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ゴーストハンター朝宮露子 BLACK JUSTICE  作者: シクル


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第一話「邂逅」

ゴーストハンターシリーズに含まれますが、他シリーズは読まなくても大丈夫です!

ダーク寄りになると思います。


※いわゆる”いじめ”に関連する描写が含まれるため、苦手な方はご注意ください。

 ――――私、視えちゃうんです。

 来々縷々(くるくるる)は幼い頃から幽霊がも視える少女だった。

 彼女にとって霊はいつだって当たり前のように世の中にいる存在で、風や空気のようなものだった。

 大抵は危険なものではない。ただそこにいるだけの存在だ。話を出来る者もいたが、一言二言かわせれば運の良い方だった。だから友達になるのはすぐに諦めて、ただ存在るだけなんだと思うことにした。

 そんな風に、他人から見れば何もない虚空を見つめていた縷々は当然周囲に気味悪がられていた。おまけに生まれついての臆病さや内気さが災いして、社会に溶け込むのが本当に苦手だった。

 それは、高校に進学しても変わらない。

 ある朝、登校すると自分の席にクラスメイトが座り込んで友達と話し込んでいた。

 ああ、またか。と縷々はため息をつく。

 そのクラスメイトは縷々が登校してきたことに気づくと、わざとらしく笑いながら手を振る。

「ごめんね~来々さぁん、席借りてるから~」

「えっ、あ、はい……」

 自分の席で話せば良いものを、わざわざ縷々の席に座り込んで話しているのを縷々は知っている。

 周りで話している彼女の友人も、別に縷々の隣や前後の席の生徒ではない。

「あのっ……すみません、孔雀門くじゃくもんさん……席、返してもらえませんか……」

 ぼそぼそと呟くような声しか出せないのが悔しかった。

 彼女は、孔雀門真莉夢くじゃくもんまりむは薄ピンクのネイルのついた指で髪をかきわけながら縷々を嘲笑すする。

「エッアッアノッ……ごめんね~! ちょっと今大事な話してるから、もうしばらく貸しててくんない?」

 縷々の吃音気味な言葉をわざと真似してから、真莉夢はケラケラと笑ってそう言う。

 笑ってはいるが、目は有無を言わせない程強く縷々を射抜いている。強気な目元を、プロが施すような入念なメイクで更に大きく見せている。

 縷々はもう、何も言い返せなくなっていた。

「は、はい……その、ごゆっくり……」

 孔雀門真莉夢は完成された美少女だ。

 幼い頃から読者モデルとしてデビューし、現在はモデルの傍ら女優業もやり始めている。

 立ち上がれば縷々を見下ろせる程高い身長は、男子顔負けだ。スタイルも抜群に良い。とてもじゃないが縷々と同じ高校一年生とは思えない。

 よく手入れされた明るいウェーブがかった茶髪は腰まで伸び、ハーフアップにまとめていて上品な印象だ。もっとも、縷々がこの女を上品だと感じたことはただの一度もないが。

 みすぼらしい自分とは大違いだ。ふと顔を上げると、野暮ったいメガネの向こうの窓ガラスに映った自分があまりにも情けなくて泣きそうになる。

 生まれつき色素が薄く、真っ白な長い髪は人目を引くばかりだ。小学生と間違われそうな体型が、真莉夢のそばで厭になる程際立っている。

 紺のブレザーの制服が似合わない。逆に着られているみたいで嫌いだった。

「それでマネージャーがさ~」

 真莉夢は、立ちすくむ縷々を放置したまま話し始める。周囲のクラスメイトも、もう縷々のことなど気にも留めていない。

 ホームルームまではあと十分程ある。予鈴がなるまではどけてもらえないだろう。

 このままここで突っ立っているのも惨めなので、トイレかどこかで時間を潰そうとした――――その時だった。

「アンタの席そこだっけ?」

