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ゴーストハンター朝宮露子 BLACK JUSTICE  作者: シクル


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第五話「一線」

 通学路を歩いていた。

 今から学校へ向かうハズなのに、景色は朝なのか昼なのかもわからない。なんとなくいつもと違う気がしたが、それでも露子はぼんやりと歩き続けていた。

 学校はしばらく休んでいたため、妙に通学の感覚が懐かしい。別に授業は多少遅れても問題ない。少し復習しておけば、露子にとって授業内容はそこまで難しいものでもなかった。

 厭に身体が重い。どうしようもないような気怠さが全身を覆っていて、気がつけば露子は足を引きずるようにして歩いていた。

 何かがおかしい。

 足が熱い。足が重い。

 不審に思って見下ろすと、誰かの手が露子の足を掴んでいた。

 咄嗟に引き剥がそうとするが、露子の足を力強く握り込んだその手は一向に離れない。それどころか、露子の足を掴む手が増えていく。

 気がつけば、無数の手が露子の足を掴んでいた。

 そのまま引きずられていく。

 耐えられずに倒れ込んで、露子はそのままずるずると引きずられていく。

「っ……!」

 地面にしがみつく露子の身体を、無数の手が強引に引っ張る。そのまま足が引き千切られてしまいそうだった。

「放して……放しなさいっ!」

 露子はバッグの中に隠し持っているハンドガンを取り出し、その銃口を背後へ向ける。

「――――っ!?」

 するとそこには、ドス黒い正体不明の空間と、幾百幾千もの”目”があった。

 全ての目が、露子に向けられる。

 充血した無数の目には、全て怨嗟の色が宿っているように見えた。


「マダ、キエタクナイ」


 ああ、今まで祓ってきた霊魂か。

 それに気づいた瞬間、露子の意識はブラックアウトした。



***



 露子が目を開けると、そこは知らない天井だった。

 慌てて身体を起こそうとしたが、うまく身体が動かない。まるで金縛りにあったかのようだった。

 そしてすぐに、何があったのかを思い出す。

 露子は、協力者である千歳千世と共に、封印されていた怨霊……口裂け女の除霊を行っていた。

 千世との連携でどうにか祓うことには成功したが、電光朝露を使用して消耗していた露子は、祓われる直前の口裂け女と共感反応を起こしてしまったのだ。

 それもただの共感反応ではない。口裂け女から、直接的に怨念を向けられたことで起こった共感反応だ。口裂け女の負の霊力を浴びたことで、心身共に蝕まれてしまったのだろう。

 このような現象は、霊能者の間では”霊障”と呼ばれている。

 霊と関わったことで、物理的ダメージとは別の形で肉体的、精神的な負傷を負うことである。

 露子の身体が重いのはそのせいだろう。

 首は多少動くので、露子はとりあえず辺りを見回す。どこかの旅館だろうか。薄っすらと香る畳の匂いは、少し落ち着く。

 それにしても、胸糞の悪い悪夢だった。

 普段、露子は意図的に祓った霊のことは考えないようにしている。だが決して気にならないわけではない。

 今回口裂け女と関わったことで、今まで押し込んでいた罪悪感が吹き出してきたのかも知れない。

 だがどちらにせよ、露子のやることに変わりはない。生者を害するのなら祓う。それだけだ。

「あ、目が覚めた? 良かったー」

 ふとそんな声が聞こえて、部屋の中に誰かが入ってくる。

 身体を起こせないままでいる露子の元に歩み寄って来たのは、共に口裂け女を除霊した千歳千世だった。

「……もしかして看病してくれてた?」

「そんな大層なことはしてないよー。定期的に様子見に来てただけ。夜は放置してたよ~」

「定期的にって……」

 千世の口ぶりから、嫌な予感がして露子は顔をしかめる。

「待って、あたし何日倒れてたの!?」

「三日くらいかなー。霊障が一番の原因だけど、単純にすごく疲れてたんだと思う」

 言われてみれば、露子はここのところ仕事続きであまり休めていなかった。

 どうやら今回の戦闘と霊障をきっかけに、今までの疲労負債を一度に返済させられたのだろう。

「ちなみにここは断一町の八目はちもく旅館。橘さんの紹介だよー」

「ああ、あいつのね……」

 そのまま話を聞いていると、どうもこの旅館は表向きは普通の旅館だが、ゴーストハンター達御用達の旅館でもあるらしい。

 建物全体が強い結界に包まれており、負の霊力の浄化が早い。露子のように他の肉体的なダメージがなく、霊障のみを受けてしまったゴーストハンターは、ここで休んだ方が自宅や病院よりもはやく復帰出来るらしい。

