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ゴーストハンター朝宮露子 BLACK JUSTICE  作者: シクル


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第三話「友人」

 人類が明かりを手に入れ、闇を克服してから久しい。しかしそれでも照らし切れない、視認すらかなわない世界も存在する。

 ゴーストハンターが駆けるのは、そう言った闇よりも深い暗黒の中だ。

 法と文明の支配をすり抜ける暗黒を、銀の刃と鉛の弾で消し去るのが責務だ。誰に知られずとも、誰に称賛されずとも。

 例えそれが、黙する被害者をそのまま押し殺す行為だったとしても。


 ゴーストハンター、朝宮露子は連日悪霊と戦い続けていた。

 鉄橋での除霊に、呪いの家の除霊。そして今夜は、廃ビルに住み着いた悪霊の除霊だ。

 逃げる悪霊を屋上まで追い詰めて、露子は彼と対峙する。

 既に悪霊化した霊魂は、傷つけずに成仏させることが出来ない。

 この世にとどまってしまった霊魂は必ず淀み、いつかは悪霊化する。そして悪霊化した霊魂は、霊能者の手によって強制的に祓うことでしか解放されない。これがこの世界のルールだ。

「ア……アァ……ッ!」

 見た目は作業着姿の成人男性だが、既にその霊魂は淀み切っている。露子からもう逃げられないと悟るやいなや、男はその場で変異を始めた。

 霊魂は普通、生前の姿をしている。しかし悪霊化した場合、霊魂の姿は変異する。

 変異の仕方には個体差があり、個体によって様々な変異を起こす。

 自身の死因や、生前のトラウマ、執着から来る変異。

 人の噂や恐怖心により、他人の負の感情で起こる変異。

 変異に関しては不明な部分が多く、未だに明確なルールはわかっていない。部分的に変異するものや、全身が変異して元とはかけ離れた姿になるものもいる。稀に、見た目がほとんど変異しないものさえいる。

 彼の場合は、全身が異形へと変異した。

「オオオオオオォォォォォォッ!」

 青く変色した身体は逆に痩せ細り、ほとんど骸骨のような体付きだ。その一方で両手の爪は鋭く伸びており、口元からは鋭い牙が覗いている。

 頭部には長く、ねじ曲がった角が生えていく。さながら西洋の悪魔のような姿になった男は、瞳孔も虹彩もない真っ白な眼球で露子をとらえていた。

 瞬間、露子が駆ける。

 逆手に持ったナイフが、悪霊の首筋を狙う。しかしナイフは空を切り、悪霊は空高く飛翔した。

「っ……!」

 思わず舌打ちして、露子は頭上を見上げる。男の背中には、真っ黒な翼が生えていた。

 あまりにも悪魔然とした姿に、露子は違和感さえ覚えた。日本人の価値観で、ここまで露骨に西洋の悪魔に変異するパターンは見たことがない。

 しかしすぐに、月明かりに照らされた男の姿を見て露子は理解する。

 悪霊の首には、十字架が提げられていた。

「なるほどね……!」

 キリスト教徒からすれば、悪霊に”堕ちる”ということは悪魔に成り果てることなのかも知れない。余程敬虔な信者だったのだろうか。それだけに、救われずに堕ちている事実には目を背けたくなる。

