後退する。
「いきなり背後から襲いかかるなんて……随分卑怯ですね」
「人殺しの半霊に、やり方を責められるいわれはない」
「……人殺し?」
青年の言葉を繰り返し、少女は笑う。
「アレは、人でしたか?」
「何を言っている……?」
少女の言葉の意味がわからず、青年は顔をしかめる、
「あの男は、詐欺師ですよ。人間なわけがないじゃないですか」
少女の論理は、完全に飛躍していた。
それを飲み込むのに、青年はわずかに時間をかける。
「人の命そのものに善悪は関係ない。殺したのであれば、君は人殺しだ」
「いいえ。生きる価値のない命は存在します。さっきの男が、一体何人の人生を狂わせたのかわかっていますか? 私は……彼のせいで心中した家族を知っています」
淡々としていた少女の言葉に、じわじわと憎悪が宿る。
「私が狩るのは”人”の基準に満たない屑だけです。ボランティアのようなものだと思いませんか?」
「その理屈で何人殺した……?」
怒りで歯を軋ませながら問う青年を、嘲るように少女が笑む。
「”人”は一人も殺していませんよ。屑を廃棄しただけですから」
少女が答えた瞬間、青年は跳ねるようにして少女へ飛びかかる。
「あなたは”人”だと思います。殺したくありません」
「だったらこのまま祓われろ半霊! お前の狂った思想で、これ以上犠牲者を出すわけにはいかない!」
青年の振り下ろした刀が、少女の身体に食い込む。
しかし、想定外の感触に青年は驚愕する。
刀は確かに少女の身体に食い込んでいる。しかし斬った感触もなければ、返り血も全くない。
「これは……!」
刀は、液状化した少女の身体に取り込まれていた。少女の身体の性質は、ほとんど液体に近い。生半可な霊力を流した程度では、物理的な攻撃による影響は受けないのだ。
それどころか、触れたものをそのまま飲み込んでしまう。
「全ての生者を守るのがあなた方の使命なら……死すべき生者を間引くのが私の使命です。邪魔をしないでくださいね」
少女は悲しげにそう告げて、勢いよく右手を突き出す。
右手は即座に鋭く尖った刃に変異し、青年の身体を貫いた。
間違いなく即死だ。心臓を一突きで確実に破壊している。
その場に倒れ伏した青年の遺体に目を向け、少女は嘆息する。
「あなたもいつか、私の元へ来ますか?」
朝宮さん。
呟くような声音でそう付け足して、少女は悠然とその場を立ち去っていった。
***
学校が休校になった上、依頼も受けていない露子は唐突に暇を持て余すことになった。
それでも、縷々のことばかり気にかかってしまって休日という感じも全くしない。落ち着かないまま自宅待機していると、不意に橘から連絡が入る。
電話ですませばいいものを、とりあえず直接会いたいと押し切られ、露子は指定された喫茶店へと向かった。
中へ入ると、店の奥の方、窓際の咳で橘が手を振っているのが見える。露子は仏頂面で無視して、そのまま橘の待つ席へと歩いていく。
「やあ、五分早いね」
「……アンタ何分前からいたのよ」
橘の手元には、既に飲み終わったコーヒーのグラスと、食べ終わったパフェの食器が残っている。まだ片付けられていないということは、丁度さっきまで食べていたところなのだろう。
「俺が奢ろう。何がほしい?」
「……別に。コーヒーだけでいいわ」
「OK。すみません、コーラお願いします」
「おい」
勝手にコーラを頼み始める橘に、露子は嘆息する。
格好がつかないので普段は頼まないのだが、付き合いの長い橘は露子の本当の好みを大体把握している。橘の前ではあまり格好をつけても意味がなかった。
「それで、何よ」
すぐに届いたコーラをとりあえず飲みつつ、露子はぶっきらぼうに言う。
「公にはされていないが……今這輪戸町はかなり物騒な事件が立て続けに起きている」
「……依頼?」
橘の意図を先読みして露子が問うと、意外にも橘は首を左右に振った。
「そういうわけじゃないんだ。今のところ、不明瞭な部分の多い事件でね。死者や行方不明者は大勢出ているが、悪霊の仕業かどうかはわからない。現在調査中だ」