 いつの間にか教室に入ってきていた女子生徒が、縷々の隣まで歩いてくると、腕を組みふんぞり返るような姿勢で真莉夢へ声をかける。

「は?」

 その高圧的な態度に、真莉夢はわかりやすく顔をしかめる。

 そこにいた少女は、身長だけなら縷々よりも小さな少女だった。恐らく150cmにも満たないだろう。

 まず目に入るのは、外国人と見紛う程美しく長いブロンドヘアで、それをツーサイドアップにまとめていた。

 顔立ちは明らかに日本人離れしている。現代日本の美人として完成されている真莉夢とは、別ジャンルの美少女だろう。

 真莉夢に負けず劣らずの強気なあおい瞳が、ギロリと真莉夢を睨みつけていた。

「うるさいから自分の席で喋っててくんない? アンタの連れが突っ立ってるそこ、あたしの席なんだけど」

 そう言って少女が指差したのは、真莉夢が座っている席の前の席だ。慌てて、そこにいた生徒が離れていく。

「えぇ? 朝宮さんには関係なくなぁい?」

 真莉夢は露骨に不機嫌そうにそう返したが、少女は引かない。それどころか、余計に顔をしかめて真莉夢へ詰め寄った。

「うるせえからどっかいけっつってんのよ。それともあたしがアンタの席まで連れてってあげようか?」

 そう言って凄む少女が、妙に恐ろしくて真莉夢はたじろぐ。

 すると、そばにいた友人がひそひそと耳打ちする。

「真莉夢、朝宮って、中学の時同級生を半殺しにしたって噂の……」

「はぁ!? 頭おかしいんじゃないの!?」

 そんな話を聞いて、真莉夢は驚いて席から立ち上がった。

「なる? 半殺し。まあ、やったことないけど」

 少女と真莉夢の背丈は、大人と子供程も違う。しかし少女は、真莉夢を見上げながらも強気な態度をまるで崩さなかった。余談だが、少女は誰も半殺しになどしていない。妙な噂に尾ひれがついているだけだ。

 そんなことは知らない真莉夢は、一瞬引きつったような表情を見せたがすぐに崩して笑顔を見せる。

「……もう、冗談じゃーん! またね! 朝宮さん、来々さん」

 甲高い声で笑って、真莉夢は自分の席へと戻っていく。それを見送った後、少女は何も言わずに自分の席へ座った。

 縷々はしばらくそれを、呆然と見つめていた。

 そしてやがてハッとなり、自分の席に座る。それから数秒だけ考え込み、縷々は思い切って少女の背中に声をかける。

「あのっ……ありがとう、ございます……」

「うん? ああ、別に気にしなくて良いけど」

 少しだけ振り返り、素っ気なく答える少女が照れているように見えて、縷々は笑みをこぼす。

「名前、聞いても良いですか?」

 縷々が問うと、少女はあっさりとした表情で答える。

「あたしは朝宮露子あさみやつゆこ。初日に自己紹介したでしょ、忘れてんじゃないわよ」

 少女の名は、朝宮露子。

 彼女の秘密を、縷々はまだ知らない。



***



 じわりと。広がっていく血溜まりを見た。

 無機質な鉄製の階段に血溜まりが出来て、ゆっくりと下へ下へ垂れていく。

 それをしばし見つめてから、哲人てつとは青ざめた。

「そ、そんなつもりじゃなかったんだ! じ、じじじ、事故、だろッ……これはあああッ!」

 悲鳴じみた声を上げながら、哲人は必死でその場から逃げ出す。

 線の細い、綺麗な男だった。

 しかし自慢の顔は涙と鼻水で滅茶苦茶になっており、とても見られたものではない。

 深夜の道路を走る車の音を耳にしながら、哲人は鉄橋を必死で駆け抜ける。

 階段を降りて歩道に出ると、すぐに街頭が哲人を照らす。それがまるでサーチライトのようで、哲人は思わず小さな悲鳴を上げた。


 事件が起きたのは今から数分前。哲人が一人の女性を突き飛ばし、結果的に鉄橋の階段を転がり落ちて死亡させてしまった。

 ここ、這輪戸町はわどちょうのホストクラブに勤めている哲人は数年前から一人の客にまとわりつかれ続けてうんざりしていた。

(結婚するなんてッ……本気で言ってるわけねえだろ! こっちゃ商売だぞ!? 耳障りの良い言葉並べんのが仕事だろうがよ!)