 それでも、祓わなければならないのがゴーストハンターだ。

 露子は思考を切り替え、腰のホルスターから即座にハンドガンを抜く。

 そのまま数発、正確な射撃が悪霊の身体を射抜いた。

 悪霊の身体が空中でよろめく。その隙を見逃さず、露子は更に数発悪霊の身体に弾丸を打ち込んだ。

 それがとどめとなって、悪霊の身体はそのまま夜空にかき消えていく。

 せめてそのまま星空にでもなれたら。そんなロマンチストめいたことを一瞬だけ考えてから、露子は一息つく。

 これで今夜の仕事は終わりだ。この場にこれ以上長居する必要はない。踵を返して、露子は屋上を後にする。

 長居する必要がないのではなく、長居したくないのかも知れない。

 仕事の後は大抵こんな気分になる。

 強制的に除霊するということは、その霊魂が未練を果たせないまま呪いとして消えていくということだ。解放は救い足り得るが、完全な救いとも思えなかった。

 だが朝宮露子が霊能者として、ゴーストハンターとして力を持つ以上、これ以外の選択肢はない。

 生者を襲うなら、悪霊は祓わねばならない。

 薄暗い廃ビルの階段を足早に降りて、露子は夜の町に降りる。この辺りは大して店もなく、人通りも多くない。昔ながらの闇が支配する、文明が鳴りを潜めた時間だ。

「お疲れ様」

「…………何?」

 不意に声をかけられ、露子はぶっきらぼうに返事をする。

 廃ビルの入り口で、壁にもたれかかった男がいた。見慣れたパーマヘアが夜風に揺れて、男は……橘藤次は微笑んだ。

「差し入れさ。それと、少し話が」

 言って、橘はコンビニ袋を差し出してくる。

「……ありがと。で、本題は後者でしょ。電話ですませなさいよね」

 照れ隠し混じりに悪態をつき、露子は袋の中を確認する。

 ペットボトルのコーラに、BLTサンドが一つ。軽い夜食としては丁度良いくらいだ。カロリーは少し気にかかったが。

「忙しい中申し訳ないんだけど、近々大きめの依頼が入るかも知れない」

「へぇ。どんな?」

 コーラを開封しつつ、露子は適当に返す。

「口裂け女はご存知かな?」

 橘がそう言った瞬間、露子は表情を変える。

「彼女の封印が解けそうって話だ。除霊の依頼が、うちに来るかも知れないよ」

「……そう」

 口裂け女。

 彼女程知名度の高い現代怪異はそう多くないだろう。

 耳元まで裂けた口をマスクで隠し、逢魔ヶ時に現れて道行く子供に「私キレイ?」と問いかけて襲いかかる有名な怪異だ。

 悪霊は、噂によって変異するパターンも多い。口裂け女の噂が広まっていれば、ただの悪霊も口裂け女に変異することがある。

 赤霧市に出現したことがあり、文献によれば当時はかなりの大事になったという。

 何十何百という人間に恐れられ、悪霊よりも更に危険で凶悪な存在とされる”怨霊”の領域にまで達したのが赤霧市の口裂け女だ。

 当時は完全に祓うことが出来ず、封印されていると聞いていたが、どうもその封印が弱まっているらしい。

「断るかい?」

「まさか。二束三文でも受けてやるわよ」

「そう言ってくれると思ったよ」

「言っとくけど、ほんとに二束三文だったらキレるわよ」

「そこは心配いらないよ。ちゃんと色をつけるさ」

 冗談めかしてそう言って、橘は笑みをこぼす。

「そういえば、話は変わるけど学校ではうまくやれてるのかい?」

「は? アンタに関係なくない?」

「おお! その反応はうまくやれてなさそうだねぇ!」

 図星と言えば図星なのが苛立って、露子はわずかに顔をしかめた。

 正直なところ、孔雀門真莉夢と一悶着あったせいで彼女の一派とはうまくいっていない。大体クラスの八割くらいは真莉夢派か不干渉派なため、露子はわりと浮いていた。

 別に同年代のクラスメイトに別段興味があるわけでもなかったし、現状をそれほど憂いているわけでもなかったが、こうからかわれると多少は悔しくなる。

「青春の楽しみ方は人それぞれだ。後悔さえしなければどう過ごしたって構わないとは思うけどね」

 フォローになってるんだかなってないんだかわからないことをのたまいつつ、橘はにやついて見せる。

 絶対に茶化しているだけだった。

「友達……って程じゃないけど、多少話す奴ならいるけど」

 来々縷々のことを思い出しつつ、露子はそっぽを向きつつそう話す。

 仕事の現場にニ度も現れているのだから、もう無関係な人物とは言い難い。

 縷々の霊能力は、平均的なゴーストハンターのソレよりも高く感じる。霊を視て、触れて、理解する。彼女は、鉄橋でも呪いの家でも、悪霊のことを深く理解していた。

「じゃあ、その子と友達になってみるといいんじゃないか?」

「……そうね、考えとく」

 てっきり突っぱねられると思っていた橘は、一瞬だけ目を丸くする。