「多分明日までには身体が動かせるんじゃないかなー。とりあえず無事で良かったよ」

「……世話かけたわね」

「ううん、それはこちらこそ。朝宮さんなしじゃ、私だって無事ですんだかわかんないし」

「そこはお互い様よ」

 そう答えて笑いつつ、露子は小さく息をつく。

 まさか三日も倒れたままになるとは思ってもみなかった。這輪戸町に戻るのは、もう少し先になるだろう。まずは身体をまともに動かせるようにならなければ。

 それにしてもやけに重たい霊障だ。相手が怨霊レベルともなれば当然かも知れないが、身体が動かせなくなる程の霊障は珍しい。それほどまでに、彼女の怨念は強かったのだろう。

「お腹空いてるだろうし、ご飯はこの後食べさせてあげるからね」

「……は!? いいわよそういうのは! このくらいどうってこと……」

 と、言いかけて、露子はようやく自身の空腹具合に気がつく。三日も眠ったままだったのだ、いくら強がろうとも身体はどうしようもなく栄養を求めている。

 ここで強がっても意味はない。厚意に甘えて、今は回復を急ごう。

「……お願いするわ」

「素直でよろしい!」

 ニッと笑って見せると、千世はコンビニのナイロン袋を取り出して見せる。中身は栄養ゼリーやレトルトのおかゆ、サンドイッチやおにぎり等様々なものが入っている。露子の好みで選べるよう、種類を用意しておいてくれたのだろう。

