第五話 グラスと、日本と、日本人
一行は森に戻り『スイタ』を目指した。曰く森以外を通るのは危険を伴うとのことだった。
そして歩くこと小1時間。
「あ、あれです」
ミヤビが指さす先に門とその前に立つ門番が二人いる。ここが『スイタ』の町ということだろう。
片方の門番がこちらに気が付き、ニコリとほほ笑んだ。
「お帰りなさいませ。成果はどうでしたか?」
「残念ながら無しだ。……ところでコイツも町に入れたいんだが大丈夫だろうか?」
「それはもちろん! お二人のお連れ様なら!」
マイの言葉で門が開かれる。
「じゃあ行きましょうか、アキトさん」
「は、はい」
秋人はまだ詳しいことは何も聞かされていなかった。
全てはこの『スイタ』の町で教えてくれるという。今の秋人にはその言葉を信じるしかなかった。
『スイタ』の町――というよりは本当に集落ぐらいの広さだった。木や石造りの家がおよそ10棟ほど建っているだけで、それほどにぎわいがあるわけではない。
その暮らしぶりは少なくともニューヨーク、ましてや日本とは似ても似つかない。小さな土地に田んぼや水車がある。モンスターではない本当の牛を飼っている家もあった。放し飼いのニワトリが一羽秋人の前を横切っていく。
町人たちはミヤビやマイに挨拶する一方、秋人のことはジロジロと物珍しそうに眺めていた。が、物珍しいのは秋人も同じだった。
彼らの顔立ちはアジア人というよりヨーロッパ的に思えた。その暮らしぶりも含めてまるで中世ヨーロッパの世界に紛れ込んだようだ。
しかし町人の話す言葉はどれも日本語なのだ。
昔、日本に住んでいるときに見た洋画の吹き替えのような違和感を覚える。
やがて町の最奥にある家の前でミヤビとマイは歩みを止めた。その家は一目見ただけで他よりも豪華な装飾がなされていた。ドアの前には屈強そうな男が一人立っていた。
彼はミヤビとマイの姿を認めると頭を下げた。
「ミヤビ様。どういったご用件でしょうか?」
「オオバ様はおられるかしら?」
「少々お待ちください」
男は一度家の中に引っ込むと、すぐにもう一度出てきた。
「どうぞお入りください」
ミヤビは何も言わず頷くと、スルスルと中に入る。マイもだ。秋人はとにかく二人に従った。
屋敷の中でしわがれた声が三人にかかる。
「よく来てくださって。どうぞおかけになって」
声の主は老婆だった。その老婆は簡素な椅子にまるで置物のように座っていた。その前に置かれたおそらく客人用の椅子の方が随分と豪華だった。
しかしミヤビは座る前に逸る気持ちを抑えるように老婆に話しかけた。
「オオバ様。突然の来訪申し訳ございません。今日はオオバ様に確認したいことがあります」
「ホウホウ。なんでしょう。この老体に分かることですかな?」
ミヤビは秋人の方を向くと、彼をオオバと呼ばれた老婆の前に立たせた。秋人もそれに無理に逆らわなかった。
「……彼は?」
「……おそらくニホン人様ではないしょうか」
「まさかっ……!」
オオバはゆっくりと手を秋人に伸ばす。
「お、おぬし……もうちょっと近づいてくれんか?」
「は、はい」
オオバのしわくちゃの手が秋人の顔に触れる。そして優しく撫でまわす。その眼光が穏やかながら信じられないものでも見るようだった。
「似ている。確かに似ている! おぬし、本当に二ホン人なのか?」
戸惑いながらも本当のことを言うしかなかった。
「そうですね。日本人です」
「こ、こんなことが……」
オオバの指が震え始める。
「まさか……! ミヤビ様、オオバ様、本当にこの男が日本人とでもいうのですか!」
「それをオオバ様に確かめてほしいのです。かつてニホン人様お会いしたことがあるオオバ様に!」
「……確かなことは言えん。じゃが、私の知るニホン人様の特徴によく似ておる」
瞬間、ミヤビが秋人に膝をついた。
「アカザワ=アキト様。よろしければ私のお願いを聞き入れていただけないでしょうか」
「お願い?」
「はい。ニホン人様であるアキト様には、私シラカワ=ミヤビとタケダ=マイと共に【デバイス】を集めて頂きたいのです」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
流石に秋人も声を荒げた。
「僕には何がなんだか……。お願いだから説明をしてくれ! ここはどこなんだ? あのセッツ――いや摂津駅はどういうことなんだ? どうしてモンスターなんてものがいるんだ? 君はどうして火を自由に操ることができるんだ?」
「……アキト様はおそらく『チキュウ』から来たばかりなんですよね」
「地球から来たばかりって……」
「オオバ様。もしよろしれければ……」
「うむ。よいじゃろう。……まず説明しなければならないのは、ここは『チキュウ』ではない。『グラス』という世界じゃ」
「地球じゃない? グラス?」
ミヤビが口を挟む。
「あなたはこのグラスに転移してきたのです。そう、約300年前の日本と同じように」
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地球より日本大陸が、この異世界グラスに転移してきたのは約300年前。日本の大地はグラスに元々あったグラス大陸と融合し、その転移の衝撃によって多くの日本人の命も失われた。
しかし日本人たちは諦めなかった。原住民であるグラス人にその知識と技術を教えながら共存を目指した。
グラス人はその日本人たちの勇気と知恵を尊敬し、日本人は先住民であるグラス人に敬意を払っていた。そして日本人たちはいつか元の世界である地球に帰還できる日を夢みていた。
「ところが今から約100年前、突如して全てのニホン人様が姿を消したのじゃ。一人残らずじゃ」
「どうしてですか?」
「分からん。チキュウへの帰還を果たしたのか、それとも……」
「それじゃ他に日本人はいないんですか」
「そうじゃ。このグラスにいるニホン人はおぬしだけじゃな」
頭がクラクラする。ここが異世界だって? 日本がここに来たのは10年前じゃなくて300年前? そして100年前に日本人が全て失踪?