 きっかけは哲人の軽率な一言から始まっている。哲人の言葉を何年も信じ続けたその女は、ホストクラブに通い詰め、哲人にずっとまとわりついていた。

 若い、綺麗な女だった。

 だが少し精神的に弱い部分があり、哲人に縋ろうとしていたのはすぐにわかった。

 最初は結婚するのもアリかと思っていた哲人だったが、女がほとんど毎日のように店に来るようになってからすぐにやめた。

 そして今日、癇癪を起こした女に詰め寄られ、休みの日に繁華街で捕まった時、哲人は寒気がするような思いだった。

 そのまま口論になり、振り切って家に帰ろうとする哲人を女が追いかけ、あの鉄橋の上で口論になり、事件は起こってしまった。

(あんなメンヘラ、冗談じゃねえよ! なんで俺が、あんな女うっかり殺して犯罪者になんなきゃいけねえんだよ!!!)

 目撃者は周囲にいなかった。繁華街から離れた位置だったのが、哲人にとっては幸いだった。

 しきりに背後を確認しながら、哲人は自宅のアパートまで逃げ込む。

 シャツが汗で身体にぴったりと張り付いて気色が悪い。全身厭な汗にまみれていてシャワーを浴びたかったが、そんな作業をする気持ちの余裕はまるでなかった。

 電気をつけて念入りに戸締まりをし、哲人は部屋に駆け込み、ベッドに倒れ込む。

 そして歯をガチガチと噛み合わせながら震えた。

(こ、殺した……俺が殺した……!? どうすりゃいい!? 逃げるか!? どこまで!? 仕事は!? 俺ってもう犯罪者!? 一生刑務所!?)

 哲人には法律に関する知識はない。偶然でも人を殺せば、警察に捕まってそのまま無期懲役、などと飛躍した発想になる。現場から逃走したことで罪が重くなったことなど、気付きもしなかった。

 このままここにいればいずれ警察が来るだろう。あの女の関係者を調べて回れば、すぐに哲人に行き着く。

「……え?」

 そんなことを考えていると、部屋の電気が突然消える。

 電球は最近替えたばかりだ。停電かと思ったが、とにかく冷静ではいられない。暗闇は、不安な心に溶け込んで肥大化する。暗い心に染み込んでくるような闇が、今の哲人には恐ろしかった。

 停電なら、今は何をしても無駄だ。そう考えて、哲人はベッドの中に潜り込む。ひとまずこのまま眠って、明日また考えよう。

 しかし次の瞬間、ひんやりとした何かが哲人の足に触れた。

「――ッ!?」

 すぐにわかる。それは手の感触だ。

 氷のように冷えた手が、哲人の足を掴んだのだ。

「わああああッ!?」

 半狂乱状態に陥り、哲人はベッドから転がり落ちる。そのまま何も考えずに玄関へ向かおうとすると、暗闇の中に女の人影が見える。

 長い黒髪の、青白い顔の女だ。こんな闇の中で、どうしてこんなにくっきり見えてしまうのだろうか。

 頭から血を流すその女は、ギョロリとした目で哲人を凝視する。そして瞬きのような一瞬で、哲人のそばまで距離を詰めてきた。

「ああああああああああッ!?」

 あの女だ。

 あの女が化けて出た。

 本能的にそう感じて、哲人は逃げ出す。玄関以外に出口はない。唯一、窓を除けば。

「うわああああああッ!」

 絶叫しながら、哲人は窓へ飛び込む。ここは二階だ。そのまま落ちても即死はない。

 窓ガラスを突き破る哲人だったが、外へ落ちるよりも何者かの両手が哲人の首を掴む方が早い。

 細長く青白い手は、どこか蜘蛛の脚を思わせる。

 ソレが哲人の首を掴んで持ち上げていた。

 宙ぶらりんの状態で恐る恐る見上げると、壁に張り付いたあの女が哲人を見下ろしていた。

「あ……あぁ……ッ」

 生前の面影を残しながらも、その形相はこの世のモノではない。

 乱れた黒髪から血を流しつつ、女は魚のような目で哲人を見ていた。

「あッ……あああああああああッッ!!!」


 数時間後、アパートの外で頭部から血を流し、即死した哲人の遺体が発見された。




***



 這輪戸町はわどちょう。人口100万人程の地方都市、赤霧市あかむしにあるそれなりに栄えた町だ。赤霧市を両断するように流れる美須賀川みすかがわの西側にあるその町は、赤霧市の中でも栄えている部類になる。