 とりあえず今は柔らかいものが欲しかったので、おかゆを頼むと千世はすぐに温めてくれた。

「そういえばうなされてたけど、なにか悪い夢でも見てた?」

 露子におかゆを食べさせつつ、千世はふとそんなことを問う。

 弱みを見せるようで少し嫌だったが、はぐらかす程の話ではないだろう。素直に、露子は夢の内容を話すことにする。

「……今まで祓ってきた霊がね……あたしをどこかに引きずり込もうとする夢よ」

 露子がポツリとそう言うと、千世は深刻な表情で一度目を伏せた。

「それで、まだ消えたくないって言うのよ。全員で、目だけであたしを見て」

「……そっか」

 短い返答だったが、そっけないというよりは言葉を選ぼうとしているようだった。

 少しだけ間をおいて、千世は口を開く。

「私もたまに見るよ。そういう夢」

「アンタもよく引きずられるワケ?」

「うーん、私は引き千切られちゃうなー。こう、大の字に張り付けられてぐいーって引っ張られてぶちぃって」

 軽い口調で話してはいるが、内容はひどく凄惨なものだ。笑うに笑えず、露子は嘆息する。

「アンタはさ、どう思うの? 霊を祓うこと」

 ふと気になって、露子は問う。すると千世は、あっけらかんとした様子ですぐに答える。

「仕事!」

「やっぱ?」

 戦っている時の機械的な様子を見ていれば、容易に想像出来る答えだった。千世は除霊を、仕事として割り切っている。

「なんだかなーって思うことはあるよ。だけど、私の場合昔はそれどころじゃなかったんだよねー」

 そこで一度区切ってから、千世は再び話し始める。

「うち、妹が病弱でさ。星来せらって言うんだけどね。両親もはやくに他界しちゃって、治療費とかいっぱい必要でさ……もう、割り切ってやっちゃえー! って」

 千世は、幼い頃から霊能者として除霊の仕事を請け負ってきていた。妹の治療費を賄うために、除霊は完全に仕事と割り切ってただひたすらに祓い続けた。

「だけどやっぱり、たまに思うんだよね。これで良いのかなー……って。だから多分、朝宮さんと同じ気持ちかな」

「……そ。苦労するわね、お互い」

「ねー」

 同じ思いの人間が他にいる。それだけで、案外気持ちは軽くなるものだ。

 露子と千世はお互いに顔を見合わせて笑い、そのまましばらく談笑した。



***



 縷々が学校の裏庭で出会った少女は、佐奈と名乗った。

 どうも死んだ時のことがうまく思い出せないらしく、ふらふらと彷徨っている内に縷々の元に辿り着いたらしい。

 最初こそ警戒していたものの、佐奈の霊魂がほとんど淀んでいないことに気付いた縷々は、なんだかんだで佐奈と打ち解けてしまうのだった。

「え、今日も来てないの? もしかして友達いるって嘘?」

「ち、違いますー! その内ちゃんと来ますー!」

 出会った翌日も、縷々は佐奈に会うために裏庭で昼食をとることにしていた。

 佐奈は常に学校内にいるわけではないが、気に入ったのか大抵は裏庭にいるようだ。授業の合間や放課後も、機会があれば縷々はここに来るようにしている。