「とにかく我々グラス人はニホン人様たちに敬意をはらい、彼らの文明に対して無闇に手をいれない掟を決めたのじゃ」
「ここスイタに来る途中に寄った、セッツがそうです。私たちはそういった地を遺跡と呼び、今日まで極力荒らさないできました」
「もっともその掟も徐々に崩れ始めておるがの」
「では、あなた達グラス人が日本語を喋っているのも、かつて日本人たちに教えてもらったからですか」
「そうじゃ。300年前のグラス人は文字も言葉も無かったと聞く」
秋人は頭を抱えた。間違いなくここは日本なのだ。自身が望み焦がれた日本の大地だ。
しかし肝心の同胞はいない。それは秋人の母親もいないということになる。少なくとも何百年も前に。
そして秋人は思う。では自分は元の世界に戻ることが出来るのだろうか。
――その可能性は低い。なぜならかつての日本人たちは戻れなかったのだから。
「……それで? 僕にお願いしたいことってなんでしたっけ?」
秋人はうなだれながら、およそ投げやりに尋ねた。
「先ほどミヤビ様とオオバ様から説明もあったと思うが、我々はこれまで極力遺跡に立ち入らなかった。しかし、ここ10年程でその状況も変わってきている。各地の遺跡の発掘、そしてニホン人たちの優秀な技術を手に入れた一派が良からぬことを考え始めた」
「良からぬこと?」
マイは一枚の布を取り出して秋人に渡した。その布には草と土をモチーフにしていると思われる紋章が描かれていた。
「これは?」
「反ニホン人組織、ソイルの紋章だ。彼らは遺跡から発掘した技術を使いニホン人が残した施設――ひいてはニホン人からの知恵を享受する我々をも攻撃してきたのだ」
「そ、そんなことを言われても僕はただの学生だ。軍人でもなければ科学者でもない。そんなソイルとかいう組織をどうにか出来るとは思えない」
「アキト様」
ミヤビがローブの首筋にある紐を解き、胸元を開いて見せた。
「ミヤビさん、なにを!?」
「これを見てください」
首と胸の中央。そこに澄んだ赤色をした勾玉が埋め込まれていた。
「それは?」
「これはニホン人様たちが【デバイス】と呼んでいたものです。これを使えば、この大気に存在する妖精に語り掛けて奇跡を起こせるようになります」
秋人はミヤビが炎を生み出してミノタウロスを撃退していたこと思い出していた。
「【デバイス】は本来ニホン人にしか扱えないと言われていました。時折私ののように不完全ながらその力を行使できる者もいますが、それだって数百人に一人です。しかし、どういうわけかソイルの者たちは皆この【デバイス】の能力を発揮できるのです」
「つまりソイルが【デバイス】を入手するのを誰かが妨害しなければならない。私とミヤビ様はその旅をしている」
「だ、だけど……」
「アキト様、この【デバイス】に触れてもらえませんか?」
少し戸惑ったが、秋人は恐る恐る勾玉の形をした【デバイス】に触れた。
瞬間、何かに共鳴するようにその【デバイス】から閃光が走った。
「うわっ!」
「アキト様、分かりますか? この【デバイス】はあなたに反応しているのです。ニホン人であるあなたに!」
そして光が徐々に弱まっていく。
「お願いします。このままソイルがデバイスを集めていけば、私たちはいつか力によって屈してしまうんです」
「僕は……」
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オオバの計らいによって三人は町唯一の宿屋に泊まることとなった。その宿の与えられた部屋で秋人は考えていた。
「僕はどうしたいんだ……」
秋人は先ほどの答えを保留していた。彼にとってどれもこれも現実味がない話だった。
異世界、グラス、モンスター、ソイルそして【デバイス】。
だが秋人に降りかかる全ての出来事はこれが現実と伝えてきていた。
日本に帰りたい。その願いは叶った。ではソイルという謎の組織と戦いたいのだろうか? それとも元の世界に帰りたいのか? いっそのことこの町に住まわせてもらえばいいのか?