 だが一匹狼のように振る舞いがちな露子の動向は、橘もなんとなく案じている部分があった。多少なりとも話し相手がいるのは、かなり良い傾向のように感じて橘は目を細める。

「それじゃ、良い報告を期待しているよ」

「しないわよばーか」

 とは言え、縷々とは一度しっかり話をする必要があるだろう。

 友達云々はそのついでだ。そう言い聞かせつつ、露子はどう声をかけるか考え始めた。



***



 呪いの家の一件から数日後の休憩時間、縷々がいつものように教室から避難しようとしていると、突如露子に呼び止められた。

「えっ、あっ……はい、なんでしょうか……?」

 驚いたせいで、真莉夢相手でもないのに吃音気味になってしまう自分に嫌気がさす。露子の方はそんなことは気に留めていないようだったが。

「アンタ、今週の土曜空いてる?」

「…………?」

 一瞬、露子が何を言っているのかわからなくなって縷々は停止する。

「な、なによ固まって……」

 あまりにも縷々が硬直するため、心配になったのか露子が様子を伺う。そこでようやく、縷々は正気に戻って受け答えた。

「あ、いえ、大丈夫です……特に用事とかは……ないです……」

「……ちょっと遊びに誘おうかと思っただけなんだけど……嫌なら良いわよ……?」

 普段堂々としている彼女にしては珍しく、不安そうな声音で露子が言う。

 すると縷々は、慌ててそれを否定した。

「いいいいや! 全然嫌じゃないです!」

 突然声を荒げる縷々に、露子だけでなく周囲にいた他のクラスメイトまでもが驚いて目を丸くする。

 それに気づくと、縷々はあまりの恥ずかしさに顔に火が付くような錯覚すら覚えた。

「そ、その……休みの日に、遊びに誘われるの……慣れてなくて……驚いただけです……」

 このくらいで素っ頓狂な反応をしてしまうことも恥ずかしい。流石に露子もこれには引いただろうか、と縷々は気まずそうに露子の表情を伺ったが、その顔はどこか温かみのある呆れ笑いを浮かべているだけだった。

「まあ、あたしも誘うの慣れてないしね。前置きなしで声かけて悪かったわね」

「いえ、そんな……嬉しい、です……。土曜、空いてます……」

 縷々がそう答えると、露子は満足げに頷いて見せる。

「じゃ、詳しい予定はまた後で伝えるから」

 そうしてそれだけ伝えると、露子は次の授業の予習を始めてしまう。

 縷々はまたしばらく固まっていたが、やがてじわじわと嬉しさがこみ上げてきて顔がにやけていく。

(休みの日に……遊びに誘われてしまった……!)

 来々縷々、悲しいことにこれが初めての経験であった。



***



 そうして訪れた土曜日の午前九時前、縷々は緊張した面持ちでバス停で待機していた。

 前日までは浮かれに浮かれていた縷々だったが、当日を迎えると極度の緊張でガチガチになってしまったのである。

 白いワンピースに薄桃色のカーディガンのコーデは、縷々の手持ちの中では比較的子供っぽくない部類だ。しかしそういう”背伸びしている感じ”が逆に子供っぽいような気がしてきてしまい、今更考え込んでしまって余計に緊張が高まってくる。

 それに、縷々の白髪は非常に目立つ。こうして外に出ると周囲の視線を感じてしまって落ち着かないのだ。

 休みの日に誘ってもらった嬉しさを、段々”こんな時間帯に外になんて出なければ良かった”という気持ちが塗りつぶし始める。

 とは言え、折角声をかけてくれた露子の気持ちを無下にして逃げ帰ってしまえば余計辛くなるだろう。

 そう考えて祈るような気持ちで待っていると、ようやく朝宮露子が現れた。

「ごめん、待たせた?」

 普段通りの、美しい金髪のツーサイドアップ。衣装は初めてゴーストハンターとしての彼女を見た時のものとよく似た、モノトーンのゴシックロリータワンピースだ。日本人離れした露子の美貌に、ゴシックロリータはあつらえたように似合っている。そのせいか、縷々の方へ向けられていた奇異の視線が一気に露子へ集中した。

 しかし当然、露子はそんなものは全く気にしていない。堂々とした態度で、まっすぐに縷々だけを見ていた。

 そんな様子を見て、縷々は一気に緊張が解けていくのを感じた。

 露子の姿を見ていると、自然と勇気がわいてくる。

 何者にも屈しないであろう彼女のそばにいれば、自分にも少しくらいなら勇気が出せるような気がしてきた。

「いえ、全然……。今日はありがとうございます」

「なに言ってんのよ。誘ったのはあたしなんだから、こっちの台詞よ、それ」

 そう言って笑う露子に、縷々は少し見惚れてしまいそうになる。

 こんな風に振る舞えたら良いのに。



***



 露子が縷々をつれて向かったのは、這輪戸町の隣町にあたる院須磨いんすま町だ。数年前、幽霊騒ぎがあったため、縷々は絶対に近づかないようにしていたのだが、露子によれば今はそう危険な場所でもないらしい。

