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幻想日本 ~ファンタジージャパン~  作者: 紙伝まさみ
プロローグ 
2/6

第二話 望郷の秋人

 ――チャイムの音で秋人は目を覚ました。

 どうやら大学の講義――退屈な90分――が終わったようだった。いつ眠ったのだろうか。秋人は記憶がなかった。少なくとも講義が脱線して、教授が10年前の日本消滅現象を先のアメリカ首相の陰謀だと語っていたのは覚えている。

 しかしその後の記憶はなかった。

 真っ白なノートを見て秋人は嘆息する。仕方ない、後で誰かに写させてもらおう。頼み事は苦手だが、単位を落とすのはもっと嫌だった。

 どちらにしても秋人の予定は今日はこの講義で終わりだった。そして明日から大学は夏季休暇となる。

(もう10年か……)

 教授のせいではないが、秋人は日本が消滅したあの日のことを思い出していた。日本に帰る直前の空港で、父親に日本が消滅したことを聞いても理解できなかった。むしろ父親が日本に帰りたくなくて嘘をついているのではないかと疑ったものだ。

 しかし現実は違った。

 日本は本当に消滅していた。昔、日本には「日本沈没」という小説があったが、どうやらそういうわけでもない。日本という大地はある日この地球上から消えて、その場所は太平洋の一部となってしまった。

 日本に住んでいた約1億人と共に世界から失われた。それはつまり秋人の母親もいなくなったわけで――


「アキト、どうしたの」

 聞き覚えのある声で秋人は思索から現実へと引き戻された。隣にはカワサキ=ユイが秋人の顔を覗き込むように立っていた。

「今日はこれで講義終了なんでしょ? 一緒に帰ろうよ」

「うん、そうだね」

 秋人はユイに促されるように帰り支度を始めた。実際、もう秋人とユイ以外には数えるほどしか学生が残っていなかった。

 その教室に残っている数人がこちら見てニヤニヤしている。

 秋人はしまったと思った。そのときにはもう遅かった。

「おい、今日も【土地なし(ランドレス)】同士で仲が良さそうだな!」

 3、4人の男子学生が秋人たちにそう野次った。その表情には一様に悪意が浮かんでいた。秋人は無視を決め込んでいた。相手にしてもロクなことにならないからだ。

 しかしユイはそうもいかなかったようだ。

「何よ! なんか文句あるわけ!」

「いやー、別に? でも余所様の土地でイチャイチャで恥ずかしくないのかなって。どうせなら自分の土地でイチャイチャすれば?」

「【土地なし】だから無理なんだって!」

 そしてまた一団はゲラゲラと笑った。

【土地なし】というのは日本人たちに使われる蔑称だった。意味は簡単だ。つまり「お前たちは自分の土地もないはぐれ者」ということだ。

「君たちは勘違いしている。僕は確かに【土地なし】だけど、ユイは正真正銘の日本人だよ」

 それは事実だった。カワサキ=ユイは日系アメリカ人で、日本語を喋ることが出来なければ、日本の大地を踏んだこともなかった。

「行こう、ユイ」

 秋人はそれだけ彼らに言い返すと、ユイの腕を引っ張った。

「ちょっと、いいの!?」

「何を言っても彼らに無駄さ」

 教室を出る二人の背後から「出ていけ! 寄生虫!」という言葉が聞こえた。

 秋人は思う。日本に帰ることが出来ればどれだけ幸せだろうか。

 

 自宅までの帰路でも、まだユイはぷりぷりと怒っていた。

「まったく、アキトはぬるいよ! あんなやつら殴ってやればいいのよ!」

 この10年。日本消滅時に巻き込まれなかった日本人、つまりそのときその瞬間に日本にいなかった日本人たち。彼らに向けられる目は様々だった。

 事件の直後の混乱から各国が日本人の受け入れに消極的になり、処遇が決まらない者も数多くいた。またそのときその瞬間の国々の思惑も重なり、そもそも日本人を受け入れなかった国もあった。そしてその状況から一部の日本人が暴徒化し、彼らのヘイトが高まることもあった。

「はは……。まあいいさ。僕に帰るべき土地がないってことは正しいからね」

「何いってるの! アキトはアメリカ人でしょ! 国籍もあるんだし。帰ってくる場所はここじゃない!」

「ああ、そう……そうだね」

 秋人は幸運と言っていい。父親の職業上、比較的早くアメリカ国籍を入手して帰化をした。そしてこの10年間、不自由なく暮らしてきただろう。

 が、秋人にとっての故郷はやはり日本だった。アメリカ国籍になり、英語を喋り、アメリカの大学で学んでいても、その感覚はぬぐえなかった。そしてその感覚は一生変わることがないだろうとも思っていた。

 だから【土地なし】と蔑んできた彼らのことはよく理解できた。自分のような半端ものが、愛するアメリカに住んでいることが気に食わないのだ。

 ユイは秋人の煮え切らない言葉に何か言いたげだったが、結局肩をすくめるだけでなにも言わなかった。

しばらく沈黙が続いて、ユイが口を開く

「ああ、そういえば明日から夏休みだよね」

「そうだね」

「アキトは何か予定でもあるの?」

「一応あるよ」

 ユイは怪訝そうな顔をした。

「え、あるの?」

「うん。ほら僕たちも来年4年生じゃないか。だから今のうちに旅行……日本にでも行こうと思って」

「日本って……ああ、そういうこと」

「うん、そういうこと」

 日本は消滅したが、唯一残っていた場所がある。それが沖縄だった。

「あんたって本当にブレないね」

「うん、ごめん」

「別に謝ってほしいわけじゃないけど……ね、どれくらい行くの?」

「2週間ぐらいかな」

「うん、全然そのあとも遊べるね。私、海に行きたいんだけどさ。一緒に行く相手がいなくて」

「え?」

「ニブいわね。帰ってきたあとは一緒に遊んでくれるんでしょ?」

「あ、ああ。もちろん」

 ユイはニコリと笑った。その笑顔に秋人はドキリとした。

 秋人は彼女にとても感謝していた。10年前の自分は、もし一歩間違えれば『誤った選択』をしていたかもしれなかった。

 急激な状況の変化、母親の喪失、慣れない土地、わからない言葉。当時11歳の子供が追い込まれるには十分な状況だったと言える。

 そして肝心の父親である幸一は秋人を放置した。正確に言えばどう接していいかわからず、状況だけ与えて自分の仕事にのめり込んでいったのだ。

 当たり前だが幸一はすでに「日本の外交官」ではない。しかしアメリカの政府にてそこそこ重要な役職任されているとも聞く。実際幸一から秋人は役職名を何度か聞かされていたが、覚える気もなかった。

 秋人にとっての幸一は仕事はできるかもしれないが、尊敬はできない。そういう評価だった。

 その状況に憂いを覚えて手を差し伸べたのが幸一の友人のカワサキだった。自分の娘を遊び相手として秋人と接したのだった。言葉を教えてくれたのもカワサキだった。

 もしユイがいなければ自分はどうなっていたのだろうか。秋人は時々そう思って、その度にユイに感謝していた。

「ん、よろしい。大学3年生なら日本だけじゃなくこっちでも思い出つくらないとね」

 そしてユイは秋人に前を向いていてほしいのだろう。そのことを秋人は痛いほどに感じていた。だからこそいまだに日本に対して望郷の念を抱いている秋人に複雑な感情を抱いているのだろう。

 秋人はユイの笑顔眺めながら、いつかこの笑みを受け入れていい日が来るのだろうかと考えていた。



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