 霊と関わるな、と言われた矢先、後ろめたい気持ちはあったものの、単純に佐奈が心の隙間を埋めてくれるのが嬉しかった。

 露子は、二日続けて学校を休んでいる。大きな仕事が入った、というのは聞いていたが、あれから一切連絡が取れていない。そのせいで、佐奈のことも相談出来ずにいる。

「まあいいよいいよ。誰にでも見栄を張りたい時はあるから」

「だから本当にいるんですってば!」

 そう言っていたずらっぽく笑う佐奈に、縷々は珍しく語気を荒げる。

 佐奈は冗談が好きな少女で、こうしてよく縷々をからかっては笑っている。同じ”いじり”でも、悪意を感じる真莉夢と無邪気な佐奈ではこうも感じ方が違うのかと、縷々は少し驚いていた。

 佐奈は、縷々と同い年くらいに見える快活そうな少女だ。セミロングくらいの黒髪をポニーテールにまとめた背の高い少女で、生前は陸上部だったらしい。

 内気でインドア派の縷々とは正反対の少女だが、不思議と一緒にいて気が楽だった。

 佐奈はからかいこそするものの、縷々が嫌がりそうなことは意図的に避けている。なるべく感じ取りすぎないようにしていても、佐奈が霊である以上、縷々には佐奈のことが必要以上に理解出来てしまう。彼女の気遣いに、気づいてしまうのだ。

 そして、彼女自身が忘れてしまっていることにも……縷々は気づいていた。

「それにしてもさぁ、全然思い出せないんだよね。頑張って考えてるんだけど、私なんで死んだんだろうね」

「……無理に、思い出さなくても良いのでは……」

「案外エグい死に方だったりするかも知れないよね。ホラー映画みたいな」

 そう言ってカラッと笑う佐奈だったが、彼女の死因は――――

(…………自殺)

 話していて感じる佐奈の性格からは想像出来ないような死因だ。

 理由まではまだ縷々にもわからないが、佐奈は生前自ら死を選んでいる。

 深く感じ取ろうと思えば縷々にはわかるかも知れないが、彼女のプライベートを覗き込んでしまうみたいで嫌だった。

 それに、何より知ってしまうのが怖かった。

 自ら死を選ぶのは、生きている方が辛いからだ。彼女の人生の結末を、縷々は知りたいとは思えなかった。

「私みたいなのって、成仏した方が良いと思うんだけどなぁ」

「それはまあ、そうですが……」

 霊魂が現世に残るのは、生前の未練があるからだ。佐奈のように自我や理性が残っている霊魂には、悪霊化した霊魂と違って成仏のチャンスがある。

 縷々が佐奈の生前を理解すれば、成仏の手助けになれるかも知れない。だが忘れられている結末を思い出させることは、霊魂を淀ませることにも繋がる可能性がある。

 霊魂は時間経過で必ず淀むが、負の感情を抱けば抱く程淀む速度は上がっていく。

 自殺の理由など、決してロクなものではない。縷々は、佐奈が偶発的に記憶をなくしたのではなく、”辛すぎる記憶を自ら封じた”可能性が高いと考えていた。

(……縷々の手には負えない……でも、成仏させてあげたい……)