 駅前は人通りが多く、ほとんど絶えることはない。特に夕方ともなれば、退勤と下校でごった返す。

 これで都会の喧騒よりも静かだと言うのだから、都会には住めないな、と……朝宮露子は嘆息する。

 駅前のベンチに座り込み、朝宮露子は駅前の売店で買った饅頭を口にする。

 ここでしか変えないハート型の饅頭は、通称”ラヴまん”と呼ばれるものだ。店主が一つ一つ丹精こめて作ったこの饅頭は、数量限定で常に買えるわけではない。一時期は全く店頭に置いていなかった時期があり、その原因が特定の人物によるものという妙な噂も経っていた。

 おいしいことはおいしいが、露子からすればそれなり、と言ったところか。少し目立つ形と、よそより少し良い味、加えて数量限定というプレミアが、ややローカルではあるもののSNSで火がついていたのだ。話題が落ち着けば、夕方でも買える。大体ハート型がなんだというのか。

「……まあ、かわいいは、かわいいか……」

 精巧に作られたハート型は、やはり手作りならではか。手作りによる僅かなブレは、ミロのヴィーナス的な美しさを感じなくもない。

「かわいいおやつだね。一つもらえるかい?」

 不意に、反対側のベンチに座っている男がそんなことをのたまう。紺のジャケットにジーンズという、ラフな出で立ちの男だ。洒落っ気のある短いパーマヘアが、甘いマスクを飾っている。

 露子は背中合わせのまま、小さく鼻を鳴らした。

「まだあったわよ。自分で買ってきなさいよ」

 露子の手元には、まだ手つかずのラヴまんが箱に入った状態で四つある。それでも、くれてやるのは癪だった。

「つれないねぇ。俺が饅頭大好きなの、知ってて言ってるね」

「あらそう。今知ったわ。覚えとく」

 あしらうように露子が答えると、男は薄く笑った。

「それで今日は? さっさと用件言いなさいよね」

「市から依頼だ」

 男がそう言うと、露子は表情を引き締める。

「もう何人か犠牲者が出てる。被害者は全員男性、若い男ばかり狙われている」

「……そう。受けるわ」

「君の学校から近い。後で位置情報を送ろう」

「今送りなさいよ……」

 苛立ち気味にそう言って、露子は深いため息をついた。

「橘」

「なんだい?」

 短くそう呼ばれ、男は……橘藤次たちばなとうじは軽い調子で問い返す。

「何度も言ってるけど、こんなやり取りスマホで終わらせなさいよね。一々呼びつけんの、アンタの悪い癖よ」

 不機嫌そうに露子が言うと、橘はクスクスと笑う。

「そうはいかない。君の様子をちゃんと直接見ておくよう、お父上から言われている。前にも言っただろ」

「心配いらないっつってんの。パパにもそう言っといて」

「はいはい。それに、俺が直接話をしたいのは、何もお父上の言いつけだけじゃないよ」

「……何よ?」

 橘はややもったいぶってから、ニヤリと笑みを浮かべて言う。

「オンラインじゃ風情がない。こういうやり取りは、こうして直接やってこそ、だろ?」

 今日何度目かもわからないため息をついて、露子は付き合いきれない、と言わんばかりに肩をすくめる。

 意地を張るのも馬鹿馬鹿しくなり、露子は残りのラヴまんの入った箱を橘の方へ放ると立ち上がった。

「ありがとう。大事に食べるよ」

 芝居がかった橘の言葉に取り合わず、露子は背を向けたまま手を振った。



***



 二階の自室で宿題を片付けていると、下の居間から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 丁度お笑い番組をやっている時間だろう。義父と義母、その実子の杏奈がケタケタ笑っている姿が容易に想像出来た。

「……はぁ」

 縷々の両親は、縷々が幼い頃に事故で命を落としている。それ以降は親戚の家に預けられる形でこの這輪戸町へ引っ越すこととなった。

 義父と義母は表面上は優しくしてくれるが、やはり実子である杏奈との扱いにはそれなりに差がある。あまり露骨には見せないが、子供目線ではなんとなくわかる程度だ。

 縷々があまり積極的にコミュニケーションを取らないこともあって、仲は良くも悪くもない。杏奈も縷々に対してはどっちつかずな態度を取っている。

 こうして縷々が部屋にこもれば、居間では”家族水入らず”の団欒が始まる。縷々はこの家ではどこまでもお客様だった。

 縷々の毎日は、いつもこんな調子だ。

 学校へ行けば真莉夢に絡まれ、家に帰るとなんとなく疎外感がある。なんだかどこにも居場所がないような気がして、たまに泣きたくなる。

(……わかってはいるんです。もっと自分で、変わらないといけないこと)