 学校行事以外で這輪戸町の外に出ることが滅多になく、バスに乗るのも随分と久しぶりだったが、露子といると思ったよりは緊張せずにすんでいた。

 バスの中では、露子はそれ程話しかけてはこなかった。無視している、という感じではなく、縷々の様子を気にかけているような感じだ。縷々の緊張が完全に解れるのを、ゆっくりと待ってくれているように見えた。

 バスは二十分とかからない内に、院須磨町へ到着する。

 少し都会っぽさのある這輪戸町に比べると、院須磨町はほのかに潮風の香る田舎町、と言った様子だ。バス停の周りは雑草が生い茂っており、たった二十分で遠くまで来たような気持ちになってくる。

 赤霧市自体、世間的にはそれ程栄えた地域ではない。縷々の住んでいる這輪戸町が、赤霧市の中では栄えているだけで、そこを少し離れれば大体はこんな感じなのだ。

「どう? 田舎でしょ? ここがあたしの地元」

「田舎ですが……のどかで良い所に見えます」

 素直にそう思って、縷々はもう一度辺りを見回した。

 はっきり言って、縷々は喧騒が大嫌いだ。どうせ住むなら、こういう静かそうな場所の方が良い。

 もっとも、田舎らしい田舎は近所付き合いどうこうで大変とは聞くのでどこにも長所と短所があるのだろうと割り切ってはいる。

「そうね。正直あたしは、やっぱ地元の方が好きだわ」

 感慨深げにそう言いつつ、露子はグッと身体を伸ばす。

「えっと……それで今日は、どこに……?」

「……あれ、もしかしてあたし言うの忘れてた……?」

 とりあえず土曜遊びに行く、という部分だけで浮かれていて、集合時間以外は何も聞いていない。どうやら露子自身言うのを忘れていたようで、珍しく間の抜けた声を上げた。

「あ、いえ、そのっ……どこでも大丈夫です!! 縷々はその、こういうの初めてで遊び方とかわかんなくて……!」

「あー……ごめん。遊ぶっつっても、ちょっと腰を据えて話がしたかっただけなのよ。色んな意味で、這輪戸からは一旦離れた方が良いかと思って院須磨にしたのよね」

 色んな意味、には思い当たる節がある。

 這輪戸町内にいれば、真莉夢やその関係者と出会う確率も上がるだろう。

 それは縷々にとっても露子にとってもあまりうれしいことではない。落ち着いてゆっくり話をするなら、クラスメイトとは出くわしにくい場所の方が気が楽だ。

「あ、ありがとう……ございます」

「だから、付き合ってもらってるのはあたしなんだから、お礼はこっちの台詞だっての」

 言いつつ、露子は少し考え込むような表情を見せる。

「まあ、話だけして終わりってのもつまんないし、ちょっと買い物付き合ってくんない?」

「……はい!」

 縷々は、なんだかようやく普通の学生の休日に辿り着いたみたいではしゃぐ気持ちを抑えられなかった。

 ある程度安心出来る人間となら、外に出るのも悪くない。

 なんの気兼ねもなく何かを楽しみに出来るのは、縷々にとっては貴重なことだった。



***



 バスを乗り換え、次のバス停から歩くこと数分程。露子に連れられ、縷々はドリィという名前の小さな店へ辿り着いた。

 ベージュの壁紙がかわいらしいその店は、商店街のメインストリートから少し離れた場所にあった。

「入るわよ」

 そう言って扉に手をかける露子は、いつもよりどこか上機嫌に見える。

 中に入ると、店内はパステルカラーの壁やファンシーな小物で溢れかえっていた。

 あまり広くない店内に、所狭しとワンピースやドレスが並べられている。露子が着ているようなゴシック系だけでなく、クラシカルなものや甘ロリと呼ばれるタイプ、和風のものやパンク系などとにかく豊富な種類が取り揃えられている。

「わぁ……!」

 あまりファッションには興味のなかった縷々も、この光景には目を奪われてしまう。

 まるで別の世界にでも来てしまったかのようで、縷々は自身の目を疑った。

 縷々は幼い頃、目につく絵本を手当たり次第に読み漁っていた時期があった。まだ何も知らない無垢な時分は、無邪気にお姫様や魔法使いに憧れたものだ。

 そんな幼い憧れが、今目の前に広がっているような気がした。

「良いでしょ?」

「はい……!」

 得意げな露子にややはしゃいだ様子で頷き、縷々は店の奥へ進んでいく。店内には、衣装やアクセサリー以外にはフィッティングルームとレジがあるだけだ。こじんまりとした店だが、その分店内に夢が詰まっている。