 出来れば露子の手を借りたかったが、忙しいのか一度も連絡が返ってこない。

 露子ならなんて言うだろうか。

 佐奈はまだ悪霊化していない。霊の扱いに慣れた露子なら、冴えた発想で状況を好転させてくれるハズだ。そう信じて、縷々は露子からの連絡を待ち続けた。

 とは言っても、「明日学校来れそうですか?」しか送っていないのだが。

 忙しくて返せていないだけなら、続けてメッセージを送るのは迷惑だろう。そう考えると、続けて何かを送るのが躊躇われてしまう。

 今までまともにこういう交流をしていなかったせいで、縷々はこの手のやり取りに全く慣れていなかった。

「友達、まだ返事ないの?」

 露子のことを考えつつチラリとスマホを見ていると、佐奈が画面を覗き込んでくる。

「あ、はい……。なんだか、忙しいみたいで……」

「まあ、その内返ってくるよ。縷々、結構いい奴だし、無視とかはされないんじゃない? 私はその子のこと知らないけどさ」

「……そうだと、良いですが」

 佐奈の言葉は嬉しかったが、やはり不安は拭えない。

 何かあったのではないかと思うよりも、自身が見放されたんじゃないかと根拠もなく疑ってしまう自分が嫌だった。



***



 孔雀門真莉夢と来々縷々の出会いは、決して特別なものではなかった。

 たまたま中学が同じだっただけの二人は、たまたま同じクラスになり、たまたま三年間同じクラスのままだっただけだ。

 あの日のことを、真莉夢は今でもはっきりと覚えている。

 赤霧市の中で最も裕福な地主の家系に生まれ、類まれなる美貌を持った孔雀門真莉夢にとって、人生は全て”イージーモード”だった。

 欲しいものはなんでも手に入る。誰もが真莉夢に付き従う。この世で思い通りにならないものなんて全くないような気になっていた。

 しかし唯一、来々縷々だけは違った。

 ほぼ全てのクラスメイトが真莉夢に対して好意的な反応を示したのに対して、縷々だけは全く別の反応を見せた。

「私は孔雀門真莉夢。よろしくね」

 初めて会った時、そう言って手を差し出した真莉夢の手を、縷々は取らなかった。

「あ、はい……よろしくおねがいします……」

 それだけだった。

 笑いもせず、どこか怯えたように目をそらして。手を取ることさえも恐れているようだった。

 それが妙に、真莉夢の癇に障った。

 怖がられることは珍しくない。バックについている孔雀門家の大きさを考えれば当然だ。だがそういう連中は大抵、真莉夢となるべく友好的な関係を築こうとする。

 その方がメリットが大きいし、目をつけられることもない。普通はそうするべきなのだ。他のクラスメイトはそうしている。

 なのに縷々だけは違った。

 近づこうとせず、どれだけ孤立しても教室の隅で一人で過ごしていた。

 たまに何もない場所をぼんやりと見つめ、真莉夢のことなんて視界に入れようとしていなかった。

 それが、孔雀門真莉夢にとってたまらなく不愉快だった。

 来々縷々は、真莉夢にとって生まれて初めて思い通りにならないものだったのだ。

「…………」

 縷々のことを考えると、自然と苛立ってしまう。

 いつの間にか脳内に居座っている縷々が腹立たしかったし、そんな些末なことにとらわれている自分にも苛々する。

 おまけに最近は朝宮露子が現れたせいで、余計思い通りにならなくなった。

 折角縷々がまた一人になったかと思えば、今度は真莉夢に正面から反抗してきたのだ。

 ――――……軽率に……霊に、関わらないで……ください。

 あんな風に言い返してきたのは今回が初めてだ。これも恐らく、朝宮露子の影響だろう。

「気に入らないのよ……!」

 ボソリと呟いて、真莉夢は一瞬だけ顔をしかめる。


 どんなものでも、向こうから真莉夢の方へやってきた。何も言わなくても真莉夢のものになった。

 だから真莉夢には、自分から相手と仲良くなる方法がわからなかったのかも知れない。



***



 露子が学校を休み始めてから、もう三日経つ。

 未だに連絡が返ってこず、どうしようもない不安感が縷々の中で募り続けていた。

 それでもどうにか普通に登校出来ていたのは、佐奈の存在があったからかも知れない。

 縷々の灰色の生活に、初めて光を灯したのは露子だ。それが失われて、また灰色になりかけていたところに、佐奈がまた光を灯してくれたのだ。

 霊である佐奈は、いつまでも一緒にはいられない。だけどそれでも、この僅かな時間だけでも一緒にいてくれることが縷々にとってはありがたかった。

 佐奈の霊魂は、日に日に淀んでいる。だがそれは、ほんの僅かな変化だ。今のところ、悪霊化する気配はない。

 この日もまた、縷々は裏庭を訪れていた。

 縷々が姿を現すと、佐奈はニコッと笑って縷々の元へ近寄ってくる。

「よっ、今日もぼっち飯だね」

「……何言ってるんですか。佐奈さんが一緒でしょうに」

「死人はノーカンじゃない?」

 冗談めかしてそう言って、佐奈は笑みをこぼす。

 佐奈とのこういうやり取りにもだいぶ慣れてきた。お互いに丁度良い距離感が見えてきたため、居心地もかなり良い。

 弁当を食べながらそのまま談笑し、穏やかな時間が過ぎていく。

 しかし縷々が弁当を食べ終わったところで、佐奈は急に切なげな表情を見せた。

「……ずっとこのままになんないかなぁ」

「え?」

 言葉の意図がつかめず、縷々は聞き返す。

「いや、正直成仏とかよくわかんないし、毎日このままじゃダメなのかな……って思っちゃって」

「それは……縷々も、その方が嬉しいですけど」

 ついついそう呟くと、佐奈は表情をパッと明るくする。

「忘れてることなんてさ、きっとロクなことじゃないと思うんだよね! そんなこと思い出すより、このまま毎日縷々といられたら良いかなって思う」

 そんな風に言われるなんて思ってもみなかった縷々は、一瞬目を丸くする。しかしすぐにじんわりと気持ちが温かくなって、笑みがこぼれる。

 だが、いつまでもこのままではいられない。それがわかっているせいで、素直には喜び切れなかった。

 佐奈は霊だ。本来、この世に居続けてはならない存在なのだ。

(……本当にそうなんでしょうか)