 ぼんやり思いつつ、縷々は終わった宿題を片付けてから姿見の前に立つ。

 背が低いのに猫背なせいで余計縮こまって見える。部屋には自分しかいないのに、自信なさげにうつむく姿はうんざりするほど情けない。

 長い銀髪に覆われた色白な肌に、独特な赤い虹彩。中学時代、縷々がいるからと学園祭の出し物がお化け屋敷になった時は、学園祭が終わるまでの間数日おきに吐くくらいには最悪だった。

 カラコンや染髪も考えたことはあるが、急に見た目を変えたことで周囲に絡まれるのが煩わしくて結局何もしていない。

 本当は、変えるのが怖いだけなのかも知れなかった。



 その日は”また”、寝付きの悪い夜だった。

 市販の睡眠薬はもうあまり効かない。本当は病院で診てもらいたかったが、義両親と関わりを避けたくて中々言い出せない。

 そして縷々には、オーバードーズを試す勇気もなかった。

 市販薬を過剰摂取することで一時的に快楽を得る手段だが、後が怖くて手が出せなかった。

 薬で死んだ霊の末路を、縷々は見たことがあったからだ。

 生前の苦しみを背負ったまま、尚も悶え続けるあの霊を見た時、縷々はなんとなくその霊の事情を理解出来た。

 縷々にとっては珍しいことではない。霊によっては、ある程度近づいただけでその感情や死因がなんとなくわかる。

 こんな死に方はしたくない。その時そう思ったおかげで、薬には慎重になっていた。

 縷々はベッドから出ると、適当に身支度をすませる。眠れない夜は、眠たくなるまで外を散歩すれば良い。

 夜中に子供が出歩く危険性は一応頭ではわかっていたが、正直どうにかするならどうにでもしてくれ、という気分だった。

 眠れない夜は、どうも投げやりになる。

 特に足音も殺さず、縷々は堂々と部屋を出て玄関へ向かう。

 鍵も適当に回す。

 どうせ音を聞かれたって、誰も止めには来ないのだ。

 外に出ると、夜のひんやりした空気に包まれる。開放感に包まれて、この瞬間はいつも心地が良い。あとは眠くなるまで歩くだけだ。

 大抵は近くの公園まで歩けば少し眠くなるのだが、今日はそうもいかなかった。

 諦めて徹夜しても構わないが、流石に授業をまともに受けられないのは好ましくない。あんな場所、授業すらまともに受けられないのなら行くだけ無駄な場所だ。通っている意味があると思い込むためにも、勉学だけはまじめにやりたかった。

 そうして歩いていると、ふと異様な気配を感じて立ち止まる。

 住宅街の外の方だ。

 霊の気配をはっきりと感じる。かなり淀んだ印象を受けるこの感じは、悪霊のものだと断言して良い。

 普段ならここですぐに引き返すのだが、縷々は霊力の中にあるものを感じ取って躊躇する。

(……なんだか、悲しそう)

 怒りや憎悪に混じって、一際強く感じられるのは霊の嘆きだ。それもこれは、誰かに殺された霊の嘆きだ。

 思わず、縷々は霊力を感じる方向へ歩を進めていた。

 住宅街を離れて表通りへ出ると、鉄橋が見えてくる。見上げると、一人の女が目の前の男をジッと見つめていた。

 一目でわかる。女の方は霊だ。

 長い黒髪は激しく乱れており、彼女からはしきりに苦痛と怨念、悲しみの感情が縷々の中に流れてくる。

 それを少しだけ受け止めて、そっと外へ流していく。こうしなければ、縷々の中に溜まってしまうからだ。

 口では説明しにくいが、感覚的にこういうコントロールを縷々は学んでいた。

 流れ込んでくる他人の霊力を、そっと外へ流して霧散させるのだ。

 女と対峙する男は、ひどく怯えているようだった。

(引き返した方が良い)