「……殺人鬼でも現れたワケ?」
生身の人間が犯人なら、ゴーストハンターの専門外だ。露子が関わるべき事件ではなくなる。
ゴーストハンターが狩るのは、あくまで生者を襲う死者だ。生者同士の事件は、ゴーストハンターではなく警察の管轄である。
こうして考えると、ゴーストハンターというのはやはり”正義の味方”ではないのかも知れない。ゴーストハンターが味方するのは生者だ。例え死者こそが被害者で、生者こそが悪だったとしても。
――――これが……朝宮さんの……使命なんですね。
また、あの日の縷々の言葉が露子の脳裏を過った。
「被害者はどれも詐欺師や、暴力団の構成員……一般的に”悪党”に分類されている人間だ。だが中にはただの学生なんかも混じっている。まあ、注意喚起だよ」
「ふぅん、教師みたいなことすんのね」
素っ気なく答えながらも、露子は頭の片隅で橘の話について考え続けている。
何か妙な胸騒ぎがしてならない。
「……それと、ここからは完全に機密事項だ。確定もしていない、話半分に聞いた上で極秘にしておいてくれ」
橘の言葉に、露子は静かに耳を傾ける。
「恐らくゴーストハンターが一人失踪している」
「――――っ!?」
思わず声を上げかけたが、露子はどうにか抑えて目線だけで橘に話の続きを促す。
「龍門統一郎。知っているとは思うが、這輪戸町に小さな事務所を構えていたゴーストハンターだ」
露子は這輪戸町に引っ越す際、霊能関係の事務所には一通り挨拶をして回っている。龍門の事務所は小さなビルの中にあり、露子が訪れた際は快くもてなしてくれた。
正義感の強い男で、露子を商売敵などとは少しも思っていないように見えた。
――――君のように強い霊能者がいてくれると心強い。一緒に町を守ってくれ。
龍門は露子からすればやや暑苦しい部類ではあったが、まっすぐで嫌味のない彼が嫌いではなかった。
「彼とは情報交換のために定期的に連絡を取っていてね。絶対に定期連絡を怠らない彼から連絡が途絶えた」
「……なら、一時的に連絡が取れない状態ってこともあるのよね」
希望的観測が多分に含まれてはいたが、可能性としては十分にあり得る。橘は否定こそしなかったが、頷いてはくれなかった。
「彼は例の事件について積極的に調査を行っていた。夜間も自発的に見回りをしていてね」
そう言われると、嫌でも事件との関連性を示唆してしまう。
龍門は犯人を見つけ、それで返り討ちに遭ったのではないか、と。
しかし、ただの殺人鬼が相手なら、龍門が簡単に返り討ちに遭うとは考えにくい。そう考えると、この件はやや異質だ。
「調査は俺の方で進めておくよ。悪霊絡みじゃないとは考えにくい」
「そうね。詳しいことがわかったら教えてちょうだい」
「どうだろうな。この件は千歳くんに頼むかも知れない」
「……は?」
急にはしごを外されたような感覚になり、露子は顔をしかめる。
「その調子だと自分では気づいていないようだが……随分と疲れた顔をしているよ。まさかここまでとは思わなかった。ちゃんと鏡は見たのかい?」
「当然でしょ。今日も完璧だったわ」
「よく言うよ。俺としても仕事を立て続けに頼んだことには責任を感じている。少し休んでくれ」
「勝手に責任感じないでよね。受け続けたのはあたしなんだから」
ついついツンケンした言い方を選んでしまう露子を見つつ、橘は穏やかに微笑む。
「とにかく、君は一度休んでくれ。たまには映画でもどうかな? 俺のオススメがたくさんあるよ」
「遠慮しとくわ。アンタ恋愛映画ばっか薦めてくるから」
「それは残念」
わざとらしく肩を竦めて見せる橘に呆れつつ、露子はコーラを飲み干す。
飄々としてはいるが、橘なりに露子を心配してくれているのがわかる。正直露子自身、口裂け女との戦いや縷々との件で疲労しているのはある程度自覚していた。
橘も、連絡した時点では何かあれば露子に話を通すつもりだったのだろう。想定以上に疲労が伺える露子の様子を見て、思いとどまったように見えた。