 どこかキラキラした景色を眺めていると、レジの向こうにいる店員が視界に入る。そしてその人物と目が合った瞬間、縷々は硬直した。

「あっ……」

「ん……?」

 そこにいたのは、背の高い女だった。黒のストレートボブカットで、鋭い目つきの三白眼が縷々を見下ろしている。

 一瞬タバコを咥えているのかと思ったが、よく見ると棒付きの飴か何かのようだ。

「いらっしゃい」

 だがパッと見のイメージとは裏腹に、女は目を細めてニッと笑って見せる。

「あ、あの……はい……どうも……お邪魔します……」

 見た目だけで怖がってしまった申し訳なさや、会話することに対する単純な緊張など、色々ごちゃごちゃになって縷々はか細い声で返事をする。

 それを見て、女はバツが悪そうに頭をかいた。

「……怖がらせちゃったらしいねぇ。ごめんよ露公」

「あー、いーのいーの。多分初対面だと大体こんな感じだろうし。アンタならすぐ打ち解けるでしょ」

「たしかに」

「自分で言うな!」

 軽快なやり取りの後、露子とその女は顔を見合わせて微笑む。どうやら二人は相当仲が良いことを察した縷々は、少しだけ緊張が解けてホッと息をついた。

「紹介するわね。ここの店主の浅海結衣あさみゆい。案外優しい奴だから安心して良いわよ。何言っても良いし」

「はいよ。案外優しくて何言っても良さそうな浅海結衣だよ。でも年の話はそろそろ勘弁してほしいかな」

 朗らかに笑って見せる結衣に、縷々は慌てて会釈する。

「く、く……来々、縷々です……朝宮さんとは、同じクラスで……た、たいっ……大変良くしていただいておりますっ!」

 妙にかしこまった挨拶の縷々を見て、結衣は一瞬ポカンとした表情を見せたがすぐに声を上げて笑った。

「そうかいそうかい! あたしはてっきり逆かと思ったよ。露公は手がかかるからねぇ」

「ああああいえっ……そんな!! 縷々はいつも助けられておりまして……」

「……それは良かった。あいつ友達少ないからさ、これからも仲良くしてやってくれよ」

 友達、という言葉を聞いて、縷々は呆気にとられてしまう。

 友達、友達か。と噛み締めて、縷々は露子の方をチラリとだけ見た。

「余計なお世話よ」

 やや恥ずかしげに顔を背ける露子は、友達という言葉を否定しなかった。

 その無言の肯定がやたらと胸にじんときて、縷々は涙腺が刺激されたのを自覚する。

「と、友達……ですか……?」

「…………違うの?」

「ち、違いません! 嬉しいです! ありがとうございます……!」

 友達らしい友達なんて、ロクに出来た覚えがなかった。

 気がつけば真莉夢に目をつけられ、灰色の学校生活を淡々とこなしていく、ただ生きているだけの毎日だった。

 人には視えないものが視えて、何か”ズレ”のようなものを感じたまま、世の中との摩擦を適当に耐えるばかりだった。

 それが、なんだか”友達”という言葉だけで明るくなったように感じられる。

 それも露子は、縷々同様”視える”人間だ。

 同じ世界を、見ているような気がする。

「青春だねぇ」

「何よ、取り戻したいの?」

「ははは、もういらないよ。今の方が楽しいからね」

 カラッとそう答えて、結衣は再び縷々に視線を戻す。

「さあ、ゆっくりして行きな。試着だけでも構わないよ」

 友達と一緒に、こんなに気持ちの良い店主のいる綺麗なお店に来た。

 それだけで、もう縷々は救われてしまえそうな気がした。



***



「あの……本当に良かったんですか……?」

「はぁ? 何回聞くのよ。良いっつってんでしょ」

 紙袋を大事そうに抱える縷々に、露子はややつっけんどんに応える。

 紙袋の中に入っているのは、ドリィで売られていた新作のゴシックロリータワンピースだ。店主の結衣が自らデザインしたもので、知名度はないが露子が気に入っているワンピースの内の一つである。