 頭ではわかっていた。

 それでも縷々は、事の顛末を見届けたくて近づいていく。

 なんとなく、縷々は自分が襲われないという確信があった。

 何故なら彼女が見境なく誰かを襲おうとしているわけではないとわかっていたからだ。

「や、やめてくれ……なんなんだよ!」

 男は見てくれの良い、ホスト風の男だった。

「お、お前見たことあるぞ……! 哲人に付きまとってたメンヘラ女だろ! あ、あああああっちいけ! お、おれッ……おおおお俺は関係ッ……ないだろ!?」

 男の態度を見て、縷々は小さくため息をつく。

(……彼女は、被害者なのに)

 無理はない。これは縷々にしかわからない。

 彼女の記憶が、縷々にはなんとなく見えてくる。

 哲人と言う男は、ほとんど結婚詐欺紛いのことをやっていた。

 何度も結婚をちらつかせて何度も店に来させ、借金もしていた。肉体関係を強要した回数も一度や二度ではない。

(恨まれて死んで当然の人だったんですね。そして殺しても、彼女の魂は静まらなかった)

 彼女はきっと、この世そのものを恨み始めている。今はまだ、哲人に似た人物を襲うだけかも知れないが、きっといつかこの世の全てに襲いかかるだろう。

(……縷々に出来ることはありません。帰りましょう)

 それは、助けないという選択でもあった。

 良心の呵責はあったが、必要以上に霊を理解してしまうせいか霊の方に感情移入してしまう。

「あッ……ああああああッ!?」

 男の悲鳴が、縷々の背中に飛び散る。

 なんだか返り血みたいで気持ちが悪い。

 べっとりと張り付いて厭だった。

「…………っ!」

 どうせ何も出来はしない。

 そう思いながらも振り向いた――――その瞬間だった。

「えっ……?」

 縷々の横を、黒と金の閃光が駆け抜ける。

 それは……少女だった。闇に馴染まない美しい金髪が、月明かりを反射させながら舞う。

 男を突き飛ばし、少女は女の霊に飛びかかる。

 閃くは銀の刃。

 手に持っているのは、ナイフだった。

「さっさと逃げて。そして今日見たことは忘れなさい。良いわね」

 少女の言葉に、男はわけもわからないまま走り去っていく。

 漆黒のゴシックロリータが夜風に揺れる。フリルに包まれた袖の中から伸びる細くしなやかな手が、無骨なナイフを握りしめていた。

「朝宮……さん?」

 そこに立っていたのは縷々のクラスメイト、朝宮露子だった。

 露子は、縷々の方へは振り向かなかった。

 眼前に佇む悪霊から、一切目をそらさない。

(なんで……!? 朝宮さんが……!?)

 ナイフだけでも驚いたが、更に驚かされたのは腰に装着されたホルスターだ。あそこに収められているのは、間違いなく拳銃。それも左右に二丁、異様に長いマガジンが装填されている。おまけに後ろにも一丁、銀色の輝きを放つ大口径の拳銃が装備されていた。

 露子の装備に縷々が驚いていると、不意に悪霊が動きを見せる。

「アッ……ァァァ……」

 形容するなら、ギザギザした音、だろうか。

 声ではなく、ただ喉を鳴らすような音をさせながら、女はその場で四つん這いになる。

 すると、その両手両足が厭な音を立てながら細長く変化していく。その姿は、どこかアシダカグモを連想させる。

 口元から凶悪な牙が覗く。

 女の額が血を吹き出し、六つの目が姿を表した。

「ひっ……」

 その異様かつ奇怪な姿に、縷々は思わず目をそらしそうになる。

 それでも、縷々はこの光景を目に焼き付けていなければならないような気がした。

 彼女の想いを、縷々には受け止める義務があるような気がしていた。

「アンタもさっさと逃げなさい。邪魔よ」

 振り向かずにそう言って、露子は女の――悪霊の方へ駆けていく。

 鋭く煌めく銀の閃光が、悪霊目掛けて何度も繰り出された。

 しかし悪霊の動きは思ったよりも素早い。四つん這いのまま身をかわし、鉄橋の柵に張り付きながら露子のナイフを回避していく。

(銃を使わない……?)