――分からない。
コンコン
不意にドアがノックされた。思索を切り上げてドアを開ける。
そこに立っていたのはマイだった。
「晩飯だ。一階で準備がしてある」
彼女はそっけなくそれだけ言うとすぐに踵を返した。
「ま、待って」
その後ろ姿を見て思わず呼び止めていた。
「なんだ?」
「そ、その……。ソイルってのと戦うのに本当に僕が必要なの?」
マイは溜息をついた。
「知らん。自分で考えろ」
「自分でって……」
「お前の境遇に同情もあるが、だからといって決めるのはお前だ。お前が自分で決めろ」
秋人は内心で腹が立った。
「お願いしてきたのはそっちだろう?」
「じゃあ言い方を変えてやる。……ソイルとの戦いは命を落とすかもしれん。その重大な選択を他人預けるな」
「それは……」
「もともとお前は不確定要素だ。仮にお前がいなければ私とミヤビ様だけでこの旅は続けていた。アキト、お前が気を揉むことでもあるまい?」
そしてマイは一階に下りて行った。
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「さあさあ、たーんとお食べよ」
秋人が一階に下りると恰幅のいい女性がハキハキと喋っていた。その女性が秋人に気が付くと腕をグイグイと引っ張った。
「あら、遅いじゃないか。オオバ様からアンタを特にもてなすように言われているんだから。さあさあ座った座った」
無理に椅子に座らされた秋人は机の料理を見て、目を見張った。
そこに並べれていたのは、みそ汁に漬物。魚をひらきを焼いたもの。そして白いご飯。
「……これは?」
先に座っていたミヤビが口を開く。
「どうですか? 私たちグラス人がニホン人より一番受け継いだもの。それが料理なんです」
そしてミヤビとマイが手と手を合わせる。
「いただきます」
その作法はまさしく日本で食事前に行われていた作法だった。
「いただきます!」
秋人も慌てて手を合わせる。そしてとびかかるように料理を口に運んだ。
みそ汁を一口飲む。ひらきに醤油をたらして、身をほぐす。味はホッケに近い。あとを追うように白米も口に放り込んだ。
――美味い。美味すぎる!
腹が減っているのもある。しかしそれだけではない。これだけ美味い日本食を食べたのはまさしく10年ぶりだった。
気が付けば秋人は泣いていた。泣きながらご飯を食べていた。
「やだね! 泣くほど美味しかったのかい?」
「はい! 最高です!」
ここは日本だ。まさしく日本だ。たとえ日本人がいなくても、ここには日本人の魂を受け継いだ者たちがいる。それを日本と言わずして何というのだ。
結局秋人は食べ終わるときまで泣き終わることはなかった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
翌朝。
秋人は決意を決めていた。朝食のために一階に下りると、昨日と同じようにミヤビとマイが先に座っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう」
秋人が挨拶すると、二人もあいさつ返す。
今日の朝食はおにぎりとたくあんだった。これも如何にも日本的なのだろうか。
しかしこのおにぎりを食べる前に秋人は二人に言うべきことがあった。
「ちょっといいかな?」
「なんでしょう?」
「僕、手伝うよ。その【デバイス】集めってやつを。どこまで出来るかわからないけど」
「本当ですか? アキト様!」
「うん。僕も救いたいと思ったんだ。この世界を」
「本当にいいのか?」
「ま、まあまだ分からないけど。でも、これも何かの運命なのかもしれない」
「そうだ!」
ミヤビが嬉しそうに手を叩くと、思いついたように二階に上がった。そしてすぐに下りてきた。その手には腰につけるホルダーが持たれていた。
「これを差し上げます」
「これは?」
ホルダーには短剣が鞘に納められた状態で入っていた。
「これは私の家に代々伝わる短剣です。かつてニホン人様に頂いたという、由緒正しき品物です」
「こんなものもらえないよ」
「いえ、いいんです。おそらくこれからの旅の中で必要になると思います。ぜひアキト様に使っていただきたいのです」
秋人はミヤビの思いを感じ、これ以上は何も言わなかった。
「うん。ありがとう。大事に使うよ」
「それでは早速身に着けてください。いえ、私がつけましょう」
肩にかけてしっかりと腰で固定する。確かにこれであればすぐに短剣の柄を握ることができるだろう。
「うんうん、アキト様。よくお似合いです」
秋人は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「あのさ、様をつけるのやめないかな。これからは僕たちは旅の仲間なんだしさ」
「ああ、なるほど。では私もアキトと呼びますから、私の事もミヤビとお呼びください。……そうだ! マイも、そう呼びなさい」
「私もですか? そ、それは……」
「ダーメ。これは命令です。これからはミヤビ、マイ、そしてアキトと呼び合うこと! いいですわね?」
マイは最後まで抵抗していたが、結局ミヤビの命令に逆らうことはできなかった。