 ドリィの衣装は決して安くはない。中には初心者向けで低価格なものもあるが、それでも一万前後くらいの値段はする。

 今回買った衣装は大体二万くらいで、とてもじゃないが縷々の予算ではどうにもならない代物だ。それを露子はポンと現金で支払い、そのまま縷々にプレゼントしたのである。

 実のところ、ゴーストハンター朝宮露子の収入は多い。大人顔負けの実力を持つ露子は、橘を経由して様々なクライアントから依頼が舞い込んでくる。月々の平均収入は、一般的な成人男性のソレを優に超えるのだ。大半は武器の修理や弾丸の補充、自分の衣装代ですぐに飛んでいくのだが、このくらいの出費はあまり問題がない。

「しかし、縷々には返せるものがなにも……」

「気にしなくていーわよ。こないだの借りもあるし」

 露子としては、呪いの家での件に関する謝罪の意味も強い。あの時、縷々は肉体的にはなんのダメージもなかったものの、強力な悪霊と直接触れ合ったことで受けた精神的な負荷が大きかった。

 霊が視えるとは言え、分類としては一般人にあたる縷々をああいった形で巻き込んでしまうことは露子のポリシーに反するのだ。

 もっとも、そういった大義名分を掲げて自分を言い聞かせてはいるが”友好の証”としての意味も相当な比重を持ってはいるのだが。

「ありがとう……ございます」

 紙袋をぎゅっと抱きしめて、縷々は何度目ともわからないお礼の言葉を告げた。


 縷々と露子は、ドリィを出た後は院須磨駅付近にある喫茶店へと向かった。

 ドリィで結衣と過ごしている内に丁度昼食時になったのもあったが、そもそも露子は縷々とゆっくり話をするために彼女を誘ったのだ。こちらが本来の目的とも言える。

 縷々は約二万のワンピースで気が動転していてほとんど食欲がわかず、モーニングメニューのサンドイッチとカフェラテだけですませた。その正面で、露子は上品にパスタを楽しんでいる。

「……アンタはさ、霊能力のこと、自分でどう思ってる?」

 パスタを食べ終わった後、ふと露子がそう問いかける。

「……」

 正直、縷々はすぐには答えられなかった。

 人には視えないものを視て、感じることを誇らしく思ったことはあまりない。しかしその上で、別に疎ましいとも思っていなかった。

 ただ、視えているチャンネルが人と違うだけだ。縷々にとって霊は当たり前にいるもので、大して特別なものでもない。

「……視えるだけ……です」

 ぽつりとそう答えて、縷々はなんとか言葉を続ける。

「朝宮さんみたいに……何か出来るわけでもないですし……。何かしたいとまでは……思っていない、です。ただ……」

「ただ?」

「かわいそう……とは、思います……。霊の、ことは……」

 縷々にとって、霊は悲しい存在だ。

 現世に残り、霊となってしまう魂は現世に対して大なり小なり未練を持つ。それは生前叶えられなかった願い、夢、理想。その上、間接的、或いは直接的に誰かに捻じ曲げられてしまった命も多い。

 縷々はそれを、悲しいと思う。

 生きている内に報われなければ、死んでからも報われない。

 ただそこに、”呪い”だけが残ってしまう。

「出来れば……もう死んだ人には、傷ついてほしく……ないです」

 そこに悪霊の類も含まれていることに、露子はなんとなく気がついた。

 霊を強く感じ取れる霊能者は、霊の心に過剰に寄り添ってしまう場合がある。縷々の、霊を感じ取る能力は恐らく露子よりも高い。であれば、呪いの家では露子以上に強く感じ取ってしまったのだろう。