 露子の背を見つめながら、縷々は訝しむ。

 ナイフで近接戦を行うより、銃を使った方が素早く仕留められるハズだ。

 そうこうしている内に、悪霊が露子へ組み付いた。地べたに仰向けに倒された露子は、悪霊の両手両足で拘束されてもがいている。

「朝宮さん!」

 慌てて駆け寄る縷々だったが、近づいたことで露子の表情に気がつく。

 この状況でも、まるで焦っている様子がないのだ。

「ァァァァッ!」

 悪霊が、牙を剥く。

 唾液を撒き散らしながら、必死に何かを訴えるように奇声を上げた。

 その悲痛な嘆きに、縷々はただ胸を痛めることしか出来なかった。

 ただ純粋な想いで、必死に誰かを愛した女の末路がこれなのか。

 やり方をどこかで間違えたのかも知れない。そもそも選択を間違えていたのかも知れない。

 しかしこの惨状は、あんまりだった。

「……大丈夫よ。アンタは、あたしが祓う」

 その想いを受け取ったのか、露子は静かに告げる。

「ッ……ッ!?」

 そして次の瞬間、悪霊の腹部にはナイフが突き刺さっていた。

「す、すごい……!」

 露子はこの拘束された状態で、手首のスナップだけでナイフを投擲して見せたのだ。そして的確に悪霊の腹部を狙い、突き刺した。

 一朝一夕で出来る芸当ではない。ナイフ程の重量の物を手首の力だけで狙った場所に投擲することは、常人には不可能だ。

 ここで縷々はようやく理解した。銃は、使う必要がなかったのだ。ナイフだけで倒せるのなら、弾丸を使う必要は全くない。

「ギッ……ィ……」

 苦痛に、悪霊が悶絶する。

 露子は即座に緩んだ拘束から脱出すると、悪霊の腹部からナイフを抜き取る。

 それとほぼ同時に、悪霊が大口を開けて露子へ再び向かっていく。

 だが噛みつかれる寸前――――露子は悪霊の口へ思い切りナイフを突き刺した。

 鋭いナイフが悪霊の口の中を貫通し、後頭部から突き抜けた。

 その一撃がトドメとなる。

 ナイフを通して露子の霊力を流し込まれた悪霊は、次第に雲散霧消していく。

 これが、悪霊に対する除霊なのだろうか。

(だとしたら……あまりにもっ……!)

 苦痛が大き過ぎた。

 消えゆく悪霊を見送るように見つめ続ける。彼女が完全に消えてからも、縷々はその場に立ち尽くしていた。

「ふぅ……」

 ナイフを胸元に提げられたホルダーへ収め、露子は服についた汚れを両手で払いながら態勢を立て直す。そして、ゆっくりと縷々へ向き直った。

「……なんで逃げなかったワケ? 視えてたんでしょ?」

 その問いには、責めるニュアンスが多分に含まれていた。しかしその一方で、純粋な疑問をぶつけているようにも感じられる。

「み、見届けたいと……思い、ました……」

 縷々の答えに、露子は眉を潜める。

「き、き……聞いても、いいですか……?」

 縷々の問いに、露子は言葉では応えようとしなかった。ただ黙って、次の言葉を促すように縷々を見ている。

 その反応を数秒かけて飲み込んで、縷々は言葉を紡ぐ。

「あ、あの人は……かわいそうな、人でした……」

「そうね」

 露子の答えは、ほとんど即答だった。まるでその先の言葉を見透かしているかのように、露子は冷えた目を縷々に向ける。

 碧い瞳が、だから何だと冷徹に問い直す。

 それにたじろいで、縷々はすぐには言い返せなかった。

「だけどね、だからと言って祓わない理由にはならない。これがあたしの仕事で、使命だから」

 言い残して、露子は歩き始める。立ちすくんだままの縷々とすれ違っていく。

「今日見たことは忘れた方が良いわ。アンタは霊力が強いから、霊とはなるべく関わらないで。危険よ」

 静かに忠告し、露子は去っていく。

 コンコンと小さな足音がして、露子は鉄橋の階段を降りていった。

「ま、待ってください!」

 その背中を、縷々は必死で呼び止める。

 普段出すことのない大声に、喉がひっくり返るようだった。

 肺の中の空気が、なくなったみたいに感じる。

「あ、朝宮っ……さんは……何故……こんなことを……?」

 その問いに、露子は静かに振り向く。

 なびく金髪に、縷々はわずかに目を奪われた。

「あたしはゴーストハンター。死者を狩り、生者を守る……それがゴーストハンター、朝宮露子の使命よ」

 そう言い切って、露子は今度こそ立ち去っていく。


 これが来々縷々と、ゴーストハンター朝宮露子の出会いだった。

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