 佐奈は善良だ。誰も傷つけたりはしない。そんな彼女が、この世に居続けてはならないなんて道理があるのだろうか。

 気づかないフリをしてきたが、縷々にはなんとなく佐奈の過去が見えつつある。

 彼女が、死を選んだ理由は――――

「あれ~? 来々さん、こんなところにいたんだぁ?」

「!?」

 声がした方へ慌てて視線を向けると、そこにいたのは孔雀門真莉夢とその取り巻きの二人だった。

 戦慄が胸を刺す。

 心臓が急に冷えた気がした。

「ねえ、さっきまで誰とおしゃべりしてたの? 幽霊?」

 真莉夢の語気が、いつもより強い。

 それに気づいて、縷々は現状のまずさを理解する。

 ここは裏庭で、周囲には人がいない。ここにいるのは、佐奈を除けば縷々と真莉夢一味だけだ。

 それはつまり、ここでの真莉夢はほとんど外面を気にしなくて良いということなのだ。

 途端に足が竦んだ。

 今よりも苛烈な言葉をかけられ、時には軽い暴力さえ受けていた中学時代が一気に想起される。

 思わず震えていると、佐奈が怪訝そうに縷々の顔を覗き込んだ。

「縷々……?」

 佐奈の言葉に答えられず、縷々はうつむいたまま震えていた。

「……返事しなよ」

 普段猫なで声で話す真莉夢の声色が低くなる。

 スイッチが切り替わった証拠だ。

 真莉夢は早足で縷々の元へ歩み寄り、その顔を覗き込んだ。

「アンタ最近何か勘違いしてんじゃない?」

「あっ……いや、あの……」

 言い淀んでいると、縷々の右足を真莉夢が踏みつけた。

「っ……!」

「朝宮が何吹き込んでるか知らないけど、あんまし調子に乗らないでよね」

 グッと、更に力が込められる。悲鳴を上げそうになるのをこらえる縷々を見て、佐奈は怒りをあらわにした。

「ちょっと縷々! なんなのこいつ……!」

 佐奈が睨みつけても、真莉夢にはそれが見えていない。

 真莉夢は相当苛立っているのか、縷々から視線を離さなかった。

「アンタも朝宮も、私簡単に学校から追い出せるよ? ねえ、中学の時、佐伯さんも転校しちゃったよね?」

 中学二年目の春。クラス替えで同じクラスになった佐伯恵さえきめぐみは、真っ向から真莉夢と対立した。

 その結果が、突然の転校だった。

 はっきりとした理由はわからない。だが孔雀門家が敵に回った時、赤霧市では平和に暮らせなくなる。

 縷々が見逃されているのは、あくまで反抗しなかったからだ。

「ねえ、聞こえてる? 聞こえてるかっつってんのよ!」

 怒声を上げ、真莉夢は縷々を突き飛ばす。そのまま押し倒されて尻もちをついて、縷々は恐怖と惨めさで泣き出しそうになっていた。

 これが縷々のよく知る、孔雀門真莉夢の姿だ。

 親の権力を振りかざし、才色兼備の影に隠れた汚泥を吐き散らす。

 こんな人間が生きていて、佐奈のような人間が死んでいる。そう考えると、反吐が出そうだった。

 怒りが、少しずつ恐怖を上回っていく。

 こんな人間に良いようにされていて良い訳がない。

 縷々が憧れる朝宮露子は、こんな人間には絶対に屈しない。

 もし真莉夢と完全に敵対することになっても、縷々は一人じゃない。露子がいるなら、挫けずにいられる。

「……んで……」

「は?」

 ボソボソと何かを呟き始めた縷々に、真莉夢は高圧的な表情で首をかしげる。

 斜め上からの視線が怖かったが、縷々はそれでも言葉を吐き出した。

「なんで、あなたの思い通りにならないといけないんですか!」

 一気に吐き出した言葉が、まっすぐに真莉夢に届く。

 突然声を荒げた縷々に、真莉夢も取り巻きも驚きを隠せない。

 だがすぐに、真莉夢が縷々を睨みつけた。

「アンタ、いつからそんな生意気言えるようになったわけ?」

「……こ、怖くないですよ……」

「あ?」

「け、け……権力を、振りかざして……! え、偉そうにしてるだけのあなたなんてっ……! 怖くないって、言ってるんです!」

 縷々がそう言い切った瞬間、パシン、と乾いた音が響いた。

 真莉夢が、口よりも先に手を出したのだ。

 平手打ちされた縷々の頬が、じわっと熱くなる。

「色々と一から教えてやんないとダメみたいね。中学の時みたいにさぁ」

 次が来る。

 そう思って縷々が歯を食いしばった……その瞬間だった。

「――――!?」

 突如、負の霊力が膨れ上がるのを感じ取る。

 すぐに理解する。それが佐奈の霊力であると。

「ユ、る……セない……!」

 佐奈の両目が、赤黒く変色する。霊体が部分的に膨張と縮小を繰り返している。

 ”変異”が、始まってしまっていた。