あまり食い下がるべきではないだろう。
「なんならあたしのオススメ教えてあげようか? 結構あるんだけど」
「ふふ、遠慮しておくよ。君のオススメはハードな映画ばかりだからね」
相変わらず趣味が合わない。
だがお互いをある程度理解し合えているなら、その違いも居心地が良かった。
***
橘と会った後、露子はそのまま帰らなかった。
縷々のことでこれ以上もやもやと考えるのは嫌だったし、橘とのやり取りでこれ以上は仕事にも支障が出ると感じ、いっそのこと直接会いに行くことを決めた。
あまり行儀の良い手段ではなかったが、以前学校の裏庭で除霊を行った後、縷々の後を尾行して無事に帰宅するのを見届けたことがある。位置は大体わかっていた。
縷々の家は住宅街の平凡な一軒家だ。ゴスロリ姿で歩けば人目を引くが、いつものことなので露子はあまり気に留めない。
家の表札を見ると、来々ではなく水鳥川と書かれている。縷々の家庭の事情はある程度聞いているので、別段驚きもしなかった。
すぐにインターホンを鳴らすと、中から少し戸惑っているような女性の声が聞こえてくる。恐らく縷々の義母にあたる人物だろう。カメラ越しに見えているであろう露子の姿に驚いているように感じたが、縷々の話をすると客間に通してくれた。
「すみません、突然お邪魔して」
一礼しつつ、露子が行きしなに買ってきたお菓子の入った紙袋を渡すと、女性は申し訳無さそうに受け取りながら礼を言う。
「縷々ちゃんの義母の、花江です。どうぞ座ってください」
妙に畏まった態度を訝しみつつ、露子は客間らしき和室で正座する。
テーブルの上には、すぐに飲み物とお茶菓子が簡単に用意された。
花江は露子と向かい合うようにして座る。露子は正面から彼女の表情を見て、そのやつれ具合に少し驚いた。
「実は……縷々ちゃん、数日前から帰ってきていないんです」
「え……?」
縷々がすぐに顔を出さなかった時点で、今はいない、もしくは会いたがっていない、くらいのことは露子も想定していた。しかし、まさか帰ってきてもいないとは思いもしなかった。
縷々は水鳥川家とはあまり良い関係が築けていないと聞いている。しかし花江のこの様子からは、あまりそうは見えなかった。
「折角訪ねてきていただいたのに……すみません」
「いえ、そんな……こちらこそ急に押しかけてしまったので……」
橘から聞いた話も考えると、余計厭な想像をしてしまいそうになる。学校が休校になったのは、縷々の失踪や真莉夢の件、そして町で起きている事件など色々と重なったせいなのだろう。
「あの子について、何かご存知でしたら教えてくもらえませんか?」
花江は、心から縷々を心配しているように見えた。
縷々の話だと、実子につきっきりで縷々のことはそれほど気にかけていない、という印象だったのだが、どうも今の印象と食い違う。
「……あの子が、時々夜に外出しているのは……知っていたんです」
ぽつりと、花江が懺悔でもするかのように呟く。
「正直、どうすれば良いのかわからなかったんです。兄が亡くなって、あの子を預かって……どんな風に接すれば良かったのか……。一人になりたいのなら、そっとしてあげた方がいいのかと思って……」
だからと言って、夜中に出歩く少女を放置して良い理由にはならない。追及しそうになったが、明らかに精神的に疲弊している花江をここで責めても埒が明かない。
当然腹は立った。放置しておいて、事が起きてから言い訳し始めるような態度には虫酸が走る。
それでも、怒鳴りたいの抑えて露子は花江の話を黙って聞くことにする。怒りを顕にしたところで、現状は好転しない。
「あの子も、私達とは距離を置いていたので……私はその距離感に甘えていたように思うんです……それが、こんなことになって……!」
そのまま花江は縷々と真莉夢の事件のことを話し始めた。
ここでようやく、露子は真莉夢が休んでいる理由と、縷々が停学処分を受けた理由をハッキリと知ることになる。
(……そんな肝心な時にいられなかったなんて……!)