 彼らの怨嗟を。

「死んだ人は……被害者ばっかりだと思います……」

 鉄橋にいた悪霊も、呪いの家にいた悪霊達も、みんな生前は被害者だ。

 全ての死者が被害者だとまでは、縷々も思わない。ただ、比率の問題なのだ。

 殺された霊。自ら死を選んでしまった霊。不慮の事故で死んでしまった霊。誰も、死ななければならない理由なんてなかった。

 霊を祓うことは、霊にとっては二度目の死だ。縷々はそれが、救い足り得るとは思えなかった。

 しかしだからと言って、そのままにしていれば救われるわけではない。

 どこまでいっても霊は未練で、呪いだ。

「朝宮さんは……どうして霊と戦えるんですか……?」

 ゴーストハンターである露子にとっては当たり前だった、”霊と戦う”という行為。それも視点が違えば、問わなければならないような疑問になってしまう。

「人を襲うから」

 露子はなんの躊躇もなく、即座にそう答える。

 死者を狩り、生者を守るのがゴーストハンターの使命だ。そこに、疑問は挟まない。挟んではならないと露子は決めていた。

「前にも言ったけど、熊と同じよ。人を襲うのなら、祓うしかないわ」

「……でも」

 おずおずと、しかしそれでも食い下がって、縷々はうつむいたまま言葉を紡ぐ。

「襲われたって仕方ない人も……い、います……」

 本音を言うと、あの日呪いの家で、真莉夢達を遠ざけるために身体を張ったことを少し後悔している。あんなにも軽率に踏み込もうとして、呪いに触れてしまうならそれは相応の報いだったのかも知れない。翌日以降、何も知らずにへらへら笑っている真莉夢達を見ていると、沸々と怒りがこみ上げてしまっていた。

「そ、それに……だ、誰かのせいで……霊になってしまったのなら……復讐は、果たされたって良いんじゃないかと、思ってしまいます」

 霊の未練がもし復讐だったなら、縷々はなるべく果たされるべきだと思ってしまう。

 生きた人間の悪意によって死んだ者には、報いを与える権利がある。

 それこそ、呪いの家の原因になった詐欺師はあの家族の霊によって殺されるべきだ、というのが縷々の本心だった。

 鉄橋の悪霊だって同じだ。彼女を弄んだ加害者には、報いを受ける理由がある。


 そしてきっと、この世には”報いを受けるべき生者”がごまんといる。


 因果応報が、絶対の摂理として存在していれば、どれだけ世の中が綺麗になるだろう。

 実際のところ、因果応報なんてのはただの理想に過ぎないのかも知れない。善い行いに悪い行いが還り、悪い行いに善い行いが還ってしまうことは往々にしてあり得る。結果論で因果応報に当てはめることはいくらでも出来るが、突き詰めれば最後に生者に還ってくるのは死だけだ。それを因果応報と言うのなら、生そのものを罪と見ることが出来てしまう。