「ど、どうして……っ!?」

 佐奈の霊魂はほとんど淀んでいなかった。悪霊化するには、まだまだ時間がかかるハズだった。

 それなのに何故――――と、そこまで考えて縷々は気づく。

 佐奈は、自分の死因を思い出してしまったのだと。

「はぁ? どうして? そっか、そこから教えてあげないとダメかぁ」

 縷々の言葉に、真莉夢が見当違いの返事をしたが、もう縷々の視界に真莉夢は入っていない。

 それに気がついて、真莉夢は顔に激情を塗りたくる。

「いつまでも舐めてんじゃ――」

 しかし次の瞬間、真莉夢の身体は後ろから佐奈に引っ張られた。

「は……?」

 見えない真莉夢には、何が起こったのかまるでわからなかった。

「や、やめてくださいっ! 佐奈さん!」

 佐奈の身体が、歪に変異している。

 急激に膨れ上がった負の霊力が、彼女の霊魂を急速に淀ませたせいなのかも知れない。その変異はあまりにも悍ましかった。

 身体は不自然に膨れ上がり、両目と口は環形動物に似たホース状の触手へと変化している。

 真莉夢を掴んでいる右手はあまり変化がなかったが、左手はドス黒い棍棒のような形状に変わり果てており、下半身は蛇のような形状へ変異していた。

 そのあまりの悍ましさに、縷々は息を呑む。

 これが、つい先程まで穏やかに談笑していた少女の姿だとは思えなかった。

「オ前のよウな奴ガ……いルカら……ッ!」

 佐奈の右手が、みしみしと真莉夢の肩を掴む。

「きゃあっ!? 何!? 何なのよ一体!」

 その正体不明の苦痛に、真莉夢は悲鳴を上げた。

 取り巻き達はどうすれば良いのかわからず、立ち竦んでしまっている。二人の内片方は、とうとうわけもわからずその場で泣き始めてしまった。なんとなく、佐奈の気配を感じ取ったのだろう。

「やめてください! お願いです!」

 縷々の声は、もうほとんど届いていないのかも知れない。

 佐奈は真莉夢を乱雑に横へ倒すと、彼女を見下ろした。

 真莉夢には佐奈が見えていないが、見えない何かが迫ってきているのだけは理解出来ていた。

「ちょ、ちょっと……来々さん!? 何か視えてるの!? それともアンタ……何かしたの!? 助けてよぉっ!」

「佐奈さん! ダメです! やめてください……っ!」

 必死に止めながらも、縷々はもう佐奈が止まらないことをわかっている。

 佐奈は、孔雀門真莉夢を絶対に許さない。

 何故なら彼女が死を選んだ理由は……生前いじめに遭っていたからだ。

 その辛い記憶を、彼女は無意識の内に押し込めていた。

 しかし真莉夢と縷々のやり取りを見てしまったことで、佐奈は自身の記憶を取り戻す。

 友人が痛めつけられる怒りと、自身の生前の記憶が、同時に彼女の霊魂を淀ませてしまったのだ。

 佐奈はもう止まらない、止まれない。

 身体を小刻みに震わせて、佐奈は躊躇しているかのようにも見えた。

 しかしすぐに、雄叫びのような奇声を上げる。

「ァァアァァァァアアァアアアアアアアッ!」

 次の瞬間、顔についた三本の触手から薄緑色の粘液が吹き出す。

 周囲に飛び散った粘液は、まるで硫酸のように地面や壁の表面を溶かしていく。

「っ……!」

 散ってきた粘液が、縷々の制服を部分的に溶かす。ポケットが焼け落ち、中に入っていたスマホがバチバチとショートを起こす。縷々は慌てて、その場にスマホを投げ捨てた。

「きゃああああああああっ!」

 そしてその粘液は、真莉夢の顔や身体にもかかっていた。

 しゅうしゅうと厭な音を立てながら、真莉夢の顔や身体の皮膚が溶け始める。肉や髪の焼ける臭いが辺りに立ち込める。

 今まで感じたこともないような苦痛が、真莉夢の神経を引きちぎるかのように刺激する。倒れたまま苦しみ、悶える真莉夢を、佐奈は震えながら見下ろしていた。

 想像を絶する凄惨な事態に、縷々は言葉を失う。真莉夢の取り巻き達は、既にその場から逃げていた。

「る……ル……」

 真莉夢の絶叫の中に、佐奈のか細い声が混じる。

 なんとか耳をすませると、佐奈の言葉をどうにか聞き取ることが出来た。

「に……ゲ……テ」

 竦んで動けなくなった身体をなんとか動かし、縷々は尚も絶叫する真莉夢の手を取る。いくらなんでも、このままにはしておけない。

 後はただ、真莉夢を引きずるようにして、泣きじゃくりながら必死で足を動かした。

 佐奈が、暴れ出しそうな自分をどうにか抑え込んでその場に立ち止まっているのを、なんとなく背中で感じながら。

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