歯噛みしてももう手遅れだった。露子が何も知らない間に、縷々は心に深い傷を負ってしまっている。そんな最中に、露子は結果的に目の前で佐奈を祓ってしまったのだ。
「なんとか出来ないかと思って、転校も薦めたんです……。それが、あの子にとっては突き放されたように感じたんじゃないかって、今更気づいて……!」
露子から見て、縷々はかなりネガティブで内向的だ。大抵のことは、後ろ向きにとらえてしまう。
縷々は恐らく、水鳥川家に対してはかなり否定的な気持ちでいたのだろう。ここは自分の居場所ではないと、そう思い込んでいたのではないかと考えられる。
花江が転校を薦めたことも、出ていけと言われたように感じていたのかも知れない。
花江に問題がないとは決して言えないが、縷々と水鳥川家の溝はコミュニケーション不足からくるすれ違いだ。話し合えば、まだ改善出来るかも知れない。
問題なのは、縷々が現在行方不明な部分だ。そこに関して、露子は強い違和感を覚えていた。
縷々が精神的に孤立していたのは理解出来た。水鳥川家が彼女にとって居場所ではないと感じられたのも事情を考えればわかる。しかし、だからと言って家出まで飛躍するのは露子の知っている縷々のイメージとあまり結びつかない。
何か、何かもう一つピースが欠けている。
「……もう一度会って、話し合うべきだと思います。きっとすれ違っているだけですから」
露子がつとめて穏やかにそう言うと、たまらなくなったのか花江は静かに泣き始める。
「どれだけ出来るかわかりませんが、あたしも捜してみます。何かわかったら、必ず連絡しますから」
もう一度会って話し合わなければならないのは、露子も同じだ。
必ず縷々を見つけ出すと決心し、露子は花江によくお礼を言ってから水鳥川家を後にした。
***
水鳥川家を去った後、露子は居ても立ってもいられずに縷々の捜索を開始した。
生身の人間の失踪は警察の管轄だし、花江も既に届けは出していると言う。だが露子達霊能者には、霊能者にしか出来ない捜索方法も存在する。
能力の高い霊能者は、特定の霊力を感じ取り、追いかけることが出来るのだ。特に縷々のような、類まれなる霊力を持っている人間なら霊力の痕跡を辿れる可能性が高い。
露子は、縷々が自分で家出したとはあまり考えていなかった。
いくら水鳥川家との関係が悪くても、縷々がそのまま飛び出して帰ってこなくなるということは考えにくい。縷々の失踪には、事件性を感じている。
しかし闇雲に霊力を辿ろうとしても、簡単に見つかるほど甘くはない。ある程度は場所や行動を予測する必要がある。町全体を駆けずり回るのは効率が悪い。
まずは水鳥川家の付近で聞き込みを行ったが、あまり情報は得られなかった。縷々の見た目は特徴的だが、長く住んでいれば近所の住人も慣れる。もうあまり気に留められていないのかも知れない。
そして単純に、朝宮露子は第三者から見ると胡散臭かった。流石に今日ばかりはせめて一般的な服装で出歩くべきだったと後悔した程である。
(……そうよね、あたしって対人スキル微妙というか……ないに等しかったわね……)
いくらファッションが信念だとしても、関係のない他人から見れば奇異な人物だ。金髪もウィッグか何かと誤解されただろうし、探偵ごっこのコスプレ少女くらいに思われている気がした。
こんなことで気を落としていても仕方がない。調べ回っている内に日も落ち始め、赤い夕日が世界を彩る。
あまり好きになれない景色だった。
昼と夜が交差するこの時間は、生と死の境界線にいるゴーストハンターの世界と似ている。どうにも夜と死を結びつけてしまうせいか、この時間はまるで死に際だ。
「……今日は帰ろうかしらね」
ひとりごちて、露子は嘆息する。
日と服装を改めて、もう一度聞き込み調査を行うべきだろう。
専門外ではあるが、橘も連絡を取れば何か情報を掴んでくれるかも知れない。とにかく今は、縷々を見つけ出すために最善を尽くしたかった。
しかし、ひとまず帰路につこうと考えた――その時だった。
「――――っ!?」
不意に、露子は膨大な霊力を感じ取って驚愕する。
これは怨霊である口裂け女にも引けを取らない程の負の霊力だ。これだけの力を持つ悪霊がいれば、もっとはやく気づいているハズだ。