 そうやって考え始めてしまうと、縷々は折角楽しかった気分が地獄の底まで落ちていってしまいそうに思えてくる。

「……そうかもね」

 露子は、縷々の言葉を否定はしない。

 償うべき人間は掃いて捨てる程いる。学校という小さな箱の中にさえうじゃうじゃいるのだ。世界中を見渡せば、そこは悪鬼羅刹の巣窟かも知れない。

「その上であたしは、守れる命は全て守るわ」

 それでも朝宮露子は、ハッキリとそう言い切った。

「死んで良い命はない」

 そう、信じたかった。

「……縷々には、そうは思えない、です……」

 死ぬべき命はある。消えるべき生者はいる。

 他人の幸福を吸えるだけ吸って生きる悪魔のような人間は、世の中にはいる。

 全ての生者を肯定することは、縷々には出来なかった。

「悪い人は……守らなくて、良いと思います……」

「言いたいことはわかるし、気持ちはわかる。あたしだって、こんな奴なんで生きてんのよって誰かに思ったことくらい、あるわよ」

「だったら……!」

「……でも、どんな人間にも生きる権利はある。何かを間違えても、更生して立ち直る権利があるハズよ。あたしはそれを、何者にも奪わせたくない。あたしの目の前ではね」

 朝宮露子は、あらゆる”生”を否定しない。したくない。

 生と死が同時に視える目を持って生まれた。縷々と同じで、他人と違うチャンネルで世界を視続けている。

 その中で、露子は生を尊ぶことを選んだ。

 露子が守るのはあくまで生者で、未来だ。例え当然の報いだとしても、生者が命を奪われるのを見過ごすわけにはいかない。

 生者が未来で、死者が過去なら、露子は未来を守る。

 露子は個人的な感情よりも、”合理”を取った。そうしなければ、きっと戦えない。

 合理を杖にしなければ立ち続けられない。生と死が同時に視える世界で戦うということは、露子にとってはそういうことだった。

 そして戦わないという選択肢は、露子の中にはない。

 視える者には、視えない者を守る責務が多かれ少なかれ存在すると露子は思う。

 合理を取り、責務を全うする。

 朝宮露子は、この生き方を選んだ。

「あたしにとっては、これがゴーストハンターとして生きることなの」

「縷々には……真似出来ませんね……」

 露子の覚悟と理想が、彼女の碧い瞳の中で燃えているのが見える。これほどの強い意志は、縷々の中にはなかった。

 彼女はどこまでも強い人だと縷々は思う。

 正しい信念で、答えの見えないものに正面からぶつかっている。意志を押し通して、生き方を貫こうとしている。

 流されながらやり過ごしてきた縷々には、とても出来ない生き方だ。

 視線を落とすと、露子にもらった紙袋が見える。

 彼女と近づいて、同じような衣装を着こなせば、少しは変われるんじゃないかと夢想した。だけど実際には、露子と縷々の間には埋め難い距離があった。

 それが悲しいと思ったし、悔しくて惨めだった。

 そんな縷々の様子を見かねてか、露子は真剣だった表情を崩して笑う。

「別に、無理して真似することなんかないわよ。アンタ絶対ゴーストハンター向いてないし」

 カラッとそう言って、露子は言葉を続ける。

「実はね、アンタにその意志があれば、あたしはゴーストハンターとしての道を指し示すことも考えてた」

 露子の言葉に、縷々は驚いて目を見開く。

「アンタの霊能力は、一般的な霊能者よりも遥かに高い……。だけど、アンタはやっぱり霊とはなるべくか関わるべきじゃないわ」

 高い霊能力を持つ人間は、その力をどれだけコントロール出来るかで大きく人生が変わる。

 視えるべきでないものを視て、感じるべきでないものを感じるということは大きな負担になる。霊能力が原因で、まともな生活を送れなかった霊能者もざらにいる。

 縷々は露子の問いに対して、視えるだけだと返した。露子はそれを、縷々がある程度自分の霊能力をコントロールしているのだと解釈した。少なくとも高すぎる霊能力に苛まれている人間は、自分の力を視えるだけだなんて思わない。

 やり過ごせるのなら、その方が良い。

 戦いに身を投じる必要はないし、力に伴う責務は露子の考えだ。縷々に力があるからと言って、果たさなければならない責務があるだなんて言うつもりはない。

 それに恐らく、来々縷々は霊と関わり続ければ傾いてしまう。

 死者に、死に寄り添い過ぎれば、生から離れていく。出来れば縷々には、そうなってほしくなかった。

「そうですね……。縷々も出来れば、霊とは戦いたくないです……」

 露子のようには生きられない。もし縷々に戦えるだけの身体能力があっても、生者のために死者を狩ることはきっと出来ない。誰だかわからない他人や、生きていてほしいと思えない人のために戦い続けられる程、縷々は強くなかった。

「だから、困った時はすぐあたしに連絡すんのよ!」

 力強くそう言って、露子はスマホを突き出す。画面には、QRコードが表示されていた。

「え……これって……?」

「連絡先よ。ほらさっさと撮りなさい」

「良いんですか!?」

「なんで疑問の余地があんのよ……」

 どうも縷々の距離の取り方が露子にはよくわからない。半ば呆れつつ、露子はいそいそとスマホを取り出す縷々を見つめた。

「ほんとはこういうの良くないんだけどね……アンタからの依頼なら金は取らないわよ、とりあえず学生の内は。だから、困ったことがあったらすぐに連絡しなさいよね」

「朝宮さん……!」

 縷々が完全に霊と無関係でいることは、恐らく難しいだろう。

 ならばそばにいれる間は、なるべく自分が守るべきだと露子は考えていた。

「いや、でもそんな……迷惑では……!?」

 露子がプロとして金銭を受け取りながら戦っていることは縷々にもわかっている。そんな人物に無償で助けてもらえる、というのはどうにもおこがましいと思えたし、単純に縷々は無償の善意にあまり慣れていなかった。

「……まあ、友達だしね」

 照れくさそうにそう言う露子がそう言うと、縷々はなんだかふわっと浮き上がるような感触を覚えた。それが妙に心地良くて、露子の言葉をそのまま受け止めたくなった。

 そうか、友達か。

 その言葉を噛み締めて、縷々は自然と笑みをこぼす。

「……る、縷々も……その、出来る限り……朝宮さんの、助けになりたい……です」

 何が出来るかわからないし、何も出来ないかも知れないけれど。

 口にだけはしておきたかった。

「そうね。そん時は頼むわ」

 そんな話をしている内に、二人分のショートケーキが運ばれてくる。頼んだ覚えのないケーキに縷々が目を丸くしていると、露子がニッと笑った。

「奢りよ。さ、食べましょ」

「……ありがとうございます」

 縷々は露子のようには生きられない。だけど、共に生きていくことは出来るハズだ。少なくとも露子が、それを拒むまでは。

 お互い、ようやく出来た”同じクラスの友達”。

 その日のショートケーキは、いつもより少し甘く感じた。


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