矛盾サキュバスの学校生活
わたしが元々男性であったのを思い出したのは、オスの白い精を口に含んだ瞬間のことだった。
追体験するかのように流れ込んでくる誰かの記憶。
そこは一面鮮やかな無色の世界だった。
金属でできたアリが人間を乗せ、すごい速さで走り回っている。
石と金属、ガラスでできた柱は、この世界の木なのだろうか。
樹齢何百、何千とありそうなほど高く大きい。
赤と青色に光る表札、黄色いタイルで舗装されたツルツルな道、空には見たことのない翼を持つ、灰色のムササビが飛び立っていた。
絶えず鳴りやまない喧騒。
突き動かされる焦燥感。
わたしは咳き込むようにオスの精を全て吐き出してしまう。
それを含んだ瞬間、自分でもよく分からない怖気が虫のように身体中を駆け上ってきたから。
指で救って口に含もうにも、喉が逆流を起こして身体中が拒否反応を起こしてくる。
それが今世、サキュバスとして生まれ変わったわたしが食事を取れなくなった瞬間だった。
* * *
わたしには前世の記憶がある。
記憶があるといっても、誰かの記憶媒体を持っている感じに近い。
自分自身がそうであったと言われても、そうなんですか? と疑う程度には実感がない。
ただそれでもひとつ言えることはある。
前世のわたしは相当なダメ人間だったようである。
肥満気味で、無精ひげを剃ることも無く、家にいるどう身長、老齢の男性と女性からはごく潰しとして扱われる。
現実にいる女子を性的な目で眺め、眺めるだけ眺めて夜になればひとり自分のことを慰める日々。
人間いつ死ぬか分からない理論を引っ張りだした挙句、過去の自分が今まで貯めてきた貯金を全て散財。
珍しいものがあれば何でも飛びつき、仕事をしたくないの一辺倒。
相当三大欲求に忠実だったようだ。
そのせいか、記憶を少し引っ張ってくるだけでも、サキュバスなら涎を垂らして飛び出す有益な情報の数々が流れ込んでくる。
画面の奥にいる小さい子には欲情するのに、現実の小さい子は性格怖いから手を出せないとか相当なヘタレみたいだ。
そのくせ、画面の奥にいるすべてが平たい女の子に罵倒されるのが大好きと。
本当にどうしようもないし、前世の自分がこうであったなどと到底思いたくもない。
サキュバスに食事ともおやつとも捉えられず、そのままただのおもちゃとして死んでいくのが目に見える。
それでもこれが、自分とは無関係な誰かの体験ではなく、前世と認めざる負えない。
仮に、もしも仮に、これが自分とは無関係な人物の記憶ならば、わたしはオスの精を摂ることができると思う。
けれど摂ろうにも拒否反応を起こし、そのたびに前世の記憶っぽいのがフラッシュバックし、意味も無く嫌悪感まで湧き出てくる。
オスに対して発情することがなくなり、むしろ同族のサキュバスに少しドキッと心を動かしてしまう。
恐らくこれが、このどうしようもない男の生まれ変わりがわたしなのだという証左なのだろう。
なんの因果か、自分が毎度お世話になっているサキュバスに生まれ変わっているのはもう不運の一言としか言えないけど。
「起きろぉ!」
耳をつんざくその言葉でわたしは目を覚ます。
眠り眼を擦りながら上半身を上げると、そのまま天井に向かってググっと腕を伸ばす。
わたしを起こした正体は机をバンバンと叩きながら続けてくる。
「もう帰る時間だぞ!」
オレンジショートヘアーが特徴的な、黒い外套を着た瑞々しい人間の少女。
ベル・ライカは元気溌剌な様子で両腕を振り上げている。
いつも通り元気な様子で何よりだ。
「ベル? もう終わったの?」
「終わったの? じゃないよ! もうとっくに放課後だよ!」
時は短し、ぱっと消える火花のよう。……なんて。
わたしは帰りの支度をしながら、これまでのことを振り返っていた。
初めて人間との邂逅を果たしてから半年後、わたしは人間の通う学園に通うこととなった。
わたしが通っているこの学園の名は、セイクリッド・コメット学園。
やがて騎士や冒険者を目指す者、商人や貴族がある程度身を守れるようにと、学びを受けに来る校舎だ。
他にも物書きや簡単な計算、貴族は庶民を、庶民は貴族の生活などを教わっている。
そんな学校で、わたしが席を置いているのは、この学園の魔法学科なのである。
サキュバスとして生まれたわたしは、村で暮らしているうちに人間の矛盾が気になった。
どうして、人間ってこんなに歪で欠陥だらけな生命体をしているんだろう、って。
寿命を延ばすために、わざわざ危険地帯に飛び込んで生命を危険に晒す。
子どもは大人になりたくて、大人は子どもになりたがる。
心や言葉では道徳を口にしている割に、死ぬ直前は生物の本能である誰かを身代わりにするという選択肢が浮かび上がる。
生きたいと意気込んでいるのに、死ぬ直前は誰かに謝罪と感謝を述べる。
栄養をひとつの物から取ることができず、多くの物を摂取する必要がある。
悪魔を滅ぼすことのできる強い種族なのに、生物的に考えれば弱小と言ってもいい。
生物の本質は繁殖なのに、女性はすぐに死ぬ。
赤ん坊は無力。
おまけに力の強い相手とかで種を強くするのではなく、一個人にあるよく分からない物差しで相手を決める。
何者でも良いから世界に何かを残したいと考える、その強欲な承認欲求。
数え上げればキリがない矛盾の数々。
七つの大罪こそ生物の本質なのにこれをよしとせず、節制やら質素やらを美徳とする。
それがサキュバスなのに、オスの精を摂取することのできない性を抱えたわたしと重なって。
もっと人間のことを知りたいと感じたのである。