すぐに、露子は霊力を辿って走り始める。もしこの付近にこのレベルの悪霊が現れたのなら、一般人の被害は免れない。迅速に対応しなければ死者が出る。
「まさか……!」
もし、橘の話していた事件がこの悪霊によるものなのだとしたら……。龍門が返り討ちに遭ったことにも合点がいく。
自我を失わず、知性を維持しているタイプなら最悪だ。潜伏しながら行動されれば、一気に祓うのが困難になる。感じ取れている今が好機だ。
最低限の装備はそろえてある。ここで無理にでも祓っておかなければ、更に被害が大きくなるのは間違いない。
それに、縷々が犠牲になった可能性は十分にあった。霊力の高い縷々は、間違いなくこの悪霊の存在を認識出来るし、狙われてもおかしくない。
拳を強く握りしめながら、露子は両足に力を入れた。
***
霊力を辿って走り続けて、露子は住宅街を離れていく。外縁部には工業地帯があり、この時間帯は帰宅ラッシュさえ終われば人通りがほとんどなくなる。景色は、道路と建物以外はほとんど自然の中、と言った様子だ。
そうして露子が辿り着いたのは、少し奥まった場所にある廃工場だった。
門は開け放たれたままになっており、入口から工場の中がある程度見通せる。ほとんどの機械が撤去されており、がらんどうのような廃工場だった。
その中央に、一人の小柄な少女が立っていた。
「…………」
一目で理解出来る。
それが誰なのか。
そしてこの胸の悪くなるような負の霊力が、その少女から漏れ出ているということも。
言葉を失い、立ち尽くす。
完全に冷静さを欠いて、露子は目を見開いた。
「……やっと会いに来てくれましたね。朝宮さん」
「来々…………?」
そこに立っていたのは、来々縷々だった。
「なん、で……」
縷々を見た瞬間、彼女が既に生きた人間ではないのが、露子には理解出来てしまう。しかしそれと同時に、彼女は死者でもない。この極めて奇特な状態を、露子は知っている。
半霊。
生きたまま霊魂が激しく淀んだことで、死を待たずして霊魂が悪霊化することで生まれる存在。肉体は霊魂の影響を受け、生身のまま変異することも多い。
今の縷々は人間でも悪霊でもない。半霊と呼ばれる、特殊な存在だった。、
その上、縷々の今の姿は露子の知っている彼女とは完全に様変わりしている。
「似合いますか? 朝宮さん。”私”、衣装に着られていませんか?」
縷々が身につけているのは、以前露子がドリィで彼女のために購入したゴシックロリータドレスだ。
膝丈のスカートを好む露子とは対象的に、膝を覆うようなロングスカートだ。それを控えめなパニエで少し膨らませている。リストフォール型の袖がゆらりと揺れて、どこか色香めいたものすら感じさせていた。
黒を基調としたドレスに、美しい銀髪が映える。
既に物理的な視力は必要ないのか、いつもかけていた眼鏡は外している。そのせいか、痛々しい程に左頬の火傷痕が目立っていた。
まるで酸の涙でも流したかのような痕に、露子は思わず顔をしかめた。
「私、ちゃんと着こなせていると思うんです。朝宮さんみたいにはなれませんが、私は私の生き方を見つけられましたよ」
その場でくるりと回って、縷々は自分の姿を露子に見せつける。それがあまりにも愉しそうに見えて、露子は愕然とした。
彼女は、今の姿を見せつけることを愉しんでいる。
何体もの浮遊霊や、負の思念を引き連れて、返り血で汚れた自分の姿を。
「……殺したのね」
「いいえ。片付けただけです」
堂々と言い切って、縷々は笑む。
「薄汚い魂を。生きる価値のない、間違った生命を、片付けました」
露子は意図的に霊力の制御を解き、今の縷々を理解しようと試みる。すると、縷々はそれを受け入れるようにして霊力を周囲に放った。
縷々の霊力を感じ取った露子の中で”共感反応”が発生する。露子の持つ霊的な知覚が、霊魂を言葉ではなくビジョンで理解し始める。
「っ……!」
それは縷々の中にあった負の感情の全てであり、同時にこの事態を引き起こしたきっかけの記憶だった。
汚れた、悪意ある生者への怒りと憎悪。
予想だにしなかった悪意による一方的な蹂躙。
救われなかった者達への憐憫。
そして、朝宮露子への希望と、失望。
朝宮露子は来々縷々を救ってはくれなかった。
日常や友人よりも使命を選んだ露子に対する、縷々の本質的な感情が直接流れ込んでくる。
――――どうして助けてくれなかったんですか?
全身から厭な汗が吹き出すような感覚だった。
押し込んでいたいくつもの罪悪感がせり上がってきて、喉から吐き出してしまいそうになる。
「……朝宮さんを責めたいわけじゃないんです。ただ、やっぱり……寂しかったです」
「……そうね。頼れって言ったのに、あたしはアンタのそばにいなかった……ごめんなさい」
「いいんですよ。だって、今は目の前にいるじゃないですか」
今まで見たこともないくらい、縷々は穏やかに笑う。
もう、何一つ迷いはないのだろう。
これまでの行いにも、これからの行いにも。
だとすれば、朝宮露子の取るべき行動はたった一つだけだ。
露子の最もなすべき事が、露子にとって今最も躊躇われる事だ。
どこまでいっても、使命の中に生きている。
朝宮露子は、震える手で銃を握りしめた。
「……朝宮さん」
それを見て、縷々は悲しげに目を伏せる。
「私を、祓うんですね」
その言葉に、応えたくなかった。
だが応えることでしか、己を鼓舞することが出来なかった。
ゴーストハンター朝宮露子は、はっきりと口にする。
「アンタが人を殺したのなら……あたしは祓う」
それが、開戦の合図だった。
迷いを振り払うかのように、露子は引き金を引く。
露子の霊力のこもった鉛の弾が、縷々へ飛来する。
「やっぱり私は、あなたにとってはもう”生者”ではないのですね」
弾丸が、縷々の顔面に食い込む。
しかしそれは、来々縷々という霊魂に対して何の作用も引き起こさなかった。
「――っ!?」
縷々の顔が液体のように崩れ、弾丸を包み込む。完全に勢いを殺された弾丸が一瞬その場にとどまり、すぐに吐き出された。
音を立てて落下する弾丸を一瞥してから、縷々は嘆息する。
「どんな人間にも、生きる権利がある。何かを間違えても、更生して立ち直る権利がある、でしたっけ」
いつかの露子の言葉を繰り返して、縷々は露子へ歩み寄る。
「私にはもう、いずれの権利もありませんか?」
固めたハズの決意が、揺らぐ。
その瞬間の隙を、縷々は見逃さなかった。
右腕を即座に変異させ、露子へと伸ばす。それは鞭のようにしなり、露子の身体にまとわりついて縛り上げた。
「このっ……!」
抜け出そうとする露子だったが、縷々はそのまま露子を一度持ち上げ、一気に地面へ叩き落とした。
「かっ……!」
地面との衝突による衝撃が、露子の全身を駆け巡る。そのまま続けて、二度、三度と露子の身体は地面に叩きつけられた。
露子の身体は常人より鍛えられているが、決して超人ではない。人間の……それも十代の少女の身体は、根本的にアスファルトと複数回衝突出来る作りではない。
意識を失いかけながらも、這いつくばって縷々を睨む露子の精神力は明らかに異常だった。
何人も殺して、人間の身体の脆弱さを知った縷々にとって、この光景は驚愕に値するものだった。
そしてそれと同時に、どこか胸をなでおろすような心地も、縷々の中にはあった。
「来々……っ!」
しかし念を入れるようにして、縷々は露子の身体を一度締め上げる。
苦悶の表情を浮かべ、やがてぐったりと脱力していったのを確認してから、縷々は露子の拘束をといた。
「一度だけ見逃します。あなたの生は間違っていないし……大切な、友達なので」
惜しむようにそう言って、縷々は倒れたままの露子に背を向ける。
「きっとあなたの考えは変わらないでしょう。ですから……次に会った時は……殺します」
静かに言い残して、縷々はその場を去っていく。
朦朧とする意識の中で、どうにか言葉だけを聞き取って、露子は意識を手放した。




